備考 |
1,『研究紀要』第9号の全体,とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化財センター
2,槻沢遺跡における竪穴住居建て替えに関する覚書-竪穴住居建て替えに伴う炉の作り替えパターン-,後藤信祐
3,関東地方東北部における縄文時代の大形貯蔵穴出現期の様相(上),塚本師也
4,袋状土坑における覆土形成過程の復元-土器出土状況の分析を中心として-,合田恵美子
5,縄紋後期初頭から前半における壺形土器覚書-栃木県内の資料から見た壺形土器の存在状態-,江原英
6,寺野東遺跡における大洞C2式期土器の文様形態,猪瀬美奈子
7,縄文時代における底部圧痕について-予察と栃木県下の概要-,篠原浩恵
8,栃木県内における弥生時代の土坑について-山崎北遺跡の土坑群の検討から-,今平昌子
9,栃木県の初現期の群集墳-その動向について-,進藤敏雄
10,古墳時代前期の甕形土器について-栃木県における甕形土器の形態と消長-,片根義幸・藤田直也
11,平底の須恵器模倣坏の検討,安藤美保
12,栃木県内出土の新羅土器について-西下谷田遺跡出土新羅土器を中心として-,板橋正幸
13,古墳時代後期の朝鮮半島系冑(2),内山敏行
14,上侍塚出土鏡と下侍塚出土鏡の研究試論,山越茂
15,祭祀考古学の基礎的研究再論-古墳時代に於ける祭祀考古学研究の関連諸学援用について-,篠原祐一
16,氷室研究の現状と課題,中山晋
17,下野国分寺跡・南大門出土瓦の分析,大橋泰夫
18,多功南原遺跡出土の文字資料について,山口耕一
19,平安時代兜鉢の一例,津野仁
20,栃木県南東地域の五輪塔-益子地域の五輪塔を中心として-,上原康子
21,天正期宇都宮氏の城・館についての一考察,杉浦昭博
22,考古学の成果を教材化するにあたって-考古学と「問題生徒」-,斎藤弘
23,学校と埋蔵文化財センターの融合へ向けての一提言-アンケート結果の分析を通して-,柿沼利幸・竹前大輔
24,報告書作成におけるコンピューターの利用-藤岡神社遺跡発掘調査報告書の事例-,手塚達弥
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所収論文 |
タイトル |
槻沢遺跡における竪穴住居建て替えに関する覚書 竪穴住居建て替えに伴う炉の作り替えパターン |
英語タイトル |
|
著者 |
後藤 信祐
, GOTO Shinsuke
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ページ範囲 |
1 - 14
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NAID |
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都道府県 |
宮城県
山形県
福島県
栃木県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
集落
|
遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
建築様式
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=信祐|last=後藤|contribution=槻沢遺跡における竪穴住居建て替えに関する覚書 竪穴住居建て替えに伴う炉の作り替えパターン|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
竪穴住居跡は本県では縄文時代から平安時代まで見られる一般的な遺構である。一般的が故に発掘調査報告書では平面形や規模、柱穴・貯蔵穴・炉やカマド・壁溝の有無が記述されている程度のものも少なくない。筆者は、槻沢遺跡の発掘を担当し多くの竪穴住居を調査したが、複式炉付設という大きな共通性が認められる一方、炉の作り方、柱穴の配置や掘り形など細部において個々の住居に個性があることを再認識した。ここでは、縄文時代中期後半に顕著に見られる住居建て替え・炉の作り替えについて分類を行い、今後の槻沢遺跡の集落復元の一助としたい。 |
タイトル |
関東地方東北部における縄文時代の大形貯蔵穴出現期の様相(上) |
英語タイトル |
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著者 |
塚本 師也
, TSUKAMOTO Moroya
|
ページ範囲 |
15 - 30
|
NAID |
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都道府県 |
栃木県
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時代 |
縄文
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=師也|last=塚本|contribution=関東地方東北部における縄文時代の大形貯蔵穴出現期の様相(上)|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
東北地方から関東地方東部では、主に縄文時代中期の集落遺跡から、貯蔵穴と考えられる大形の袋状土坑が多数発見される。この袋状土坑が群在化する現象を、食糧の貯蔵行為そのものにとどまらず、集中的な食糧管理に結びつける解釈がある。しかし、関東地方東北部の出現期(阿玉台式前半期)の大形袋状土坑のあり方を検討すると、当初から集中的な食糧管理が行われたとは考えにくい。本稿では、該地域の大形袋状土坑出現期の食糧貯蔵の実態に迫ることを目的とする。そこで、参考としてそれ以前の段階(前期末葉から中期初頭)に当たる鹿島脇遺跡と鶴田中原遺跡の貯蔵穴について概観し、更に出現期に当たる品川台遺跡での大形袋状土坑のあり方を検討する。 また、土坑の調査から食糧の管理形態を復元するためには、貯蔵穴の認定、時期の決定、集落内で同時に機能した遺構の認定、土坑の耐久年数と貯蔵穴数の関係の把握、貯蔵方法や貯蔵量の想定、貯蔵穴以外の貯蔵方法の把握などを、考慮に入れなければならないことを指摘する。 |
タイトル |
袋状土坑における覆土形成過程の復元 土器出土状況の分析を中心として |
英語タイトル |
|
著者 |
合田 恵美子
, GOUDA Emiko
|
ページ範囲 |
31 - 38
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
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時代 |
縄文
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
|
遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=恵美子|last=合田|contribution=袋状土坑における覆土形成過程の復元 土器出土状況の分析を中心として|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
本稿では、袋状土坑における覆土形成過程の復元を目的として、特に遺物出土状況と覆土の堆積状況の詳細な記録化を行い、事例検討を行った。その結果、一見類似する出土状況と思われた袋状土坑が、それぞれ異なる覆土形成過程を経て埋没していく状況が確認できた。 |
タイトル |
縄紋後期初頭から前半における壺形土器覚書-栃木県内の資料から見た壺形土器の存在状態- |
英語タイトル |
|
著者 |
江原 英
, EHARA Ei
|
ページ範囲 |
39 - 56
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NAID |
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都道府県 |
青森県
岩手県
宮城県
福島県
栃木県
埼玉県
千葉県
神奈川県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=英|last=江原|contribution=縄紋後期初頭から前半における壺形土器覚書-栃木県内の資料から見た壺形土器の存在状態-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、栃木県内における後期初頭から前半の土器様相を概観し、併せて壺形土器の存在状態を確認して、その型式内の位置を探る試みを記述する覚書である。 県内を中心とする関東地方における当該期の壺形土器は、少数の出土乍らも、比較的安定した形態と文様装飾を認めることができる。時期としては称名寺式後半から堀之内l式にかけてであり、この間橋状突起上の文様で変化が認められ、一方体部文様でも文様の変化が確認できる。また壷形土器の形態及び文様を考える上では、他器種との関係や、東北北部を含めた東北地方土器群との関係性に注目する必要があることを指摘する。そして壺形土器が、型式間関係を探る上で、また型式内の位置を考える上で重要な器種であることを予察し、今後の検討に備える問題提起とするものである。 |
タイトル |
寺野東遺跡における大洞C2式期土器の文様形態 |
英語タイトル |
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著者 |
猪瀬 美奈子
, INOSE Minako
|
ページ範囲 |
57 - 76
|
NAID |
|
都道府県 |
茨城県
栃木県
埼玉県
|
時代 |
縄文
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=美奈子|last=猪瀬|contribution=寺野東遺跡における大洞C2式期土器の文様形態|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
本県においては晩期中葉以降、大洞系土器群の進出が顕著に確認され、寺野東遺跡においても例外ではない。本稿では寺野東遺跡より出土した特徴的な「横位並列文様」土器群に注目し、「大洞C2式」の分析を通じて文様構造の解明を試みた。まず「大洞C2式Jを文様及び文様配置から大きく2つの分類群で捉え、その中で大洞式雲形文の、本来的な施文原則とは相違する文様配置(線対称配置)がなされる土器群を明らかにし、更にここから文様の単位文的並列配置構成が導かれることを示した。「横位並列文様」土器群は「大洞C2式」の施文域に相当する部位に、単位文的並列配置構成により単沈線描出の文様を配するもので、「大洞C2式」・安行3d式・前浦式の3型式聞の関係性を示唆するものとして注目される。また安行3d式・前浦式の中にも同様の構成を持つ土器群が存在することは注意されよう。 |
タイトル |
縄文時代における底部圧痕について 予察と栃木県下の概要 |
英語タイトル |
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著者 |
篠原 浩恵
, SHINOHARA Hiroe
|
ページ範囲 |
77 - 94
|
NAID |
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都道府県 |
栃木県
埼玉県
東京都
石川県
山梨県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土器
繊維製品(紙含む)
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
技法・技術
文化系統
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=浩恵|last=篠原|contribution=縄文時代における底部圧痕について 予察と栃木県下の概要|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
栃木県下における底部圧痕については、研究は端緒についたばかりであり、その様相は全くの未知といえる。その様相を僅かなりとも、明らかにすべく稿を起こしたが、その準備として、まずは、先学の力を借りつつ、底部圧痕自体の概要を把握し、観察点の整理を行った。その結果、集落や精神面等を含めた縄文社会の流れに、紛うことなく追従する底部圧痕の推移があることを予察し得た。但し、未だ予察の段階であり、これを検証するためにも、様相を明示していくためにも、考古学的な史学性を根拠とした基本的な観察を積み重ねるとともに、民俗学や民具学等との比較検討が不可欠となることを再確認した。 |
タイトル |
栃木県内における弥生時代の土坑について 山崎北遺跡の土坑郡の検討から |
英語タイトル |
|
著者 |
今平 昌子
, KONPEI Masako
|
ページ範囲 |
95 - 110
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
弥生
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
墓
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
資料集成
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=昌子|last=今平|contribution=栃木県内における弥生時代の土坑について 山崎北遺跡の土坑郡の検討から|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
山崎北遺跡において確認された土坑群の検討をもとに、弥生時代の県内の土坑を集成・分類した結果、土坑は5つに分類できることが判明した。それらの土坑のうち、礫と粘土塊が確認された土坑は墓である可能性が考えられ、栃木県において弥生時代中期前半以降はほとんど不明であった中期後半の墓制の一端を明らかにする。 |
タイトル |
栃木県の初現期の群集墳-その動向について- |
英語タイトル |
|
著者 |
進藤 敏雄
, SHINDO Toshio
|
ページ範囲 |
111 - 128
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
古墳
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
資料集成
制度・政治
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=敏雄|last=進藤|contribution=栃木県の初現期の群集墳-その動向について-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
近年、調査例が増加してきた栃木県内の初現期の群集墳の動向を観察すると、それまで中期古墳の顕著な展開の見られなかった地域に出現するもの、当地の中期政権中枢部に出現するもの、この政権と密接な関係のもとに出現するものなどが存在し、その時期も含めて多様な展開の様相が明らかとなってくる。このような、初現期の群集墳のあり方が、当時の政治的・文化的動向をどのように反映しているのか検討してみたいが、本稿では、その基礎的な作業として県内各地の初現期の群集墳の様相を概観してみた。 |
タイトル |
古墳時代前期の甕形土器について-栃木県における甕形土器の形態と消長- |
英語タイトル |
|
著者 |
片根 義幸
, KATANE Yoshiyuki
藤田 直也
, FUJITA Naoya
|
ページ範囲 |
129 - 142
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
|
遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
編年
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=義幸|last=片根|first2=直也|last2=藤田|contribution=古墳時代前期の甕形土器について-栃木県における甕形土器の形態と消長-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
栃木県内の古墳時代前期の土器様相は、前代から直接的な系譜が辿れず他地域からの波及や影響がある。日常的な煮沸具である甕形土器には、刻み口縁・素口縁・S字状口縁など東海や南関東系の系統が認められる。これらは一括して波及していくのではなく、各段階に幾つかのルートで波及定着していると考えられる。 本稿では、県内集落遺跡で顕著に見られる東海・南関東系の菱形土器の類例を集成し、分類基準・時期区分を設けて刻み口縁甕・素口縁甕の形態変化を確認した。この中から分類的・時間的な画期を資料から抽出し一視点を示すとともに、段階ごとの分類傾向も抽出し、甕形土器の波及ルートや定着過程を明らかにするための基礎的な作業とする。 |
タイトル |
平底の須恵器模倣坏の検討 |
英語タイトル |
|
著者 |
安藤 美保
, ANDO Miho
|
ページ範囲 |
143 - 158
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
|
遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=美保|last=安藤|contribution=平底の須恵器模倣坏の検討|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
下都賀郡石橋町に所在する惣宮遺跡では、いわゆる須恵器模倣と呼ばれる形態をしていながら平底になっているという、非常に特殊な形態の坏が出土した。この坏群の検討の結果、須恵器模倣の出現期に見られる特徴的な形態で、平底になっている原因には系譜的な可能性があるとした。しかし、この形態が本地域のみの限られた特色なのか、他の須恵器の模倣が見られる地域でも同様な様相が見られるのかが疑問となることから、周辺地域の類例を探した。その結果、県内では特に上三川・壬生町周辺に集中が見られ、県外でも東北地方南部から関東地方北部の広範囲で見られることが分かつた。また時期的には、地域で若干の違いはあるが、須恵器模倣の出現期から導入期に中心に見られる事が分かった。これらの類例の検討の結呆、平底模倣坏は地域的で須恵器模倣が安定・定型化する以前の漸移的な器形と規定できた。 |
タイトル |
栃木県内出土の新羅土器について-西下谷田遺跡出土新羅土器を中心として- |
英語タイトル |
|
著者 |
板橋 正幸
, ITABASHI Masayuki
|
ページ範囲 |
159 - 173
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
アジア州(日本除く)
|
時代 |
飛鳥白鳳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
官衙
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遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
資料集成
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=正幸|last=板橋|contribution=栃木県内出土の新羅土器について-西下谷田遺跡出土新羅土器を中心として-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
従来から知られており、『日本書紀』に見える新羅人の下野国移配記事との関連が考えられてきた。ここ数年の発掘調査により、新たな新羅土器の出土が確認されている。中でも、宇都宮市茂原町・石橋町下古山所在の西下谷田遺跡では、複数の新羅土器を確認している。小論では、これらの資料をも含めて、栃木県内における新羅土器の出土様相を考えることにしたい。また、ここで取り扱う新羅土器は、統一新羅様式(6世紀後葉頃以降)のみとする。 |
タイトル |
古墳時代後期の朝鮮半島系冑(2) |
英語タイトル |
|
著者 |
内山 敏行
, UCHIYAMA Toshiyuki
|
ページ範囲 |
175 - 186
|
NAID |
|
都道府県 |
福島県
群馬県
埼玉県
山梨県
滋賀県
京都府
奈良県
熊本県
アジア州(日本除く)
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
古墳
|
遺物(材質分類) |
金属器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
資料紹介
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=敏行|last=内山|contribution=古墳時代後期の朝鮮半島系冑(2)|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
日本にもたらされた朝鮮半島系の突起付冑と、その祖型である韓国出土の冠帽付冑を観察・検討する。 1)伝昌寧出土の鉄地金銅張冠帽付胃は冠帽を冑に綴じて固定し、伝連山里出土例は総鉄製である。軍事的職能と政治的身分が強く関連して冠帽付冑を生み、一体化して鉄製突起付冑になるという理解を補強する。 2) 6世紀代の朝鮮半島系冑に2系統がある(頂辺板を地板の上に重ねる鋲留冑と、地板の下に重ねる革綴冑)。群馬県綿貫観音山古墳例は前者、福島県渕の上1号墳例は後者である。 |
タイトル |
上侍塚出土鏡と下侍塚出土鏡の研究試論 |
英語タイトル |
|
著者 |
山越 茂
, YAMAKOSHI Shigeru
|
ページ範囲 |
187 - 200
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
古墳
|
遺物(材質分類) |
金属器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
文化系統
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=茂|last=山越|contribution=上侍塚出土鏡と下侍塚出土鏡の研究試論|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
下野国の那須地域には、前方後方墳の集中域であるとともに、舶載鏡の出土例が周知されている。そして、上侍塚・下侍塚の両塚は、那珂川流域に所在している代表的な前方後方墳である。両塚は、日本考古学史上、先駆的な発掘遺跡として、重要な位置を占めている。両塚は、那須国造の墓誌の究明を目的として、元禄五(1692) 年に発掘が行われている。その際、両塚からは、前期古墳の代表的な遺物・鏡を始めとして、多くの遺物が発見されている。出土遺物は、墳丘内に再埋納されてしまっているので、もはやいかなる鏡式の鏡かを明瞭化し得ない。しかし、各書に記載されているので、それに従って、鏡式を想定することができる。両塚出土鏡については、三木文雄氏・斎藤忠氏の見解がある。上侍塚出土鏡の場合、三木文雄氏は、鋸歯文鏡か捩文鏡かとしていて、斎藤忠氏は、捩文鏡としている。また、下侍塚出土鏡の場合、三木文雄氏は、盤龍鏡としていて、斎藤忠氏は、盤龍鏡か鼉龍鏡かとしている。これらの見解を参考にして、筆者の見解を記載すれば、上侍塚出土鏡は、獣形鏡から変化した捩文鏡、下侍塚出土鏡は、舶載の両頭式盤龍鏡(龍虎鏡)であった可能性が高いと思われる。両頭式盤龍鏡(龍虎鏡)のなかでも、恐らくは、旋回式の形式に属するものであろう。 |
タイトル |
祭祀考古学の基礎的研究再論-古墳時代に於ける祭祀考古学研究の関連諸学援用について- |
英語タイトル |
|
著者 |
篠原 祐一
, SHINOHARA Yuichi
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ページ範囲 |
201 - 224
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NAID |
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都道府県 |
栃木県
群馬県
千葉県
静岡県
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時代 |
古墳
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
祭祀
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遺物(材質分類) |
石製品
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学問種別 |
考古学
文献史学
民俗学
その他
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テーマ |
宗教
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=祐一|last=篠原|contribution=祭祀考古学の基礎的研究再論-古墳時代に於ける祭祀考古学研究の関連諸学援用について-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
遺跡・遺物の解釈に、根拠のない「祭祀」の文字が横行している。一部の考古学研究者は、物証史学という呪言を唱えながら、それを放棄して祭祀の言葉に鎚っているかの様でもある。そして、呪言を唱える人々が去ったあとには、祭記考古学への言われない揶揄の声だけが残されている。何故、祭祀や信仰というだけで考古学を忘れてしまうのであろうか。 本論は、前段として祭祀遺物の石製模造品を「遺物」として分析するところから始まっている。そのため、本論だけに目をとおされた場合、誤解を生ずる可能性がある。あくまでも、考古学的方法論に立脚した上で、解釈に関連諸学を援用すべしが趣旨である。本論の目的は、使用頻度の高い民俗学と上代文学の例を提示し、祭祀考古学の基礎的研究を再確認するものである。 |
タイトル |
氷室研究の現状と課題 |
英語タイトル |
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著者 |
中山 晋
, NAKAYAMA Susumu
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ページ範囲 |
225 - 240
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NAID |
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都道府県 |
岩手県
宮城県
秋田県
山形県
福島県
茨城県
栃木県
埼玉県
千葉県
東京都
京都府
奈良県
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時代 |
奈良
平安
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
その他
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
文化系統
資料集成
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=晋|last=中山|contribution=氷室研究の現状と課題|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
従前の古代日本の氷室の研究は、あくまで文献史学が中心で考古学からのアプローチがなかったため、大きな進展は見られなかったが、1996年の愚説提唱を嘱矢とし、考古学の立場から愚説に肯定或いは否定的な考え方が幾っか示され、新たな局面を迎えつつある。そこで、古代日本の氷室の研究を今後大きく進展させるため、否定的な考えに対しては問題点を抽出して検討し、山積する課題の中からは、特に気候・祭祀・廃絶の問題について触れた。 |
タイトル |
下野国分寺跡・南大門出土瓦の分析 |
英語タイトル |
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著者 |
大橋 泰夫
, OOHASHI Yasuo
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ページ範囲 |
241 - 258
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NAID |
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都道府県 |
栃木県
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時代 |
奈良
平安
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文化財種別 |
史跡
考古資料
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遺跡種別 |
社寺
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遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
編年
流通・経済史
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=泰夫|last=大橋|contribution=下野国分寺跡・南大門出土瓦の分析|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
下野国分寺跡の南大門出土瓦を分析し、所用瓦の復元を行った。その結果、再利用瓦が大半を占め、新調された瓦は少ないことが明らかになった。建物の造営・改修に伴って、瓦をどのように葺いたかを知る上で興味深いデータを得ることができた。 |
タイトル |
多功南原遺跡出土の文字資料について |
英語タイトル |
|
著者 |
山口 耕一
, YAMAGUCHI Koichi
|
ページ範囲 |
259 - 278
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NAID |
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都道府県 |
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
|
時代 |
奈良
平安
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
集落
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遺物(材質分類) |
石製品
土器
繊維製品(紙含む)
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
資料紹介
制度・政治
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=耕一|last=山口|contribution=多功南原遺跡出土の文字資料について|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
平成元年度から平成6年度の約5年間にわたる多功南原遺跡の調査で、220軒の竪穴住居跡、約120棟の掘立柱建物跡、55基の井戸跡が確認された。特に調査区の南西部の「コ」の字形に配置された9棟の大型掘立柱建物群とその中央部に位置する壁柱穴を持つ1辺8m規模の大型竪穴住居跡(S1-68) の遺構群としての性格については、「実力的郷長の居宅」、「富豪層の居宅」、「郡司相当層の居宅」説など幾つかの説が類推されている。報告書では担当者の力量の不足から遺跡の性格を絞り込むことはかなわなかった。 この遺構群と他の地区の遺構、遺物等比較を行うことにより差異を明らかにすることは可能であるが、これらの考古学的な手法のみではこの大型遺構群の性格を明確にすることは不可能である。そこで、遺物の中でも文字の情報に視点をあてて当遺跡の性格について考えてみる。 |
タイトル |
平安時代兜鉢の一例 |
英語タイトル |
|
著者 |
津野 仁
, TSUNO Jin
|
ページ範囲 |
279 - 292
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NAID |
|
都道府県 |
北海道
青森県
福島県
栃木県
東京都
京都府
岡山県
徳島県
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時代 |
奈良
平安
擦文
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文化財種別 |
工芸品
歴史資料
考古資料
有形文化財
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遺跡種別 |
墓
横穴
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遺物(材質分類) |
金属器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
技法・技術
編年
文化系統
資料紹介
軍事
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=仁|last=津野|contribution=平安時代兜鉢の一例|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
平安時代の甲宵は遺存例が少なく、特に、平安前期に遡ると言われるものは極めて限られる。今回、平安時代の所産とみられる北海道大学農学部博物館蔵の兜鉢を報告する。 次に、小札の編年によって年代的位置付けが可能になってきた奈良・平安時代の兜鉢について、わずかな資料であるが、様式的観点から変遷と年代観の付与を試案として述べ、初期大鎧の星兜鉢に成立期の問題の一端についてふれる。 |
タイトル |
栃木県南東地域の五輪塔-益子地域の五輪塔を中心として- |
英語タイトル |
|
著者 |
上原 康子
, UEHARA Yasuko
|
ページ範囲 |
293 - 308
|
NAID |
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都道府県 |
栃木県
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時代 |
鎌倉
南北朝
室町
戦国
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文化財種別 |
考古資料
有形文化財
|
遺跡種別 |
墓
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遺物(材質分類) |
石製品
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学問種別 |
考古学
文献史学
|
テーマ |
技法・技術
編年
資料紹介
流通・経済史
宗教
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他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=康子|last=上原|contribution=栃木県南東地域の五輪塔-益子地域の五輪塔を中心として-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
栃木県南西部の益子町には多数の中世五輪塔が存在するが、これまでに調査は実施されておらず、その実態は把握されていない。本稿では町内の五輪塔の実測調査を行ない、近県の調査・研究成果を基に若干の考察を加えた。益子地域では宇都宮家墓所や大郷戸で遅くとも14世紀初頭頃から五輪塔が造立されはじめ、15世紀以降周辺の墓地でも五輪塔が用いられるようになる。この地域では花崗岩製の五輪塔が多く、地元産の凝灰岩を用いる宇都宮地域とは様相が異なる。益子に最も近い花崗岩が採掘される場所は筑波山系の地域であり、同地域からの石造物文化の影響も少なからず及んでいたのではないか。 |
タイトル |
天正期宇都宮氏の城・館についての一考察 |
英語タイトル |
|
著者 |
杉浦 昭博
, SUGIURA Akihiro
|
ページ範囲 |
309 - 326
|
NAID |
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都道府県 |
栃木県
|
時代 |
安土桃山
|
文化財種別 |
史跡
考古資料
|
遺跡種別 |
城館
交通
|
遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
文献史学
その他
|
テーマ |
年代特定
制度・政治
流通・経済史
軍事
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=昭博|last=杉浦|contribution=天正期宇都宮氏の城・館についての一考察|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、城館を通して中世大名の領国支配を探ることを目的としている。研究の対象については、記録・文書史料を補完する目的で現存遺構を採用することから、天正時代末期に設定し、当時県内において最も大きな勢力であった宇都宮氏の場合について考察することとした。その内容は以下の通りである。先ず、城と館とを定義し、城館に求められた機能を明確にする。次に同様の機能を持つ城郭を抽出し、特に多機能を有した大規模城郭について個々の事例を整理する。さらにこれらについて歴史地理学的な考察を加え、分布の特徴を抑える。最後にこれらの事例と僅かに残されている記録とを照合しつつ城郭経営から天正期の宇都宮氏領国支配の一面を考察するものである。 |
タイトル |
考古学の成果を教材化するにあたって-考古学と「問題生徒」- |
英語タイトル |
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著者 |
斎藤 弘
, SAITOU Hiroshi
|
ページ範囲 |
327 - 335
|
NAID |
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都道府県 |
栃木県
|
時代 |
不明
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文化財種別 |
|
遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
その他
|
テーマ |
活用手法
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=弘|last=斎藤|contribution=考古学の成果を教材化するにあたって-考古学と「問題生徒」-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
現在、深刻化する教育問題に対して、早急な改革の必要性が国民的規模で論じられている。一方成熟期を迎えている日本考古学は、膨大な蓄積を教育現場にどのように還元するかについて、近年高い関心を持つようになった。この方法論の研究も大きな課題であろう。また考古学研究者や文化財担当者も、教育現場の問題点を認識する必要があるだろう。 本稿では、現状の教育問題について筆者なりに総括した上で、これまでの学校教育での考古学の扱われ方、考古学に内在する可能性について論じるつもりである。考古学には、個人の体験に根ざすところの判断や、個別事象の説明を大切にするという性質がある。このことは誰もが参加できるという開放性に通じている。一方では生活文化史上の根本問題への遡上という可能性をもっている。問題点を見いだしてこれを解決していこうという学習活動のプログラムが模索されている現状で、考古学は大きな役割を果たすことができるだろう。いささか抽象的ではあるが、考古学の成果及びその考え方と教育の今後の方向性の係わりについて、本稿が多少でも示唆するところがあれば幸いである。 |
タイトル |
学校と埋蔵文化財センターの融合へ向けての一提言-アンケート結果の分析を通して- |
英語タイトル |
|
著者 |
柿沼 利幸
, KAKINUMA Toshiyuki
竹前 大輔
, TAKEMAE Daisuke
|
ページ範囲 |
337 - 352
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
縄文
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文化財種別 |
|
遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
その他
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テーマ |
活用手法
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=利幸|last=柿沼|first2=大輔|last2=竹前|contribution=学校と埋蔵文化財センターの融合へ向けての一提言-アンケート結果の分析を通して-|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
平成14年度から教育現場では新しい学習指導要領に基づいた教育課程が実施される。今回の学習指導要領改訂では、児童生徒に「生きる力」を育成することを基本的なねらいとして、新しく創設される「総合的な学習の時間」や各教科においての体験的な学習や問題解決的な学習の充実を図ることが求められている。 一方、近年、学校から埋蔵文化財センターへの発掘体験学習等の依頼が増加している。今後、新学習指導要領の全面実施を受け、学校からセンターへの依頼がさらに増加することも予想され、センターの普及事業及び学校とセンターとの関わり方について考えていくことが重要であると思われる。 本論では、学校と埋蔵文化財センターの現状やセンター職員、学校の教員の意識を知るためのアンケート結果を基に、現在の学校と埋蔵文化財センターとの連携における課題を見つけだし、今後よりよい融合を図っていくための一提言を述べる。 |
タイトル |
報告書作成におけるコンピューターの利用 藤岡神社遺跡発掘調査報告書の事例 |
英語タイトル |
|
著者 |
手塚 達弥
, TEZUKA Tatsuya
|
ページ範囲 |
353 - 356
|
NAID |
|
都道府県 |
栃木県
|
時代 |
縄文
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
情報学
|
テーマ |
活用手法
調査技術
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=達弥|last=手塚|contribution=報告書作成におけるコンピューターの利用 藤岡神社遺跡発掘調査報告書の事例|title=研究紀要|date=2001-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105416|location=栃木県下都賀郡国分寺町大字国分乙474|ncid=AA11680423|doi=10.24484/sitereports.105416|volume=9}}
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抄録(内容要約) |
最近のデジタル化は、印刷業界にも大きな変革を与えている。このことが、私たちが行っている報告書作成にとってどのような影響があるのか、また、どのような利点があるのかを調べ、実際に藤岡神社遺跡発掘調査報告書の作成作業を事例として、その作業工程に沿って解説したい。 |
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