上侍塚出土鏡と下侍塚出土鏡の研究試論
山越 茂
( YAMAKOSHI Shigeru )
下野国の那須地域には、前方後方墳の集中域であるとともに、舶載鏡の出土例が周知されている。そして、上侍塚・下侍塚の両塚は、那珂川流域に所在している代表的な前方後方墳である。両塚は、日本考古学史上、先駆的な発掘遺跡として、重要な位置を占めている。両塚は、那須国造の墓誌の究明を目的として、元禄五(1692) 年に発掘が行われている。その際、両塚からは、前期古墳の代表的な遺物・鏡を始めとして、多くの遺物が発見されている。出土遺物は、墳丘内に再埋納されてしまっているので、もはやいかなる鏡式の鏡かを明瞭化し得ない。しかし、各書に記載されているので、それに従って、鏡式を想定することができる。両塚出土鏡については、三木文雄氏・斎藤忠氏の見解がある。上侍塚出土鏡の場合、三木文雄氏は、鋸歯文鏡か捩文鏡かとしていて、斎藤忠氏は、捩文鏡としている。また、下侍塚出土鏡の場合、三木文雄氏は、盤龍鏡としていて、斎藤忠氏は、盤龍鏡か鼉龍鏡かとしている。これらの見解を参考にして、筆者の見解を記載すれば、上侍塚出土鏡は、獣形鏡から変化した捩文鏡、下侍塚出土鏡は、舶載の両頭式盤龍鏡(龍虎鏡)であった可能性が高いと思われる。両頭式盤龍鏡(龍虎鏡)のなかでも、恐らくは、旋回式の形式に属するものであろう。