縄紋後期初頭から前半における壺形土器覚書-栃木県内の資料から見た壺形土器の存在状態-
江原 英
( EHARA Ei )
本稿は、栃木県内における後期初頭から前半の土器様相を概観し、併せて壺形土器の存在状態を確認して、その型式内の位置を探る試みを記述する覚書である。
県内を中心とする関東地方における当該期の壺形土器は、少数の出土乍らも、比較的安定した形態と文様装飾を認めることができる。時期としては称名寺式後半から堀之内l式にかけてであり、この間橋状突起上の文様で変化が認められ、一方体部文様でも文様の変化が確認できる。また壷形土器の形態及び文様を考える上では、他器種との関係や、東北北部を含めた東北地方土器群との関係性に注目する必要があることを指摘する。そして壺形土器が、型式間関係を探る上で、また型式内の位置を考える上で重要な器種であることを予察し、今後の検討に備える問題提起とするものである。
県内を中心とする関東地方における当該期の壺形土器は、少数の出土乍らも、比較的安定した形態と文様装飾を認めることができる。時期としては称名寺式後半から堀之内l式にかけてであり、この間橋状突起上の文様で変化が認められ、一方体部文様でも文様の変化が確認できる。また壷形土器の形態及び文様を考える上では、他器種との関係や、東北北部を含めた東北地方土器群との関係性に注目する必要があることを指摘する。そして壺形土器が、型式間関係を探る上で、また型式内の位置を考える上で重要な器種であることを予察し、今後の検討に備える問題提起とするものである。