所収論文 |
タイトル |
紀元前 3450 年頃に発生した福島県沼沢火山の火砕流災害と埋もれ木の発見 |
英語タイトル |
3450 BC Pyroclastic Flow Disaster at Numazawa Volcano in the Fukushima Prefecture, NE Japan, and the Discovery of Buried Trees |
著者 |
山元 孝広
, YAMAMOTO Takahiro
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ページ範囲 |
1 - 5
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NAID |
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都道府県 |
福島県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
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史跡・遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
地質学
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=孝広|last=山元|contribution=紀元前 3450 年頃に発生した福島県沼沢火山の火砕流災害と埋もれ木の発見|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
福島県会津地方の沼沢火山で縄文時代に発生した沼沢湖噴火では、火口から地形障害を乗り越え火砕流が20 km以上流走した。三島町大谷川底からこの火砕流で破壊された倒木群が2021・2022年に、佐久間建設工業(株)により発掘されたので、その特徴と意義について紹介する。 |
タイトル |
沼沢湖噴火により枯死した埋もれ木の高精度年代測定と 縄文土器編年上の位置の検討 |
英語タイトル |
High-Precision Dating of Buried Trees Withered by the Numazawako Eruption and the Positioning of Their Age in the Jomon Pottery Chronology |
著者 |
早瀬 亮介
, HAYASE Ryosuke
門脇 秀典
, KADOWAKI Hidenori
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ページ範囲 |
6 - 25
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NAID |
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都道府県 |
福島県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
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史跡・遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
自然物
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学問種別 |
考古学
文化財科学
地質学
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テーマ |
編年
年代特定
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=亮介|last=早瀬|first2=秀典|last2=門脇|contribution=沼沢湖噴火により枯死した埋もれ木の高精度年代測定と 縄文土器編年上の位置の検討|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
福島県大沼郡三島町を流れる只見川支流、大谷川の河床で埋もれ木が発見され、縄文時代に発生した沼沢火山の噴火(沼沢湖噴火)の火砕流で枯死したことがわかった。埋もれ木群は年輪年代学と14C年代測定(ウィグルマッチング)を併用して年代測定され、沼沢湖噴火の年代が5400cal BP、紀元前3450年頃に絞り込まれた。また遺跡出土試料の年代測定事例と比較検討し、沼沢湖噴火が大木6式から7a式期、特にその移行期頃に当たることが確認された。 |
タイトル |
沼沢火山噴火と縄文社会への影響 |
英語タイトル |
Eruption of Numazawa Volcano and the Impact on Jomon Society |
著者 |
三浦 武司
, MIURA Takeshi
|
ページ範囲 |
26 - 39
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NAID |
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都道府県 |
福島県
|
時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
|
史跡・遺跡種別 |
集落
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遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
編年
年代特定
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=武司|last=三浦|contribution=沼沢火山噴火と縄文社会への影響|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
沼沢火山噴火が会津地域の縄文人に及ぼした影響について、遺跡分布の増減から明らかにした。沼沢火山噴火のメカニズムや噴火が及ぼす地域環境への影響について、地質学、火山学、年代学を援用した。その結果、沼沢火山噴火の影響と思われる遺跡の減少が認められた。噴火後の中期初頭には、遺跡数が増加し環境が回復がしたことが想定できた。また、沼沢火山噴火で形成されたせき止め湖とその決壊洪水の影響についても明らかにした。せき止め湖の決壊による段丘と平坦面の形成が、中期以降の遺跡が大規模集落へと発展する素地となったと推測した。さらに、近年見つかった沼沢火山噴火時の埋もれ木と洪水決壊堆積物から見つかった埋もれ木の年代差から、噴火から洪水決壊までの時間差が明らかとなり、噴火時に使用していた土器群も検討を行った。 |
タイトル |
中世における桜島火山噴火の年代と災害 |
英語タイトル |
Research on Eruption date and Disasters of Sakurajima Volcano in Medieval Japan |
著者 |
桒 畑 光 博
, KUWAHATA Mitsuhiro
水 野 嶺
, MIZUNO Rei
|
ページ範囲 |
40 - 49
|
NAID |
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都道府県 |
宮崎県
鹿児島県
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時代 |
室町
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文化財種別 |
考古資料
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史跡・遺跡種別 |
田畑
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
文献史学
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テーマ |
その他
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=光 博|last=桒 畑|first2=嶺|last2=水 野|contribution=中世における桜島火山噴火の年代と災害|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
桜島火山の文明年間の大規模な噴火イベントは、文明8(西暦1476)年に起こった可能性が高いが、季節比定に関して問題が残されており、さらなる検証が必要である。桜島文明テフラの現存層厚0.3m以上のエリアでは、耕地の大半は放棄されたと考えられる。現存層厚10㎝前後のエリアでは、水田・畠ともに復旧されており、その方法はいわゆる天地返し法だった。噴火が起きた文明年間は戦乱期であり、当時の社会的状況の中で大規模復旧事業となるテフラの搬出除去は不可能だったと思われ、現地における埋却処分という現実的な対策が講じられたと考えられる。宮崎県の都城盆地における桜島文明テフラ降下後の水田と畠における復旧は、広大な面積に及び、複数の作業単位が確認でき、当時の農民たちが、人海戦術によって火山災害後の最悪の事態を必死で回避しようとしたことをうかがえる。宮崎県のハザードマップ等では桜島火山には注意が向けられていないが、今後桜島火山が同様の規模の噴火をが起こした場合、甚大な被害が予想される。 |
タイトル |
大阪府河内平野における11~17世紀の河川氾濫と土地利用の変化 |
英語タイトル |
River Flooding and Land-use Change in the Kawachi Lowland Plain, Osaka Prefecture, from the 11th to 17th Centuries AD |
著者 |
井上 智博
, INOUE Tomohiro
|
ページ範囲 |
50 - 57
|
NAID |
|
都道府県 |
大阪府
|
時代 |
安土桃山
江戸
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文化財種別 |
考古資料
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史跡・遺跡種別 |
田畑
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
その他
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=智博|last=井上|contribution=大阪府河内平野における11~17世紀の河川氾濫と土地利用の変化|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
大阪府河内平野における11~17世紀の地形形成・堆積環境変化と土地利用の関係について、島畠の発達過程に着目して整理した。島畠の分布は河川活動によって形成された高まりである沖積リッジの範囲とほぼ重なっており、沖積リッジの形成に伴って発達したと思われる。13~14世紀と15世紀後半~17世紀に発達した島畠は「洪水復旧型」に分類され、数十年に1回程度の頻度で起こった洪水の復旧過程で規模が拡大していった。夏季降水量を反映する中部日本の樹木年輪の酸素同位体比変動を参照すると、洪水復旧型島畠が発達した時期には降水量が数十年周期で激しく変動しており、島畠発達の背景に降水量変動があった可能性が示唆された。また、花粉分析データは15世紀後半以降にマツ属が急増したことを示しており、その時期以降に周辺の山地などにおいて人間活動が活発化し、森林破壊が起こったと推定された。森林破壊は土砂流出量を増加させ、島畠発達の一因となったと推定される。これらのことから、洪水復旧型島畠は、降水量変動や沖積リッジの発達という自然環境と、山地利用による土砂流出量の増加などの人間活動の相互作用によって発達したと考えられる。 |
タイトル |
沖縄県うるま市沿岸に設置された護岸の銃座 の調査 |
英語タイトル |
Survey of Rifle Pits constructed along the coast of Uruma City, Okinawa Prefecture |
著者 |
横 尾 昌 樹
, YOKOO Masaki
仲 田 眞一郎
, NAKADA Shinichiro
|
ページ範囲 |
58 - 67
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NAID |
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都道府県 |
沖縄県
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時代 |
昭和
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文化財種別 |
史跡
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史跡・遺跡種別 |
その他
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
軍事
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=昌 樹|last=横 尾|first2=眞一郎|last2=仲 田|contribution=沖縄県うるま市沿岸に設置された護岸の銃座 の調査|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、沖縄県うるま市具志川地域の沿岸に位置する太平洋戦争期の遺跡である護岸の銃座の調査成果をまとめたものである。調査では、考古学的調査手法により遺構調査を実施し、銃座の形態的特徴及び遺跡全域における銃座の設置箇所の傾向が明らかとなった。また護岸の後方に掩体壕を掘ったという情報が得られていたため、試掘調査を実施した結果、銃座に伴って地中を円形に掘った掩体壕を検出することができた。さらに銃座が形成された当時の状況を把握するために地域住民への聞き取り調査を実施し、地域における戦争への動員について整理することができた。両調査手法によって得られた情報を整合し、戦時中の時間的推移を整理することができ、戦前から戦後にかけてこの地域で起きていた出来事が明らかとなった。 |
タイトル |
鹿児島県指宿市における戦跡考古学の現状と課題 |
英語タイトル |
Current States and Issues of Battlefield Archaeology in Ibusuki City, Kagoshima Prefecture |
著者 |
新 垣 匠
, ARAKAKI Takumi
|
ページ範囲 |
68 - 77
|
NAID |
|
都道府県 |
鹿児島県
|
時代 |
昭和
|
文化財種別 |
史跡
|
史跡・遺跡種別 |
その他
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
資料集成
活用手法
軍事
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=匠|last=新 垣|contribution=鹿児島県指宿市における戦跡考古学の現状と課題|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
鹿児島県指宿市における太平洋戦争期の戦跡考古学について、市内にある10箇所の戦跡を紹介しつつ、現状をまとめた。ほとんどの史跡は詳細な調査ができておらず、指定文化財に指定されている史跡もないため、今後の課題とした。 |
タイトル |
仙台平野における超巨大地震津波間隔500-800 年説批判-石巻市震災遺構門脇小学校展示の産総研コアの年代に関する考古学的検証- |
英語タイトル |
Critical Review of the 500-800 Years Intervals of Super-Mega Earthquake Tsunami in the Sendai Plain - Archaeological Verification of the Dating of the AIST Core Exhibited at the Ishinomaki City Kadonowaki Elementary School Ruins of the 2011.3.11 Tsunami - |
著者 |
相原 淳一
, AIHARA Junichi
|
ページ範囲 |
78 - 113
|
NAID |
|
都道府県 |
宮城県
|
時代 |
弥生
|
文化財種別 |
その他
|
史跡・遺跡種別 |
その他
|
遺物(材質分類) |
自然物
|
学問種別 |
考古学
博物館学
地質学
その他
|
テーマ |
編年
年代特定
資料集成
活用手法
調査技術
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=淳一|last=相原|contribution=仙台平野における超巨大地震津波間隔500-800 年説批判-石巻市震災遺構門脇小学校展示の産総研コアの年代に関する考古学的検証-|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
超巨大地震津波間隔500-800 年説批判 以上、宮城県内の弥生時代中期の津波被災遺跡を中心に概観した。福島県南相馬市小高区で見つかった西暦430年頃あるいは550-680calADの津波堆積物は今のところ明確なものは見当たらない。小高区コアの中位イベント砂層Cの220-650calADの時期に相当する津波堆積物は相馬市松川浦B・C地点においても確認されており、福島県浜通り地方の発掘調査では、今後充分に注意していかなければならない事項であるとともに、過年度の報告書もいま一度検討してみる必要性があろう。 その後の調査(松本・先家2017、高清水ほか2022)でも年代を充分に絞り切れないようではあるが、下限の年代は仙台平野では古墳時代後期~仙台郡山遺跡のⅠ期官衙創建期の移行期にあたり、古代史への影響も大きく、年代・浸水域ともに慎重な検討が望まれる。 石巻市震災遺構門脇小学校における「石巻平野と巨大津波」の869年貞観津波堆積物のひとつ前を4~5世紀、ふたつ前を紀元前4~5世紀、あるいはひとつ後を1454年享徳地震津波の可能性とするのは、 『平成17-21年度統括成果報告書』(地震本部2010)、『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)』(地震調査研究本部地震調査委員会2011)の引き写しに過ぎず、石巻・仙台平野の個別ボーリングデータとも、発掘調査成果とも整合しない。 地震や津波の被害を最小限に食い止めるためには、その周期性をつかむことが重要であり、1000年周期、500-800年周期、600年周期と、波源域も含め、様々な説明がなされている。逆にその周期性に関する仮説的なものの見方がバイアスとなり、本質を見失うことにもなりかねない。過去の災害痕跡を実証していくのは、紛れもなく現代考古学の守備範囲であり、使命でもある。 |
タイトル |
貞観津波襲来当時の多賀城跡南方潟湖残存説に対する批判 |
英語タイトル |
Criticism against the Theory that a Lagoon Remained in the South of Tagajo Fort Site at the Time of the Attack of the 869 Jogan Tsunami |
著者 |
柳澤 和明
, YANAGISAWA Kazuaki
|
ページ範囲 |
114 - 137
|
NAID |
|
都道府県 |
宮城県
|
時代 |
旧石器
縄文
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
鎌倉
南北朝
室町
戦国
安土桃山
江戸
|
文化財種別 |
史跡
歴史資料
考古資料
その他
文化的景観
|
史跡・遺跡種別 |
集落
官衙
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
文献史学
地質学
その他
|
テーマ |
その他
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=和明|last=柳澤|contribution=貞観津波襲来当時の多賀城跡南方潟湖残存説に対する批判|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
『沼向遺跡』の潟湖存在説は、縄文時代後期から近世まで一貫して、多賀城跡南方に潟湖が存在したとするものである。公表された10枚の『沼向遺跡』「仙台平野北部微地形環境変遷想定図」は、すべて作図根拠が不明で、実証性がない。この潟湖残存説は実証的ではなく、認められない。論文や発掘調査報告書で引用して使うことはできない。多賀城跡南方は、弥生時代中期には泥炭層(腐植土層)が形成されて陸地化・後背湿地化しており、潟湖はすでに消滅していた。 |
タイトル |
東北地方太平洋沿岸における歴史津波の評価をめぐって |
英語タイトル |
Evaluation of Historical Tsunami in the Pacific Coast of Tohoku Region |
著者 |
蝦名 裕一
, EBINA Yuichi
|
ページ範囲 |
138 - 145
|
NAID |
|
都道府県 |
岩手県
宮城県
福島県
|
時代 |
江戸
|
文化財種別 |
歴史資料
|
史跡・遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
文献史学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=裕一|last=蝦名|contribution=東北地方太平洋沿岸における歴史津波の評価をめぐって|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
本報告では、東北地方太平洋沿岸で発生した歴史地震津波、特に1454年享徳地震津波と1611年慶長奥州地震津波について、現在における歴史学、地質学、考古学の知見から総合的な評価を試みたものである。現在確認されている史料によれば、近年その存在が確認された享徳地震津波であるが、その規模については史料から明確な情報が得られず、不明とするしかない。慶長奥州地震津波については、これを特定できる津波堆積物が岩手県から宮城県にかけて確認でき、史料も北海道から東北地方太平洋岸の各地域で確認されていることから、広範囲に被害をもたらした地震津波災害であることを明らかとした。一方、近年の慶長奥州地震津波の研究に対して、これを震災史観として否定的にみる見解があるが、現段階では震災史観そのものの定義が曖昧であり、さらにこれに端を発した研究が慶長奥州地震津波の規模を不当に過小評価している点について、『言緒卿記』の史料分析などから明らかにした。 |
タイトル |
三陸海岸~仙台湾地域の古津波履歴に関する地質学的調査の現状と課題 |
英語タイトル |
Challenges in Paleotsunami Research in Sanriku and Sendai Bay Coasts |
著者 |
菅原 大助
, SUGAWARA Daisuke
石澤 尭史
, ISHIZAWA Takashi
|
ページ範囲 |
146 - 149
|
NAID |
|
都道府県 |
青森県
岩手県
宮城県
福島県
|
時代 |
旧石器
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
文化財種別 |
|
史跡・遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
自然物
|
学問種別 |
考古学
地質学
|
テーマ |
編年
年代特定
調査技術
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=大助|last=菅原|first2=尭史|last2=石澤|contribution=三陸海岸~仙台湾地域の古津波履歴に関する地質学的調査の現状と課題|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
この論文では、既往文献に基づき、青森県から福島県にかけての太平洋沿岸における津波堆積物の分布と年代を整理した。歴史時代については、1611年慶長奥州地震津波・1454年享徳地震津波・869年貞観地震津波を、先史時代については弥生時代の津波を主な検討対象とした。その上で、津波堆積物を広域で対比し、津波発生源を推定するにあたっての課題を検討した。 |
タイトル |
伊豆諸島における歴史・先史時代の津波研究 |
英語タイトル |
Paleotsunami Research at the Izu Islands, Japan |
著者 |
後藤 和久
, GOTO Kazuhisa
海田 比呂子
, KAIDA Hiroko
石澤 尭史
, ISHIZAWA Takashi
|
ページ範囲 |
150 - 151
|
NAID |
|
都道府県 |
東京都
|
時代 |
古墳
江戸
|
文化財種別 |
|
史跡・遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
地質学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=和久|last=後藤|first2=比呂子|last2=海田|first3=尭史|last3=石澤|contribution=伊豆諸島における歴史・先史時代の津波研究|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
伊豆諸島における歴史・先史時代の津波痕跡情報の収集は、我が国の地震・津波リスク評価において極めて重要だと言える。しかしながら、伊豆諸島における歴史・先史時代の津波研究は歴史学的にも考古学的にも地質学的にも乏しいのが現状である。これは、本州等の沿岸部と比べて伊豆諸島では歴史記録が少ないことに加え、火山島であり平野が少ないため津波堆積物調査に適した地域が少ないためである。こうした問題に対して我々は、伊豆諸島における津波履歴と規模を明らかにすることを主目的として、これまで複数の島々で歴史記録の再整理と地質調査、および数値計算を行ってきた。今回の発表では、主に八丈島における予察的な結果を報告する。 |
タイトル |
竪穴住居が沈んだ日(あるいは遺構変形論) 古墳時代中期・5世紀・和泉期大地震 -東京都調布市染地遺跡第128 地点SI04 の調査から- |
英語タイトル |
The Day the Pit Dwelling Sank (or the Theory of Deformation of the Remains): The Great Earthquake of the Izumi Period, Middle Kofun Period, 5th Century: From the Survey at Site No. 128, SI04, Somechi Site, Chofu City, Tokyo, Japan. |
著者 |
及川 良彦
, OYOGAWA Yoshihiko
|
ページ範囲 |
152 - 173
|
NAID |
|
都道府県 |
東京都
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
史跡・遺跡種別 |
集落
墓
|
遺物(材質分類) |
土器
木製品
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
年代特定
資料紹介
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=良彦|last=及川|contribution=竪穴住居が沈んだ日(あるいは遺構変形論) 古墳時代中期・5世紀・和泉期大地震 -東京都調布市染地遺跡第128 地点SI04 の調査から-|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
古墳時代中期のある日、多摩川左岸に作られた染地ムラを巨大な地震がおそった。ガタガタの後、強烈な上下動が長く続き、地面は家ごとぐわんぐわんと上下にうねり、誰も立っていられない。そして、とうとう家がななめに傾き始め、柱はズブズブと地下に沈み込んだ。柱とともに重たい屋根もスローモーションをみるように崩れていった。 |
タイトル |
神奈川県の遺跡から 見つかった地震跡 |
英語タイトル |
Traces of Earthquake Found in the Archaeological Sites in the Kanagawa Prefecture, Kanto, Japan |
著者 |
上本 進二
, UEMOTO Shinji
|
ページ範囲 |
174 - 175
|
NAID |
|
都道府県 |
神奈川県
|
時代 |
旧石器
縄文
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
鎌倉
南北朝
室町
戦国
安土桃山
江戸
明治
大正
|
文化財種別 |
|
史跡・遺跡種別 |
洞穴
城館
墓
古墳
横穴
|
遺物(材質分類) |
自然物
|
学問種別 |
考古学
地質学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=進二|last=上本|contribution=神奈川県の遺跡から 見つかった地震跡|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
神奈川県内の遺跡から検出された地震の痕跡を約200ヶ所調査した結果を集成した。台地・丘陵の遺跡では、関東ローム層特有の層面すべりによる遺構の水平移動、軽石が風化して粘土化した層に発生するパミスダイクなどが多数検出されている。低地の遺跡では、液状化による側方流動、噴砂・噴礫が検出されている。 |
タイトル |
昔の痕跡を今に活かす -考古学の社会貢献- |
英語タイトル |
Making Use of Disaster Traces of the Past in the Present: Archaeology's Contribution to Society |
著者 |
矢吹 俊男
, YABUKI Toshio
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ページ範囲 |
176 - 183
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NAID |
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都道府県 |
北海道
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時代 |
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文化財種別 |
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史跡・遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
地質学
その他
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=俊男|last=矢吹|contribution=昔の痕跡を今に活かす -考古学の社会貢献-|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
考古学は、具体的なモノを通じて多くの人々に過去の文化的価値を知ってもらう役割と今と過去をつなぐ力を持っていると考える。今と昔をつなぐ力、それは考古学が減災への社会的な貢献を有しているとも考えられる。 研究の積み重ね(経験知)や専門性(専門知)、地域の知見(地域知)でなされる考古学の成果を地域に還元し、活かすことができれば地域の減災に役立つと考え、「災害から身を守り、生き抜く」という大きな地域課題を解決する手がかりを探ってみたい。 併せて、考古学と社会教育との連携・協働ということも考えてみたい。 |
タイトル |
災害・防災考古学の方法 |
英語タイトル |
Archaeological Method of Disaster Sites and Prevention |
著者 |
斎野 裕彦
, SAINO Hirohiko
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ページ範囲 |
184 - 197
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NAID |
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都道府県 |
宮城県
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時代 |
弥生
平安
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文化財種別 |
史跡
歴史資料
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史跡・遺跡種別 |
集落
官衙
田畑
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遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
その他
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=裕彦|last=斎野|contribution=災害・防災考古学の方法|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
2022年9月の日本災害・防災考古学会の設立をふまえて、災害・防災考古学の方法を提起した。従来の災害考古学と対象は変わらないが、災害痕跡とともに、人類の行動を示す防災痕跡を重視する研究分野である。防災痕跡には、防災遺構と防災行動痕跡があり、特に後者は、突発的で大規模な災害だけでなく、継続的で小規模な災害においても、考古学的に明らかにできることを示し、人類の行動を共通項として現代の防災に大きな貢献が期待されることを指摘した。 |
タイトル |
史跡の防災を考える |
英語タイトル |
Consideration on Disaster Risk Management of Historic Sites |
著者 |
高妻 洋成
, KOHDZUMA Yohsei
|
ページ範囲 |
198 - 203
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NAID |
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都道府県 |
熊本県
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時代 |
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文化財種別 |
史跡
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史跡・遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
文化財科学
その他
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=洋成|last=高妻|contribution=史跡の防災を考える|title=第2回 日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集|date=2023-09-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132325|doi=10.24484/sitereports.132325}}
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抄録(内容要約) |
発災と応急対応、復旧と復興、減災、災害時緊急対応策の準備からなる防災スパイラルという考え方から、史跡の防災について考えてきた。災害は繰り返し起きるということを前提に史跡の防災に取り組んでいかなければならない。史跡を災害からまもるということは、大切な文化財を継承していくという観点から重要である。被災した史跡をどのように再整備するのか、史跡が被災しないようにするためにはどのような対策を考えるのか、想定外の状況に備えて日常的にどのような緊急時対応体制を整えておくのか、検討すべき課題は多い。 |
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