貞観津波襲来当時の多賀城跡南方潟湖残存説に対する批判
Criticism against the Theory that a Lagoon Remained in the South of Tagajo Fort Site at the Time of the Attack of the 869 Jogan Tsunami
柳澤 和明
( YANAGISAWA Kazuaki )
『沼向遺跡』の潟湖存在説は、縄文時代後期から近世まで一貫して、多賀城跡南方に潟湖が存在したとするものである。公表された10枚の『沼向遺跡』「仙台平野北部微地形環境変遷想定図」は、すべて作図根拠が不明で、実証性がない。この潟湖残存説は実証的ではなく、認められない。論文や発掘調査報告書で引用して使うことはできない。多賀城跡南方は、弥生時代中期には泥炭層(腐植土層)が形成されて陸地化・後背湿地化しており、潟湖はすでに消滅していた。