仙台平野における超巨大地震津波間隔500-800 年説批判-石巻市震災遺構門脇小学校展示の産総研コアの年代に関する考古学的検証-
Critical Review of the 500-800 Years Intervals of Super-Mega Earthquake Tsunami in the Sendai Plain - Archaeological Verification of the Dating of the AIST Core Exhibited at the Ishinomaki City Kadonowaki Elementary School Ruins of the 2011.3.11 Tsunami -
相原 淳一
( AIHARA Junichi )
超巨大地震津波間隔500-800 年説批判
以上、宮城県内の弥生時代中期の津波被災遺跡を中心に概観した。福島県南相馬市小高区で見つかった西暦430年頃あるいは550-680calADの津波堆積物は今のところ明確なものは見当たらない。小高区コアの中位イベント砂層Cの220-650calADの時期に相当する津波堆積物は相馬市松川浦B・C地点においても確認されており、福島県浜通り地方の発掘調査では、今後充分に注意していかなければならない事項であるとともに、過年度の報告書もいま一度検討してみる必要性があろう。
その後の調査(松本・先家2017、高清水ほか2022)でも年代を充分に絞り切れないようではあるが、下限の年代は仙台平野では古墳時代後期~仙台郡山遺跡のⅠ期官衙創建期の移行期にあたり、古代史への影響も大きく、年代・浸水域ともに慎重な検討が望まれる。
石巻市震災遺構門脇小学校における「石巻平野と巨大津波」の869年貞観津波堆積物のひとつ前を4~5世紀、ふたつ前を紀元前4~5世紀、あるいはひとつ後を1454年享徳地震津波の可能性とするのは、 『平成17-21年度統括成果報告書』(地震本部2010)、『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)』(地震調査研究本部地震調査委員会2011)の引き写しに過ぎず、石巻・仙台平野の個別ボーリングデータとも、発掘調査成果とも整合しない。
地震や津波の被害を最小限に食い止めるためには、その周期性をつかむことが重要であり、1000年周期、500-800年周期、600年周期と、波源域も含め、様々な説明がなされている。逆にその周期性に関する仮説的なものの見方がバイアスとなり、本質を見失うことにもなりかねない。過去の災害痕跡を実証していくのは、紛れもなく現代考古学の守備範囲であり、使命でもある。
以上、宮城県内の弥生時代中期の津波被災遺跡を中心に概観した。福島県南相馬市小高区で見つかった西暦430年頃あるいは550-680calADの津波堆積物は今のところ明確なものは見当たらない。小高区コアの中位イベント砂層Cの220-650calADの時期に相当する津波堆積物は相馬市松川浦B・C地点においても確認されており、福島県浜通り地方の発掘調査では、今後充分に注意していかなければならない事項であるとともに、過年度の報告書もいま一度検討してみる必要性があろう。
その後の調査(松本・先家2017、高清水ほか2022)でも年代を充分に絞り切れないようではあるが、下限の年代は仙台平野では古墳時代後期~仙台郡山遺跡のⅠ期官衙創建期の移行期にあたり、古代史への影響も大きく、年代・浸水域ともに慎重な検討が望まれる。
石巻市震災遺構門脇小学校における「石巻平野と巨大津波」の869年貞観津波堆積物のひとつ前を4~5世紀、ふたつ前を紀元前4~5世紀、あるいはひとつ後を1454年享徳地震津波の可能性とするのは、 『平成17-21年度統括成果報告書』(地震本部2010)、『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)』(地震調査研究本部地震調査委員会2011)の引き写しに過ぎず、石巻・仙台平野の個別ボーリングデータとも、発掘調査成果とも整合しない。
地震や津波の被害を最小限に食い止めるためには、その周期性をつかむことが重要であり、1000年周期、500-800年周期、600年周期と、波源域も含め、様々な説明がなされている。逆にその周期性に関する仮説的なものの見方がバイアスとなり、本質を見失うことにもなりかねない。過去の災害痕跡を実証していくのは、紛れもなく現代考古学の守備範囲であり、使命でもある。