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二子塚

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/15582
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.15582
引用表記 熊本県教育委員会 1992 『熊本県文化財調査報告117:二子塚』熊本県教育委員会
熊本県教育委員会 1992 『二子塚』熊本県文化財調査報告117
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ファイル
書名 二子塚
発行(管理)機関 熊本県教育庁教育総務局文化課 - 熊本県
有償頒布・配布ページ http://www.kumamoto-bunho.jp/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな ふたごつか
副書名 熊本内陸工業用団地造成事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 熊本県文化財調査報告
シリーズ番号 117
編著者名
編集機関
熊本県教育委員会
発行機関
熊本県教育委員会
発行年月日 19920331
作成機関ID 43000
郵便番号 862
電話番号 0963831111
住所 熊本市水前寺6丁目18番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 二子塚遺跡出土弥生土器の分類と編年
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 341 - 358
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 編年
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引用表記
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡出土土器を形態と法量により分類した。台付甕の胴部、口縁部、脚台部の形態変異を捉えて型式組列を編み、これを軸として住居址単位の土器組成を検討した。その結果、7段階の様相の変遷を捉え、住居址の切合関係から時間的前後関係を検証した。
二子塚遺跡の弥生土器は、形式学的検討と層位学的検討の結果、Ⅰ〜Ⅶ段階に編年された。
タイトル 二子塚遺跡出土土器の時期
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 359 - 362
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 編年 年代特定
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引用表記
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡の土器には、後期初頭の段階及び津袋I期に相当する段階、すなわち後期前葉の段階はない。このことから、二子塚遺跡の弥生集落は後期中葉に出現するものと考える。
二子塚遺跡の土器には、脚台のない長胴甕の段階や古閑期の段階に属する土器群はない。すなわち、二子塚遺跡の土器は、庄内式併行期より前代に属する土器群であり、高脚化した台付甕は庄内式併行期の直前段階を示している。
タイトル 免田式土器の分類と構造
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 363 - 394
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 編年 年代特定
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡の免田式土器を、紋様構造と土器の形態及び施紋位置によりⅠ〜Ⅶ類に分類し、時期的変遷を整理した。その結果、免田式土器は、 当初からI類とりわけI a 類を基調とした極相を呈し、定常状態を保ったまま終止する、と結論した。つまり、免田式土器が時期的に変遷するとした知見は、少なくとも二子塚遺跡においては成立しない。
二子塚遺跡の免田式土器の出土状況を整理した結果、免田式土器は遺構の種別に応じた廃棄の契機を考える必要があること、集落内の道路の北側しかも中心部と考えられる範囲に凝集すること、条溝では鍛冶遺構近くの2箇所に多量出土箇所が特定できること、が判明した。
タイトル ジョッキ形土器の分類と構造
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 395 - 404
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ 編年 年代特定
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡のジョッキ形土器を、把手形状、体部紋様、法量、底部形状によりⅠ〜Ⅲ類に分類し、時期的変遷を整理した。その結果、二子塚遺跡におけるジョッキ形土器は、全時期に分布するものの、いくつかの類型が中途消滅し、出土数も減少すること、時期を経るごとに出現比率が低下することが判明した。二子塚遺跡においては、ジョッキ形土器は弥生時代後期前半には成立し、弥生時代後期後半に消滅する様相を呈している。ジョッキ形土器は集落内道路の縁辺部に列状に分布するため、二子塚遺跡におけるジョッキ形土器は、 移入、それも集落外からの開拓的動機を帯びた類の移入土器であると推論する。
タイトル 二子塚遺跡の鉄器生産遺構と遺物
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 405 - 420
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 石器 金属器
学問種別 考古学
テーマ 技法・技術 文化系統 調査技術
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡では、住居址と同様の竪穴遺構に鉄器生産の痕跡を残す遺構が 4 軒検出さ れた。このうち2軒は調査時に鍛冶遺構と認定できたため綿密な発掘調査を行い、豊富な情報を得ることができた。鍛冶遺構より出土した遺物には土器、石器、木炭、鉄製品がある。土器は、一般の竪穴住居に比べ極端に少ない。石器は、川原石を素材とした礫石器を中心に組成する。木炭は、炉底を構成する要素であるとともに燃料でもある。最も出土量が多い鉄製遺物は、製品・未製品、鍛冶具、鉄片、微小鉄片、鉄滓に分類することができる。
タイトル 弥生後期集落の成立と展開
英語タイトル
著者
無記名
ページ範囲 421 - 429
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器 金属器
学問種別 考古学
テーマ 技法・技術 編年
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡は、弥生時代の集落全体を調査した例として大津町西弥護免遺跡に次いで、 2 例目の調査である。集落の南側には迫地形とその崖面が控え、東西は迫地形から伸びる支谷で画されている。これら南側は集落の背面、東西は側面であり、集落の正面は熊本平野を望む北側である。
二子塚集落は、I段階には環壕がないものの、集落への入り口は前代の墓葬との関係で意識されていた可能性がある。II段階には環濠が巡り集落の中心域は楕円形の広場状の空間となる。そしてII段階、IV段階と道状の空白地帯が明確になってくる。集落は、IV段階に最大規模となるが、V段階、VI段階と住居が減少し偏在するようになり、最小規模のVII段階を最後に消滅した。
タイトル 二子塚遺跡出土鉄器及び鍛冶関連遺物の金属学的調査
英語タイトル
著者
大澤 正己 , OHSAWA Masami
ページ範囲 431 - 466
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 金属器
学問種別 文化財科学
テーマ 技法・技術 素材分析
他の電子リソース
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抄録(内容要約) 弥生時代の鍛冶作業は、鍛冶原料鉄の存在、その形状、その材質など、不鮮明な点が多い。二子塚遺跡において不明鉄器と称する鉄板片は板状素材の半製品の可能性が指摘できた。形状は4cm幅で厚み2mmを計り長さは幅の 3 倍以上が想定され、材質は極低炭素鋼を充当し薄板成形後に焼きならしを施している。鉄滓4点は、鍛錬鍛冶に関する作業で排出された滓に分類された。微細な粒状滓と鍛造剥片が付着した鉄滓は、鍛冶作業での沸し、素延べ・火造りの鍛打を実証する。二子塚遺跡の鍛冶は、半製品の鏨切り主体の原始鍛冶と、一部鉄滓と微細遺物を発生させるやや進展した鍛冶があったと推定される。
タイトル 弥生鉄器の諸問題
英語タイトル
著者
村上 恭通 , MURAKAMI Yasuyuki
ページ範囲 467 - 470
NAID
都道府県 熊本県
時代 弥生
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 金属器
学問種別 考古学
テーマ 技法・技術 資料紹介 流通・経済史
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 二子塚遺跡における弥生時代後期の鉄製品は、素環頭短剣、小型短剣、鉄鏃といった武器、大小の袋状斧、鉇、刀子、棒状鉄器といった工具、鋤先、摘鎌、曲刃鎌といった農具からなる。利器は鉄器化し、すべて鍛造品で在地生産品と考えられ、中国東北地方や朝鮮半島製品は含まれていない。弥生時代中期までは舶載鉄器が散見されるが、後期になると舶載鉄器がなくなる点は熊本 県域の特徴である。鉄素材を入手し、鉄器を自給的に生産するシステムが確立していたのであろう。
タイトル 鉄器生産の諸問題
英語タイトル
著者
村上 恭通 , MURAKAMI Yasuyuki
ページ範囲 471 - 478
NAID
都道府県 熊本県
時代
文化財種別 史跡
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 金属器
学問種別 考古学
テーマ 技法・技術 編年 資料集成
他の電子リソース
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wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=恭通|last=村上|contribution=鉄器生産の諸問題|title=二子塚|date=1992-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/15582|location=熊本市水前寺6丁目18番1号|ncid=BB10821864|doi=10.24484/sitereports.15582|series=熊本県文化財調査報告|volume=117}} 閉じる
抄録(内容要約) 熊本県内では弥生時代後期の鍛冶遺構が多数知られており、その遺跡数は国内でも最多である。二子塚遺跡の鍛冶遺構は詳細な発掘調査と分析が行われ、かつ報告される初例となる。鍛冶炉に 向かって一方向から風が送られ、また一カ所に鉄床石が据えられて、一人の工人が鍛打作業や鏨による鉄板の切断作業を行う鍛冶工房を復元した。鍛冶具は石製の鎚、鉄床石、砥石、鉄製鏨からなり、鏨を用いた鉄板の裁断により様々な形状の三角形鉄片が生じる。
所収遺跡
遺跡名 二子塚遺跡
遺跡名かな ふたごつかいせき
本内順位 1
遺跡所在地 熊本県上益城郡嘉島町大字甘木
所在地ふりがな くまもとけんかみましきぐんかしままちおおあざあまぎ
市町村コード 43442
遺跡番号 34
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 324452
東経(世界測地系)度分秒 1304734
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 32.747777 130.792777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19881219-19891005
19891011-19900329
調査面積(㎡)
35200
調査原因 工場
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
集石
埋設土器
主な遺物
押型紋土器
黒川式粗製深鉢
打製石槍
打製石鏃
特記事項 埋設土器
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
甕棺墓
竪穴住居
条溝
主な遺物
甕棺
弥生土器
青銅鏡片
管玉
勾玉
鉄製品
石製品
特記事項 拠点集落(住居群+鍛冶工房+道路+条溝)の変遷
種別
時代
古墳
主な遺構
円墳
主な遺物
刀子
鉄鏃
素環轡
耳環
土師器
須恵器
馬歯
特記事項 赤色顔料を塗布した石障+周溝への馬殉葬
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物
柵列
主な遺物
須恵器
土師器
布目瓦
鞴羽口
特記事項 衙の構造(建物配置+柵列+広場+墨書土器+鞴羽口)
遺跡名 二子塚古墳
遺跡名かな ふたごつかこふん
本内順位 2
遺跡所在地 熊本県上益城郡嘉島町大字甘木
所在地ふりがな くまもとけんかみましきぐんかしままちおおあざあまぎ
市町村コード 43442
遺跡番号 35
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
19881102-19881208
調査面積(㎡)
300
調査原因 工場
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
円墳(横穴式石室(コの字形死床配置
割石積))
主な遺物
鉄刀
特記事項 近隣で樽形ハソウが表採されている
要約 二子塚は縄紋時代、弥生時代、古墳時代及び古代の遺構と遺物から構成された複合遺跡である。主な遺構は、縄紋時代早期の集石 3 群、縄紋時代晩期の埋設土器 2 基、弥生時代中期の甕棺墓 6 基、弥生時代後期の住居 267 軒、条溝 1 条、古墳時代後期の円墳 4 基、 古代の掘立柱建物 18 棟、柵列 3 条である。
弥生時代後期の集落の特徴は、多量の鉄製品と鍛冶工房の保有である。鍛冶工房以外から 339 点の鉄製品が出土した。器種の判明するものは破片を含めて 250 点、不明なものが 89 点ある。その内訳は、素環頭短剣 1 点、小型 短剣形鉄製品 3 点、鉄鏃 78 点、袋状鉄斧 13 点、鉇 30 点、刀子 24 点、棒状鉄器 37 点、方形板鍬先 3 点、 鉄鎌 13 点、摘鎌 31 点、その他 17 点である。 集落内では 4 軒の鍛冶工房が確認された。いずれも集落縁辺部に位置し、集落の展開期から最盛期にかけて営まれた工房である。鍛冶工房には瓢箪形を呈する鍛冶炉又は地床炉が備わり、石鎚、鉄床石、砥石等の石器、少量の鉄製品と多量の鉄破片が出土している。 鍛冶の形態は、鏨を使用した切断、低温の炉を用いた加熱、石鎚、鉄床石を用いた鍛打、砥石を用いた研磨が想定され、鏨以外はすべて石器を用いるところに特徴がある。

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