弥生後期集落の成立と展開
無記名
二子塚遺跡は、弥生時代の集落全体を調査した例として大津町西弥護免遺跡に次いで、 2 例目の調査である。集落の南側には迫地形とその崖面が控え、東西は迫地形から伸びる支谷で画されている。これら南側は集落の背面、東西は側面であり、集落の正面は熊本平野を望む北側である。
二子塚集落は、I段階には環壕がないものの、集落への入り口は前代の墓葬との関係で意識されていた可能性がある。II段階には環濠が巡り集落の中心域は楕円形の広場状の空間となる。そしてII段階、IV段階と道状の空白地帯が明確になってくる。集落は、IV段階に最大規模となるが、V段階、VI段階と住居が減少し偏在するようになり、最小規模のVII段階を最後に消滅した。
二子塚集落は、I段階には環壕がないものの、集落への入り口は前代の墓葬との関係で意識されていた可能性がある。II段階には環濠が巡り集落の中心域は楕円形の広場状の空間となる。そしてII段階、IV段階と道状の空白地帯が明確になってくる。集落は、IV段階に最大規模となるが、V段階、VI段階と住居が減少し偏在するようになり、最小規模のVII段階を最後に消滅した。