URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/112113
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DOI 二次元コード |
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DOI |
http://doi.org/10.24484/sitereports.112113
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引用表記 |
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター 2016 『研究紀要』公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
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公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター 2016 『研究紀要』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=剛|last=鬼頭|first2=和暁|last2=川添|first3=宏幸|last3=永井|first4=立人|last4=石黒|first5=昇|last5=樋上|first6=健司|last6=宮腰|first7=浩二|last7=早野|first8=恵介|last8=鈴木|first9=真美子|last9=堀木|first10=正明|last10=池本|first11=邦仁|last11=永井|first12=誠一|last12=蔭山|first13=正貴|last13=鈴木|first14=真木|last14=武部|first15=訓|last15=松田|title=研究紀要|origdate=2016-05|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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ファイル |
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書名 |
研究紀要 |
発行(管理)機関 |
(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
- 愛知県
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書名かな |
けんきゅう きよう |
副書名 |
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巻次 |
17 |
シリーズ名 |
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シリーズ番号 |
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編著者名 |
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編集機関 |
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
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発行機関 |
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
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発行年月日 |
20160500 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
4980017 |
電話番号 |
0567674163 |
住所 |
愛知県弥富市前ケ須町野方802-24 |
報告書種別 |
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
考古学に関る自然科学はいかにして「科学」たりうるか 古地震を例にした検証の必要性 |
英語タイトル |
|
著者 |
鬼頭 剛
|
ページ範囲 |
1 - 10
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
戦国
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
地質学
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=剛|last=鬼頭|contribution=考古学に関る自然科学はいかにして「科学」たりうるか 古地震を例にした検証の必要性|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
愛知県清須市の清洲城下町遺跡において西暦1586 年の「天正地震」に伴うとされた地震痕について発生時期の検討を行なった。震源地震を特定できない可能性があり、考古遺跡でみられる地震痕を地質学、とくに層序学・堆積学的に捉えると報告される古地震情報には検討の余地を感じる。考古遺跡から発信される地震痕について検証の必要性を問う。 |
タイトル |
縄文時代後晩期における剥片石器石材について —尾張・三河地域の剝片石核類から— |
英語タイトル |
|
著者 |
川添 和暁
|
ページ範囲 |
11 - 30
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
縄文
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
石器
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学問種別 |
考古学
|
テーマ |
技法・技術
素材分析
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=和暁|last=川添|contribution=縄文時代後晩期における剥片石器石材について —尾張・三河地域の剝片石核類から—|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、剝片石器石材を論じるため、剝片石核類に焦点を当てて概観したものである。原産地および流通経路などの研究が進む下呂石・サヌカイト・黒曜石・設楽安山岩(只持安山岩)などを取り上げ、残存法量および剝片作出の様子などを観察した。その結果、縄文時代中期後半の黒曜石で見られる現象に対比して、縄文時代後期中葉頃では、特定遺跡において、各種石材の剝片・石核が大型の石塊として遺跡内に残される事例があることを指摘した。また、下呂石角礫の剝片については、縄文時代晩期前半を中心として石鏃製作とは無関係に剝片がもたらされている事例も明らかにした。 |
タイトル |
尾張平野における縄文文化より弥生文化への移行過程 |
英語タイトル |
|
著者 |
永井 宏幸
|
ページ範囲 |
31 - 38
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
縄文
弥生
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=宏幸|last=永井|contribution=尾張平野における縄文文化より弥生文化への移行過程|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
本稿は、壺形土器の組成比率から農耕文化の成立をかんがえる。縄文から弥生への移行過程をかんがえるとき、大型壺の成立が大きく関与していることは従来から指摘されている。しかしながら、大型壺を含め壺が土器組成全体のなかでどのくらいの比率であるか、あるいは壺の比率がどう変遷するのか、その移行過程を各地域で論ずることは少なかった。本稿では、尾張平野の4つ遺跡(山中遺跡・三ツ井遺跡・月縄手遺跡・朝日遺跡)をとりあげる。あわせて、これら4つの遺跡を検討する中で派生する問題点について指摘した。 |
タイトル |
方形周溝墓の時期決定をめぐる二、三の問題— 伊勢湾岸域を中心として — |
英語タイトル |
|
著者 |
石黒 立人
|
ページ範囲 |
39 - 48
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
弥生
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
墓
|
遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=立人|last=石黒|contribution=方形周溝墓の時期決定をめぐる二、三の問題— 伊勢湾岸域を中心として —|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
伊勢湾岸域の方形周溝墓は弥生前期に出現するとこれまで考えられてきた。しかし、山中遺跡他の報告を検討すると積極的な根拠は見出せず、むしろ時期判定が困難である事が明らかになった。また、それに関連して他遺跡の事例についても調査方法や報告にまつわる恣意的な判断が浮き彫りになった。調査事実の客観性を如何に保つのか、あるいは無理な判断を如何に避けるのか、それが大きく問われることを指摘した。 |
タイトル |
朝日遺跡出土木製品の出土地点および器種・樹種組成についての再検討 |
英語タイトル |
|
著者 |
樋上 昇
|
ページ範囲 |
49 - 60
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
弥生
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
木製品
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
素材分析
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=昇|last=樋上|contribution=朝日遺跡出土木製品の出土地点および器種・樹種組成についての再検討|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
『朝日遺跡Ⅶ』で筆者が報告・分析して以降、2004 ~ 2007 年度の発掘調査で、さらに429 点もの木製品が出土した。これをうけて、本稿では1511 点におよぶ朝日遺跡出土木製品を、出土地点・器種組成・樹種組成の変遷と器種・樹種の相関関係の視点で新たに分析し直した。 |
タイトル |
「柳ケ坪型土器」について |
英語タイトル |
|
著者 |
宮腰 健司
|
ページ範囲 |
61 - 68
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
弥生
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土器
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=健司|last=宮腰|contribution=「柳ケ坪型土器」について|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
有段口縁壺の内外面に羽状刺突を施された土器が「柳ケ坪型土器」として初めて認識されたのは1952 年の柳ケ坪遺跡の調査であった。その後事例は増え、名称も定着してきた。本稿では柳ケ坪型土器の要素のひとつである口縁部の内外面刺突に着目し、定義や分類・変遷・分布といった基礎的な問題について整理した。 |
タイトル |
東三河の淡輪系円筒埴輪―豊川市石堂野B遺跡出土円筒埴輪の再検討― |
英語タイトル |
|
著者 |
早野 浩二
|
ページ範囲 |
69 - 86
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=浩二|last=早野|contribution=東三河の淡輪系円筒埴輪―豊川市石堂野B遺跡出土円筒埴輪の再検討―|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
豊川市石堂野B遺跡の古墳時代の遺構と遺物を再検討し、TK47 型式期からMT15 型式期、5世紀末葉から6世紀初頭の径12m の円墳(または方11m の方墳)に淡輪系円筒埴輪が用いられていることを明らかにした。併せて近在する船山古墳に石堂野B遺跡と類似する淡輪系埴輪が採用されていたことを示し、同一の生産窯から埴輪が供給されていたことをも推測した。また、小古墳に淡輪系埴輪が採用される状況と須恵器系埴輪の供給関係についても一定の見通しを示した。 |
タイトル |
古墳時代後期ガラス小玉の製作技法その2—東三河2遺跡の分析— |
英語タイトル |
|
著者 |
鈴木 恵介
堀木 真美子
|
ページ範囲 |
87 - 98
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
古墳
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
ガラス
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
技法・技術
素材分析
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=恵介|last=鈴木|first2=真美子|last2=堀木|contribution=古墳時代後期ガラス小玉の製作技法その2—東三河2遺跡の分析—|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
古墳時代後期のガラス小玉製作技法については、近年各地で調査・分析が進んでいる。なかでも鋳型によって製作されたガラス小玉については、製作を行った鋳型の完形品が発見された話題もある。本稿では、あらたに東三河地域の相生塚古墳、稲荷山1 号墳から出土したガラス小玉の成分の分析と製作技法の分類を行い、これまでに分析を行った他の事例との比較を行った。 |
タイトル |
八巻古窯群の木葉状線刻(木葉圧痕)について |
英語タイトル |
|
著者 |
池本 正明
|
ページ範囲 |
99 - 108
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
古代(細分不明)
|
文化財種別 |
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=正明|last=池本|contribution=八巻古窯群の木葉状線刻(木葉圧痕)について|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
東浦町八巻古窯群では、碗の内底部に木葉状線刻(木葉圧痕)を施す事例が40 点以上出土している。本稿ではこれらが同一の目的で施されたものと仮定し、資料の性格を考察する。 まず、史料などの検討から、古代には葉椀・葉盤などと呼称された植物質の容器が祭器として使用されていた事を指摘し、木葉状線刻(木葉圧痕)を施す碗をこうした祭器の系譜を引くものと想定する。また、八巻古窯群に類似した資料がほぼ同時期の山茶碗窯にも散見できる事から、こうした祭祀が当地域においてやや広域に存在していた状況も想定する。 |
タイトル |
続・東海地方の古代瓦塔研究ノオト |
英語タイトル |
|
著者 |
永井 邦仁
|
ページ範囲 |
109 - 120
|
NAID |
|
都道府県 |
|
時代 |
古代(細分不明)
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
技法・技術
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=邦仁|last=永井|contribution=続・東海地方の古代瓦塔研究ノオト|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
8 世紀の東海地域における瓦塔について、独特の軸部表現技法をもとに設定した猿投窯型を中心に、今度は屋蓋部にも注目してその全体プロポーションを概観した。それは8 世紀後半段階に全体の大型化に加えて屋蓋部の大型化という2つの指向性をもっていたが、やがて屋蓋部を強調する点のみになり、9 世紀初頭には極端に高さの詰まった小型の瓦塔へ変貌したと推察した。 |
タイトル |
愛知県一宮市清郷遺跡の鍛冶遺構 |
英語タイトル |
|
著者 |
蔭山 誠一
|
ページ範囲 |
121 - 136
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
古代(細分不明)
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
その他の生産遺跡
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=誠一|last=蔭山|contribution=愛知県一宮市清郷遺跡の鍛冶遺構|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
愛知県一宮市所在の清郷遺跡は、古代の鍛冶遺構と竪穴遺構、これらの遺構に伴う鍛冶関連資料が調査されており、一連の鍛冶工人・工房に営まれたものである。今回は調査された鍛冶遺構について、江戸時代の大鍛冶の遺跡である岡山県福見口遺跡と小鍛冶の遺跡である大阪府難波宮址NW—4 調査地6 区の調査事例を参照に、清郷遺跡の鍛冶遺構と出土した椀型滓の分析を行い、鍛冶の工程を推定し、鍛冶遺構の作業内容を復元した。 |
タイトル |
西三河における中世集落の成立と展開 |
英語タイトル |
|
著者 |
鈴木 正貴
|
ページ範囲 |
137 - 152
|
NAID |
|
都道府県 |
|
時代 |
古代(細分不明)
中世(細分不明)
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
集落
|
遺物(材質分類) |
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=正貴|last=鈴木|contribution=西三河における中世集落の成立と展開|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
西三河地域の古代から中世までの集落遺跡を概観し、12 世紀後葉頃に中世集落が成立するという画期があることを示した。この画期は1)単数または複数の建物を持つ区画としての屋敷ができ、2)建物は掘立柱建物が主体となり、3)屋敷には区画溝や井戸などが設定されるという変化があり、11世紀から12 世紀には多くの集落遺跡で断絶が認められた。屋敷の起源は豪族居館や古代官衙などに求められると思われるが、西三河では中世初期になってようやく屋敷が一般的な集落に適用されるようになったといえる。 |
タイトル |
大窯成立期の工房の様相について—桑下東窯跡の事例から— |
英語タイトル |
|
著者 |
武部 真木
|
ページ範囲 |
153 - 162
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
戦国
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
窯
|
遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
技法・技術
|
他の電子リソース |
|
引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=真木|last=武部|contribution=大窯成立期の工房の様相について—桑下東窯跡の事例から—|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
桑下東窯跡において確認された大窯第1 段階を中心に操業した工房跡は、これまでの山茶碗・古瀬戸窖窯にはなかった規模をもち、多様な施設が配置された類例のないものであった。ただし、調査事例に乏しいことが大窯期の工房の実態について比較や評価を困難なものにしている。そこで隣接する桑下城跡・上品野西金地遺跡の調査成果、および大窯導入の主要な目的である「量産化」を手掛かりに、桑下東窯跡の工房・製品・立地について再評価を試み、大窯成立期を代表する工房の様相として提示できるとの見通しを得た。 |
タイトル |
近世焼塩製産と「その後」 |
英語タイトル |
|
著者 |
松田 訓
|
ページ範囲 |
163 - 178
|
NAID |
|
都道府県 |
愛知県
|
時代 |
近世(細分不明)
|
文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
|
遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
|
学問種別 |
考古学
|
テーマ |
|
他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=訓|last=松田|contribution=近世焼塩製産と「その後」|title=研究紀要|date=2016-05|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/112113|location=愛知県弥富市前ケ須町野方802-24|ncid=AA11568230|doi=10.24484/sitereports.112113|volume=17}}
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抄録(内容要約) |
近世遺跡から出土する焼塩壷は、消耗品であり、年代を推定する資料として有用である。しかし、内容物である焼塩については、考古学的アプローチによって実態を探ることは難しい。本稿では焼塩製産、流通の実態を考えるため、近現代の文献、民俗資料にも負ってその消長を検討し、現在では知名度が低くなってしまった一因を推察した。 |
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所収遺跡 |
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要約 |
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