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研究紀要

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/112115
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.112115
引用表記 財団法人愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2002 『研究紀要』財団法人愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター
財団法人愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2002 『研究紀要』
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書名 研究紀要
発行(管理)機関 (公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター - 愛知県
書名かな けんきゅう きよう
副書名
巻次 3
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
財団法人愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター
発行機関
財団法人愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター
発行年月日 20020300
作成機関ID
郵便番号 4980017
電話番号 0567674163
住所 愛知県弥富市前ケ須町野方802-24
報告書種別
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 遺構からみた那古野城の残影
英語タイトル
著者
松田 訓
ページ範囲 1 - 12
NAID
都道府県 愛知県
時代 近世(細分不明)
文化財種別 考古資料
遺跡種別 城館
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約) 名古屋城三の丸遺跡の調査では、事例の積み重ねによって近世の遺構のみならず、戦国時代の遺構が複数の地点で確認され、那古野城との関連が指摘されている。ここでは、これまで実体としてほとんどとらえられていなかった戦国時代の那古野城について、発掘調査によって検出された当該期の溝を資料として、分析と復元を試みる。まず、各調査地点の那古野城存立時期溝について、その時期と方位を検出地点によって比較し、その変化を整理することによって那古野城の変遷動向を推察すべく努力した。具体的には、各溝の時期を3期に区分し、方位を2群に大別することによって、どの空間が、どの時期に、どちらの方向を向いた溝を掘削しているのかを整理した。この作業により、方位を合わせて築城された那古野城が、周辺の築城当時正方位ではなく構成された空間を、その規模の拡張に伴って正方位の空間として取り込んでいったと推察する結果を得た。
タイトル 愛知県における鉄器生産を考える(6) 鍛冶に伴う礫
英語タイトル
著者
蔭山 誠一
堀木 真美子
鈴木 正貴
ページ範囲 13 - 22
NAID
都道府県 愛知県
時代 近世(細分不明)
文化財種別 考古資料
遺跡種別 その他の生産遺跡
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 鍛冶工房・工人の操業スタイルを考える上で、鉄滓等の鍛冶関連資料と伴出することのある角礫について注目した。すでに当センターにて調査・報告されている稲沢市大縄遺跡・長久手町岩作城跡・佐織町川田遺跡から出土した礫について、礫の出土状況、石材の種類・形状・大きさを分析し、その特徴を明らかにした。また、川田遺跡出土の鉄床石について紹介し、今回分析した角礫と鍛冶関連資料との関連を指摘した。
タイトル 下懸遺跡出土の木簡
英語タイトル
著者
池本 正明
福岡 猛志
ページ範囲 23 - 30
NAID
都道府県 愛知県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 木製品
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 下懸遺跡は、愛知県安城市桜井町に所在する弥生時代終末期から古墳時代前期を中心とする集落遺跡である。調査では、弥生時代終末期から古墳時代前期の居住域と、その外縁部に展開する谷地形が確認されている。本稿で資料紹介する木簡は、谷地形の上層から1点単独で出土したものである。釈文は一面が「春春春秋秋尚尚書書律」、その裏面が「令令文文□□是(カ)是人」となる。四書五経の題目などを墨書したいわゆる習書木簡である。習書木簡ではあるが、記載された内容が律令官人と関わりが窺える興味深い資料といえる。本稿では、木簡の資料紹介を主題とする。周辺の状況、伴出資料の検討から、木簡の帰属時期を推定し、記載内容についての検討を加える。
タイトル 尾張西部における中世末から近世の非ロクロ成形土師皿の諸様相
英語タイトル
著者
佐藤 公保
ページ範囲 31 - 40
NAID
都道府県 愛知県
時代 中世(細分不明)
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類) 土製品(瓦含む)
学問種別 考古学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約) 尾張では古代までは「皿」は主に須恵器・灰釉陶器であった。中世になると土師器の「皿」が出現し、中世後期になり、その量は激増する。そうした土師皿のなかには非ロクロ成形とロクロ成形のものがあり、前者は「ハレ」・「ケ」の場で主に使用されたと考えられる。中世に出現した非ロクロ成形土師皿は近世になると、大きく姿を変えていくことになる。
タイトル 三本松遺跡出土の土器埋設遺構について
英語タイトル
著者
川添 和暁
ページ範囲 41 - 48
NAID
都道府県 愛知県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 平成13 年度に刊行された『牛牧遺跡』のなかで、縄文晩期土器棺墓の検討に対して、遺構としての検討を行う視点での報告を行った。今後、縄文時代後期の「埋設土器」をはじめとする土器埋設遺構に関して、比較検討をする必要性が生じてくる。そのための基礎データーを蓄積するための一視点を提示したい。なお、この小論では、すでに報告がなされている遺跡に対して、どこまで埋納形態・過程を検証することができるのか、という一事例でもある。
タイトル 銅鐸に伴う「舌」について
英語タイトル
著者
服部 信博
ページ範囲 49 - 56
NAID
都道府県 愛知県
時代 弥生
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類) 金属器
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 弥生時代を代表する遺物は何といっても銅鐸であろう。銅鐸はその形状からみて青銅製のベルであり、金属音を発する祭器としての性格を持つ。しかし銅鐸本体のみでは音を発することはできず、当然内面突帯と触れ合う舌が必要になる。銅鐸と舌はセット関係にあった。しかし、現在までに、銅鐸本体は全国で500例近くの出土が報告されているのに対し、舌に関しては、出土例が極めて少なく、その実体はほとんど不明であった。今回、全国から出土した舌及び舌状石製品を集成し検討してみた。現状で確認できる舌には、青銅製のものと石製のものが存在し、青銅製舌に関しては、初期の銅鐸に伴い、銅鐸鋳造時に併せて舌も鋳造されていた可能性を、石製舌については使用痕の有無によって弥生中期と後期で大きく変化することを指摘することができた。また、舌の出土状況についても若干の検討を加えてみた。
タイトル 尾張低地部における小規模古墳の様相
英語タイトル
著者
宮腰 健司
ページ範囲 57 - 67
NAID
都道府県 愛知県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 朝日遺跡は弥生時代の環濠集落として著名であるが、その後の古墳時代中期~後期にも墳墓が存在する。本文では、この朝日遺跡の古墳と須恵器・土師器の分布を検討し、遺構が検出された中央部以外にも西部に古墳が存在する可能性があること、またそれらの造営に際しては、前時代の埋没しきらない方形周溝墓群の痕跡を意識して造られていること、数基単位で構成され群集しないことを指摘した。さらに、このような様相を見せる小規模古墳が尾張低地部では一般的であることを述べ、墳墓への埋葬以外に墳丘やその痕跡である高まりへの祭祀が行われていた可能性を示唆している。
所収遺跡
要約

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