遺構からみた那古野城の残影
松田 訓
名古屋城三の丸遺跡の調査では、事例の積み重ねによって近世の遺構のみならず、戦国時代の遺構が複数の地点で確認され、那古野城との関連が指摘されている。ここでは、これまで実体としてほとんどとらえられていなかった戦国時代の那古野城について、発掘調査によって検出された当該期の溝を資料として、分析と復元を試みる。まず、各調査地点の那古野城存立時期溝について、その時期と方位を検出地点によって比較し、その変化を整理することによって那古野城の変遷動向を推察すべく努力した。具体的には、各溝の時期を3期に区分し、方位を2群に大別することによって、どの空間が、どの時期に、どちらの方向を向いた溝を掘削しているのかを整理した。この作業により、方位を合わせて築城された那古野城が、周辺の築城当時正方位ではなく構成された空間を、その規模の拡張に伴って正方位の空間として取り込んでいったと推察する結果を得た。