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発行機関一覧 (都道府県別) > 宮城県 > 日本災害・防災考古学会 > 第1回 日本災害・防災考古学会 研究会資料・予稿集

第1回 日本災害・防災考古学会 研究会資料・予稿集

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129910
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129910
引用表記 日本災害・防災考古学会 2022 『第1回 日本災害・防災考古学会 研究会資料・予稿集』日本災害・防災考古学会
日本災害・防災考古学会 2022 『第1回 日本災害・防災考古学会 研究会資料・予稿集』
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書名 第1回 日本災害・防災考古学会 研究会資料・予稿集
発行(管理)機関 日本災害・防災考古学会 - 宮城県
書名かな だい1かいにほんさいがいぼうさいこうこがっかいけんきゅうかいしりょう・よこうしゅう
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
日本災害・防災考古学会
発行機関
日本災害・防災考古学会
発行年月日 20220922
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
配布資料(現地説明会・展示解説・発表要旨)・講演会資料集・ガイドブック
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
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備考
所収論文
タイトル 災害考古学と防災・減災への貢献
英語タイトル Framework of Disaster Archaeology for the Contribution to Disaster Prevention and Mitigation
著者
斎野 裕彦 , SAINO Hirohiko
ページ範囲 1 - 16
NAID
都道府県 その他
時代 弥生 平安
文化財種別 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学 地質学
テーマ その他
他の電子リソース
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抄録(内容要約) おわりに
 人類が経験してきた災害のなかで、古くから高い関心をもたれていたのは地震・火山災害である。古代ギリシャでは、紀元前426年の夏、トゥキュディデスがエーゲ海沿岸西部で起こった地震と津波による災害の記録を残し、すでに両者の連動性を指摘しており、紀元前4世紀には、アリストテレスが地震の生因と、噴火、津波との相互の関連性を思考している。その後、ローマ帝国時代には、紀元後79年の夏、イタリア中部の西海岸にあるポンペイの町がヴェスビオ火山の噴火に伴う火砕流で埋没する災害が発生し、その様子をプリニウスの残した手紙が伝えている。ポンペイは、遺跡として16世紀に発見され、1748年から発掘調査が継続して行われ、当時の町がそのままの状態で見つかり、世界文化遺産に登録されている。この研究活動の大きな成果は、文献史料(プリニウスの手紙)の内容を被災遺構の調査で検証していることと、遺跡を現地で一般に公開して防災・減災に役立てていることであり、災害考古学の原点といえる。
 近年、世界的に自然災害が増加する傾向にあるなか、欧米では、サントリーニ島の火山噴火やポンペイ遺跡のように地震・火山災害は東地中海では古くから研究対象となっているが、気候変動や環境変化が人類活動へ与えた気象災害への関心が高いのに対して、日本列島では、気象災害だけでなく、地震・火山災害への関心は高く、共に防災・減災の対象になっており、災害考古学が果たす社会的な役割は大きくなってきている。
 地球科学の一分野としての災害考古学の針路は、気象災害と地震・火山災害の痕跡を総合的に研究できる日本列島周辺において調査研究方法の確立に向けて議論を進展させて、その成果を他地域の研究者とも連携しながら共有することである。なかでも、複合的な地震災害、噴火災害、津波災害を対象とした地震・火山災害痕跡の研究(テクトニック・アーケオロジー)は、地域を越えて地球規模で進め、総合化した議論を行っていく必要がある。そして、この研究で重視されるのは、人類の寿命からすると、低頻度で発生する大きな地震・火山災害を経験によって予測することはできないが、災害考古学は、それぞれの地域で、数百年前あるいは数千年前の災害に対応した人類の行動を地形環境とともに復元し、時間を越えて、擬似的にイメージできることである。
 災害考古学にとって、日本列島は地球上で最も自然災害が多い地域の一つであることからフィールドとして重要であり、加えて日本の考古学は旧石器時代から近代まで世界に類のない豊富な発掘調査データを蓄積している地域であることから、その研究の今後には、個々の災害を前後の時期を含めて通時的に理解する方法に基づいて、日本を始め、世界各地の災害痕跡の調査や防災・減災の議論への多大な貢献が期待される。
タイトル 防災地形分類図と考古学―災害・防災考古学に地形学から期待すること
英語タイトル Archaeological Contributions to the Geomorphological Hazard Map making for Disaster Prevention
著者
阿子島 功 , AKOJIMA Isao
ページ範囲 17 - 40
NAID
都道府県 その他
時代 旧石器 縄文 弥生 古墳 古代(細分不明) 中世(細分不明) 近世(細分不明)
文化財種別 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学 地質学
テーマ その他
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) Abstract:The archaeological excavation method supports the applied Geomorphological map making for disaster prevention as the details of geomorphological history and processes in lowland and hills during the last some 1,000 years are not always known.
 The current Flood Hazard Maps in Japan come to show the simulation of high risk area in the case of the supposed extreme rainfall that is the 1-in- about 1000 years rainfall. To prove the existence or no-existence of 1 in 1000 years flood, only the archaeological method is effective now.
 In the flexible soil mapping based on boring and geomorphic reading, the knowledge of the micro-relief at some time in the past which archaeological survey excavated is helpful.
 Diagnosis of stability and un-stability of landslide slope and its movement history are also known in some excavated archaeological sites.
タイトル 歴史災害痕跡データベースの構築とその有効性
英語タイトル The construction of the Historical Disaster Evidence Database and its effectiveness
著者
村田 泰輔 , MURATA Taisuke
ページ範囲 41 - 50
NAID
都道府県 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県 岐阜県 静岡県 愛知県 三重県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県
時代 縄文 弥生 古墳 古代(細分不明) 中世(細分不明) 近世(細分不明) 近代(細分不明)
文化財種別 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) 自然物
学問種別 考古学 文化財科学 地質学 情報学 その他
テーマ 資料集成 調査技術 その他
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引用表記
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抄録(内容要約) Abstract: Evidence of past earthquakes, volcanic eruptions, and floods are sometimes discovered during archaeological excavations. Nara National Research Institute for Cultural Properties (hereafter referred to as "NABUNKEN") has been constructing and releasing the "Historical Disaster Evidence Database" constructed upon Geographic Information System (GIS) (hereafter referred to as "HDE-GISdb") by compiling disaster evidence information from excavation sites throughout Japan. Through this initiative, we aim to build an information infrastructure that will facilitate not only the elucidation of disaster occurrence mechanisms and local disaster histories but also disaster prevention and mitigation research. This paper discusses the effectiveness of HDE-GISdb by using a case study of the Palace and Capital of Nagaoka sites in Kyoto prefecture to visualize potential hazards, which cannot be read from topography, by disaster evidence recorded in Holocene and Pleistocene deposits
タイトル 古津波調査における地中レーダーの活用
英語タイトル Application of ground-penetrating radar for paleo tsunami survey
著者
菅原 大助 , SUGAWARA Daisuke
𠮷池 奏乃 , YOSHIIKE Kanano
石澤 尭史 , Takashi
ページ範囲 51 - 54
NAID
都道府県 その他
時代
文化財種別 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 地質学 その他
テーマ 調査技術 その他
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) Abstract
Use of ground-penetrating radar (GPR) is being common in recent paleotsunami study. A notable advantage of GPR survey is capability for retrieval of plenty of subsurface data, which will benefit to understand paleotopography and sedimentary environment and optimal location for sediment sampling. We can obtain better sediment samples that include as many tsunami deposits as possible, by assessing preservation potential of deposits considering the paleotopography inferred from the GPR data. GPR survey is also useful to know distribution and geometry of tsunami-related erosional features, which provide clues for reconstruction of tsunami history.
タイトル 岩手県域における縄文時代の貝塚の地理情報-東日本大震災による津波浸水域との比較-
英語タイトル Geographical Information Regarding Jomon Period Shell Mounds Ruins in the Coastal Regions of Iwate Prefecture - Comparisons with tsunami inundation zones which occurred during the Great East Japan Earthquake -
著者
駒木野 智寛 , KOMAGINO Tomohiro
ページ範囲 55 - 66
NAID
都道府県 岩手県
時代 縄文
文化財種別 考古資料 その他 文化的景観
史跡・遺跡種別 集落 貝塚
遺物(材質分類) 土器 自然物 その他
学問種別 考古学 地質学 その他
テーマ 編年 年代特定 資料集成 調査技術 その他
他の電子リソース
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抄録(内容要約) Abstract
 Of the 116 archaeological sites that have been confirmed to be shell mounds in the area of northern Sanriku within Iwate Prefecture, 92 sites are ruins from the Jomon period. 8 of these shell mound ruins are from the Initial Jomon period, 39 from the Early Jomon period, 67 from the Middle Jomon period, 51 from the Late Jomon period, and 36 from the Final Jomon period. The largest number of ruins is from the Middle Jomon period. When comparing the tsunami inundation zones during the Great East Japan Earthquake with the sites of shell mound ruins from the Jomon period in northern Sanriku, it was found that the tsunami had reached 35 sites. There are 51 Jomon ruins where an analysis of surface geological features revealed that gravel may have been transported and deposited by large tsunamis (paleotsunamis) that had occurred after the Jomon period.  Of the Jomon shell mound ruins where gravel was observed, the tsunami during the Great East Japan Earthquake had reached 18 sites.
タイトル 陸中・山田湾におけるパブリック・アーケオロジーの実践と縄文三陸津波研究
英語タイトル Public Archaeology in Yamada Bay Area and the Study of Jomon Sanriku Tunamis
著者
齋藤 瑞穂 , SAITO Mizuho
五十嵐 聡江 , IGARASHI Satoe
宅間 清公 , TAKUMA Kiyokuni
安井 健一 , YASUI Ken’ichi
鈴木 正博 , SUZUKI Masahiro
齋藤 弘道 , SAITO Hiromichi
ページ範囲 67 - 72
NAID
都道府県 岩手県 その他
時代 縄文
文化財種別 考古資料 文化的景観
史跡・遺跡種別 集落 貝塚
遺物(材質分類) 土器 自然物 その他
学問種別 考古学 博物館学 地質学 その他
テーマ 編年 年代特定 活用手法 調査技術 その他
他の電子リソース
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抄録(内容要約) Abstract
 We will present the new prospect we have encountered in our interactions with the people of Yamada Town, Iwate Prefecture, since the Great East Japan Earthquake. In this presentation, we will narrow down the archaeological chronology of tsunamis that occurred during the Jomon period and show how humans responded during that time. The tsunamis occurred 3times in Daigi 8-9 intermediate stage, the Middle Jomon Period, Sakiyama-Benten 1st stage and Hamakawame-Sawada stage, the Late Jomon Period.
タイトル 多賀城「鴻の池」地区周辺調査の学史的検討と展望
英語タイトル Historical Review and Prospects for Survey of the Konoike-Lakelet Area in Tagajo Fortress
著者
相原 淳一 , AIHARA Junichi
ページ範囲 73 - 100
NAID
都道府県 宮城県
時代 平安
文化財種別 史跡 考古資料 その他 文化的景観
史跡・遺跡種別 集落 官衙 散布地 その他
遺物(材質分類) 土器 自然物 その他
学問種別 考古学 地質学 その他
テーマ 年代特定 資料集成 調査技術 その他
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 7.津波堆積層を識別するための展望
 前章までに,2011年3月11日以前から研究史を追って,「砂の薄層」から津波堆積物へ,さらに条件が整えば,遺構内に封じ込められた津波堆積層,あるいは津波固有の堆積構造について論じて来た。基本層序に対する漫然とした観察や,学術発掘のために調査目的が限定的な場合は,本来の津波堆積層の最も大きな特質と言える水成堆積によるラミナ構造ですら,見落とされることになる。特に津波堆積層の中位に形成されるMud drapeや,津波堆積層下底面に残される火炎状構造や筋状痕跡,アメーバ状痕跡などの見落としは致命的ですらある。
(1)土層の剥ぎ取り調査法
 方法論としての土層の剥ぎ取りは,貝層などの展示や保存技術のひとつとして発達してきた。2014年の産総研の澤井祐紀による熊の作遺跡における剥ぎ取り調査法は,これまでの考古学の常識を覆す衝撃的なものであった(相原ほか2019)。剥ぎ取り試料と剥ぎ取られた土層断面はポジとネガの関係となり,剥ぎ取り薬剤は粒度の粗いものは厚く,細かいものは薄く剥ぎ取るため,平面的に削っただけではわからない土層が立体化され,微細な堆積構造や層理面が鮮明に視覚化された。また,何度でも,あるいは現場には立ち会えない研究者でも観察が可能であり,証拠の保全という意味でも,重要な意義を持つ。さらに小さく剥ぎ取った試料は実体顕微鏡での観察が可能であり,層の構成物である砂粒の大きさや円磨度を視覚化することも可能である。現場で応用可能な簡便な方法にスプレー缶(約1,000円)と古タオルによる剥ぎ取り法(戸倉1996)がある。
(2)珪藻分析
 すでに環境指標種群の詳細が明らかにされている珪藻分析も津波堆積層識別の有効な手がかりとなる。3.11津波堆積物中に含まれる珪藻は,多くは淡水生種であるが,わずかずつでも汽水生種,海水生種が含まれている。逆に,汽水生種,海水生種が全く含まれない場合は,津波堆積物ではない可能性が高い。また, 珪藻の環境指標種群に関する研究も,3.11以降長足の進歩を遂げており, 最新成果による評価が欠かせない。1 試料の分析費用が2万円程度と比較的安価に行える利点もある。
(3)被災物としての遺物 
 津波堆積層中には遺物が含まれる。自然科学研究者との貴重な架け橋となる資料でもある。北海道大学の平川一臣は,東北の古津波堆積層には北海道とは異なり,層中に多くの場合,土師器や弥生・縄文土器,製塩土器の小片が含まれていることを指摘している(相原ほか2013,相原・駒木野2014ab,駒木野・相原2014)。
 津波堆積層中に含まれる遺物は年代的に幅があり,最も新しい遺物がイベントの年代である。湿地では流出した建築部材等も含まれ,重量のある部材は下層にめり込んで検出される(荷重痕:load casting)。須恵器や土師器の割れ口は概して新鮮で,割れ口縁辺にはリタッチ状の小剥離や全体にスレの痕跡を残している。
(4)遺物の3次元情報の活用-Inbrication(インブリケーション:覆瓦構造)をとらえるために
 津波堆積層中の遺物はUnit2引き波堆積層にやや多く含まれ,ばらまかれたような状態で出土し,3.11津波被災物(山内2014:いわゆる「瓦礫」)と同様の状況を呈する。
 第21図は,新潟県村上市上野遺跡の砂礫層(土石流堆積物)中の土器の分布状況(小野本2022)である。調査地の基本層序は丘陵の山体崩壊による花崗岩質の砂礫層が幾重にも堆積し,試掘調査で「集落」の中心からは外れることが予測されていたが,砂礫層中から大量の遺物が出土することから,調査対象になった経緯がある。遺物の取り上げはトータルステーションを用い,3次元データを取得している。当初は遺物の接合関係を可視化するために全点ドットを採用したが,断面の摩耗等により遺物の接合自体がほとんど不可能であった。D3層の遺物の出土状況は調査区内に流入した土石流が拡散した様子を示し,遺物の高密度分布帯は流れの中心であることを示している。D3層の流入元をたどっていくと西側丘陵の崩落地形にあたることから,ここがD3層の発生源と推定することができる。物理法則に従う遺物の動きを可視化することに成功した貴重な研究である。
遺物の出土状況(第22図)から,明治時代に大野延太郎・鳥居龍蔵(1895)は,遺物の人為的堆積の「遺物包含層」と耕作などによって遺物が地表にばらまかれたような状態になっている「遺物散列地」とを区別した。林謙作(1973)は尖頭器と土器が共伴関係にあるか否かをめぐって繰り広げられた本ノ木論争の解決をはかるべく遺物の出土状況を整理した。層理面上に遺物が寝たような状態で出土した場合は原位置を保った安定した状態にあるとし,層中に立ったまたは斜めの状態で遺物が出土した場合,層の再堆積あるいは遺物の二次的移動の有無を判定する重要な目安とした。
 津波堆積層中の遺物は,自然の営力に任せて堆積しており,もはや「遺物包含層」ですらない。流体の中での堆積は流れに対して物理的にある一定の傾き(Inbrication覆瓦構造)を伴う。現在,遺物の取り上げには多くの場合,トータルステーションが導入され,ある程度の大きさのある遺物は傾きも含めた3次元データが記録されている。こうした遺物の傾きを集成・解析することにより,押し波・引き波の津波流向を復元することが可能となり,遺跡における津波被災の実態解明に大きく道を開くことが期待される。
タイトル 1611 年慶長奥州地震津波に関する史料と評価をめぐって
英語タイトル Research on Historical Documents and Evaluation of the 1611 Keicho Oshu Earthquake Tsunami
著者
蝦名 裕一 , EBINA Yuichi
ページ範囲 101 - 104
NAID
都道府県 青森県 岩手県 宮城県 福島県
時代 江戸
文化財種別 歴史資料
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 文献史学 その他
テーマ 資料集成 調査技術 その他
他の電子リソース
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抄録(内容要約) Abstract
 This study is a consideration of the analysis and evaluation of historical documents related to the Keicho Oshu earthquake tsunami that occurred on December 2, 1611.The historical documents describe an earthquake from Otsuchi to Edo and a tsunami along the coast from Hokkaido to Tohoku. However, the descriptions in historical documents have been partially ignored and underestimated. When researching historical earthquakes and tsunamis, it is necessary to comprehensively analyze multiple historical documents.
タイトル 南九州における火山災害史研究の諸問題
英語タイトル Recent Discussions on the History of Volcanic Hazards in Southern Kyushu
著者
桒畑 光博 , KUWAHATA Mitsuhiro
ページ範囲 105 - 114
NAID
都道府県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県
時代 縄文 平安
文化財種別 考古資料 その他 文化的景観
史跡・遺跡種別 集落 貝塚 官衙 その他
遺物(材質分類) 土器 自然物 その他
学問種別 考古学 地質学 その他
テーマ 年代特定 資料集成 調査技術 その他
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抄録(内容要約) 1.はじめに
 南九州には南海トラフ・琉球海溝に沿って火山フロントを形成する火山群が連なり、現在も活発に活動を続けている桜島や霧島火山群だけでなく、巨大噴火によって生じた凹地形であるカルデラ火山も存在する(町田ほか 2001)。このような条件によって、遺跡において地層として認識することができ、旧石器時代から近世まで各時代の考古学的調査研究への応用が可能な火山灰(テフラ)が多数分布している地域である(桒畑・東 1997)。
 古くは、大正8(1919)年の濱田耕作による橋牟礼川遺跡(鹿児島県指宿市)の調査において、縄文土器と弥生土器を初めて層位的に区分した際に火山灰が用いられた(濱田ほか 1921)。大正13(1924)年にはその成果が評価され、橋牟礼川遺跡は国指定史跡となった。1970年代後半には、姶良・鬼界の両カルデラを噴出源とする広域テフラが確認される(町田・新井 1976,1978)とともに、そのような広域指標層を利用した層位的な発掘調査・研究によって考古資料の編年が大きく進展した。このうち鬼界カルデラ起源の鬼界アカホヤテフラ(K-Ah)を鍵層として用いることにより、九州の縄文土器編年の再構築がなされた(新東 1979,1980)。さらに、テフラを考古学の調査・研究に利用した研究分野である「火山灰考古学」※1という呼称も提唱された(新東 1988)。
 その「火山灰考古学」の研究領域※2の一角をなす火山災害についての考古学的研究については、1990年代以降、縄文時代早期末の鬼界カルデラを起源とする巨大噴火に関する議論が進展し,21世紀に入って、当時の狩猟採集民に与えた影響に関する学際的な研究が取り組まれている※3。
また、先述した橋牟礼川遺跡は、成尾(1986)が命名した古墳時代の「青コラ」と平安時代の「紫コラ」という二つの開聞岳テフラによる火山災害遺跡としての学際的調査研究(永山 1996;成尾・下山 1996;成尾ほか 1997)が進められた。さらに同じ市内に所在する敷領遺跡においては、「紫コラ」で覆われた平安時代の集落跡や水田跡の学術研究プロジェクトによる発掘調査が継続的に実施され、噴火当時の景観復元や災害の実態解明が行われている(鷹野(編) 2006;鷹野(編) 2009;鷹野ほか 2014;渡部ほか 2013)。こういった一連の調査研究の蓄積により、鹿児島県指宿市域は南九州における災害考古学の研究拠点となっている(下山 2002;鎌田ほか 2009;中摩ほか 2016)。
その他、桜島火山の噴火災害については、縄文時代早期後葉の狩猟採集民への影響(桒畑 2009)や中世の耕作地への影響と復旧(桒畑 2014;桒畑 2016c;桒畑・高橋 2019)について検討が行われ、霧島火山群については、縄文時代中期の霧島御池噴火による狩猟採集民への影響(桒畑 2015)や江戸時代の霧島火山新燃岳の噴火による耕作地への影響と復旧(桒畑 2016c)について検討されている。
今回は南九州の火山災害史研究に関して二つの話題をとりあげたい。一つ目は、鬼界アカホヤ噴火の大規模火砕流による深刻な生態系の破壊とそこからの再生に関する最近の研究動向を紹介する。二つ目は、近年議論が活発化している平安時代の開聞岳噴火年代についての研究動向をレビューし若干の私見を述べたい。
タイトル 十和田10 世紀噴火と地域社会の動態
英語タイトル 10th-Century Volcanic Eruption of Towada and its Impact on Local Community Dynamics
著者
丸山 浩治 , MARUYAMA Koji
ページ範囲 115 - 132
NAID
都道府県 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県
時代 平安
文化財種別 考古資料 その他
史跡・遺跡種別 集落 その他
遺物(材質分類) 土器 自然物 その他
学問種別 考古学 地質学 その他
テーマ 年代特定 資料集成 調査技術 その他
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抄録(内容要約) 結論 ―十和田10世紀噴火に対する社会の反応―
 ここまで述べてきた不動産・動産それぞれの「律令的」「在地的」類別結果を合わせ、十和田10世紀噴火後の人的動態と噴火イベントとのかかわりを考える。
 4種の組み合わせから、国家の影響度を看取することができる(表3)。律令的建物を主体とし、ロクロ長胴甕が半数以上の比率を占める場合が最も国家の影響度が強く、在地的建物と非ロクロ長胴甕を主体とし、非ロクロ土師器甕に口縁短外反型を含まない場合が最も影響度が低いといえる。ここで一つ注意したいのが、在地的建物とロクロ長胴甕を主体とする組み合わせは存在しないという点である。建物様式にも増して、ロクロ長胴甕は国家との関係性が強い道具ということがいえる。反対に、伝統的な非ロクロ長胴甕を保持し、Ⅳ期段階では口縁短外反型甕がみられない地域は総じて在地的建物が主体である。換言すれば、口縁短外反型甕は律令的建物と関連性が強いといえる。この甕の出現地域は国家域との境界に近い⑧北上川上流域・⑨安比川流域・㉓米代川上~中流域の一帯であり、国家側との接触が比較的多い人々が製作した土器と考えられる。
以下、この組み合わせを基にして様相を述べていく。⑨安比川流域および㉓米代川上~中流域は十和田噴火後にロクロ長胴甕が急激に増加することから、集落増は国家側からの移住によるものといえる。そのいっぽうで、⑨安比川流域では噴火後に在地的建物が作られるなど伝統的様相をもつ「蝦夷」が存在していることもわかっており、特に地域北端にあたる安比川と馬淵川との合流点付近は⑪馬淵川中流域南部・十文字川流域からの避難・移住先になったと考えられる。同じく、建物様相から⑩馬淵川上流域、⑬北上山地北部、⑮久慈地域、⑯八戸平野周辺も移住先となった可能性がある。
 ⑱上北地域中部の竪穴建物は、噴火後に律令的建物主体へと変化する。同時に、口縁短外反型甕も出現する。噴火前まで過疎であった当地域の沿岸部へ移住した人々の出自は、⑧・⑨・㉓地域一帯と考えられる。⑲上北地域北部についても同様である。いっぽうで、⑱上北地域中部では噴火後に構築された在地的建物も存在する。地理的に考えても、隣接する⑰上北地域南部から避難した人々が相当数いたと思われる。また、⑰地域からの避難者は、南に隣接し伝統的な在地集団が在った⑯八戸平野周辺へも移ったであろう。その⑯地域でも、口縁短外反型甕が確認されるようになる。この甕を有する人々が⑨安比川流域から東の⑬北上山地北部へ、もしくは⑯八戸平野周辺へ北上し、さらに上北地域へと北上していったと考えられる。なお上述のとおり、⑨安比川流域と㉓米代川上~中流域には国家側からの移住行動があり、これと連関した、口縁短外反型甕を用いる在地集団の避難・移住行動の結果と考えられる。どちらの行動が先か、それに言及することは叶わないが、⑨安比川流域における共存状態をみれば、国家側が強制的に他所へ排除したとは思えない。火山災害に対して自主的に避難を実施し、被害の少ない新天地を求めたと考えられる。
これに対して、わざわざ被害の大きい⑨・㉓両地域へ移住したことの背景には、国家の強制力が働いていたと考えるのが妥当である。㉓米代川上~中流域には噴火前の段階から胡桃館遺跡のような施設が存在し、国家の進出があった。これは⑨安比川流域も同じで、噴火前すでに八葉山天台寺のエリアに礎石建物が建設され(浄法寺町教育委員会1981・1983)、国家による介入が始まっていた。噴火イベントを機に両河川流域への介入をさらに深め、国家域の北進を図ろうとした、そのための移住政策だったと考えられる。
被害度に合わせた避難が図られ、移動に関してある程度の自由度を持っていた「蝦夷」社会と、甚大な被害が及んだ地域へも強制的な移入を進めた国家。この在り方は、社会の性格差が災害対応に表出した事例といえよう。そして、被害区分エリアBおよびCの中で起こったこの異なる動きは、徳井(前掲)が示したareaⅢの定義を追認する結果ともなった。

タイトル - 中朝国境の活火山- 白頭山のミレニアム噴火、災害と日本への影響
英語タイトル Millennium Eruption of Baitoushan Volcano,Disaster and Impact on Japan
著者
谷口 宏充 , TANIGUCHI Hiromitsu
ページ範囲 133 - 152
NAID
都道府県 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 アジア州(日本除く)
時代 平安
文化財種別 考古資料 その他 文化的景観 名勝
史跡・遺跡種別 集落 祭祀 その他
遺物(材質分類) 自然物 その他
学問種別 考古学 民俗学 地質学 その他
テーマ 文化系統 年代特定 活用手法 調査技術 制度・政治 宗教 その他
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抄録(内容要約) Abstract
 Located on the border of China and North Korea, Baitou Mountain (Paektu Mountain, Changbai Mountain) is famous as one of the volcanoes representing East Asia Continent. The mountain is an active volcano and has recently experienced seismic and uplift activity from 2002 to 2005. The mountain also erupted about 1,000 years ago in the world's largest eruption in the past 2,000 years (the Millennium Eruption), and there are towns with many people living near the volcano, so there were concerns about the transition of this activity as well. Unfortunately, not much is known about this mountain、neither its geological content nor its exact historical relationship with people. In this presentation, I will give an overview of the geology and geography of the mountain. The chronological relationship between small eruptions after the Millennium Eruption and trench earthquakes in Japan is also discussed. As a result, a close relationship is established between the ages of the eruptions and the earthquake.

タイトル 16 世紀のsyphilis―勝山館跡の出土事例から―
英語タイトル Syphilis in the 16th century―Excavated examples of Katsuyama castle―
著者
塚田 直哉 , TSUKADA Naoya
ページ範囲 153 - 156
NAID
都道府県 北海道
時代 戦国
文化財種別 考古資料 有形文化財 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学 人類学 その他
テーマ 年代特定 資料紹介 資料集成 調査技術 宗教 その他
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抄録(内容要約) Abstract
 A case study of 16th-century bone syphilis excavated from the site of the Katsuyama castle located in Kaminokuni town, southwestern Hokkaido. Takao Suzuki, who examined the human bones, determined from the morphological characteristics that the four human bones belonged to the same mature man, and from the findings of the bulging (thickening) accompanied by osteosclerosis with a smooth bone surface, he diagnosed ostesyphilis.
 In addition, several burial tombs have been constructed in the area where the bones were excavated, but the person suffering from syphilis was not buried in the grave. Regarding the burial of people with syphilis, it is known that they were buried in pots in the edo period. The case excavated of Katsuyama castle is a valuable example in considering the way people thought about syphilis and the funeral procession in the muromachi period.
タイトル 近世福山城下における防疫と信仰
英語タイトル Prevention of epidemics and faith in Fukuyama Castle Town in the early modern period
著者
佐藤 雄生 , SATO Yuki
ページ範囲 157 - 164
NAID
都道府県 北海道
時代 近世(細分不明)
文化財種別 歴史資料 考古資料 有形文化財 その他
史跡・遺跡種別
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学 人類学 民俗学 その他
テーマ 資料紹介 資料集成 調査技術 その他
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抄録(内容要約) Abstract
 This paper introduces Prevention of epidemics and faith associated with the spread of infectious diseases in the castle town of Fukuyama in the early modern period.
 Since there are few records before the 18th century, specific measures against infectious diseases are unknown. However, from the 19th century onwards, it was found that preventative measures were taken, such as vaccination with smallpox vaccination established by Goroji Nakagawa and restrictions on movement from nearby epidemic areas. In parallel with epidemic prevention, there was also the practice of praying to gods and buddhas to ward off smallpox and cure illnesses.
 Fukuyama castle town had a population of 7,000 to 10,000 people despite its extremely narrow land. In addition, as a hub for the Kitamae-bune trade, many ships were coming and going, and people came and went briskly.
 Under these conditions, it is not hard to imagine that infectious diseases such as smallpox, measles, and epidemics spread due to droplet infections, airborne infections, and contact infections.
タイトル 沖縄の戦跡考古学
英語タイトル Battlefield Archaeology in Okinawa
著者
當眞 嗣一 , TOUMA Shiichi
ページ範囲 165 - 172
NAID
都道府県 沖縄県
時代 昭和
文化財種別 その他
史跡・遺跡種別 その他
遺物(材質分類) その他
学問種別 考古学 文献史学 文化財科学 人類学 民俗学 博物館学 その他
テーマ 調査技術 制度・政治 軍事 その他
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抄録(内容要約) 5.まとめにかえて
 沖縄県における戦争遺跡の取り扱いは、沖縄戦で犠牲となった戦死者の遺骨、遺品等の収集のための戦争遺跡の掘り起こし作業から始まったが県民をしてこうした動きに駆り立てたのは、野山に散らばる沖縄戦の戦没者の遺骨を一日も早く収集し供養したいという切なる県民の願いと同時に、特に激戦地となった地域にあっては、敗戦後収容所からようやく村に戻った人々が畑仕事を再開するにあたって、まずは、野や畑に残された多くの遺骨を片付けなければはじまらなかったという切羽詰まった事情などもあったからである(註11)。勿論、こうした時期にあっては、現在のように戦死者の身元を調べ一日も早く遺族のもとに帰すという考えなど思いもつかないことであったし、ましては戦争遺跡や遺物を歴史的資料として取り扱い、これを検証し資料化していくといった視点など起こるはずもなかったのである。しかし近年では、戦争遺跡の取り扱い方についても埋蔵文化財の手続きに基づいて実施されていくことが多くなってきた。1985年から2013年度までの県内における戦争遺跡をめぐる発掘調査等開発対応は31件を数えている(註12)。その数は2013年度以降も増え続けており行政の先進的な取り組みとして評価されていいだろう(十菱2016)。また、最近の動向として水中に遺された沈没船等の戦争遺跡についても調査が行われるようになり注目されるようになってきた(宮城2014)。
 戦跡考古学が沖縄県から発信されてからもうすぐ40年となる。その間にも沖縄戦の実態を残す戦争遺跡は日々失われ、戦争を体験した世代も確実に減り続けている。そうした情況を踏まえ、人類の負の遺産である戦争遺跡や遺構・遺物の保存を図り調査・研究・活用していくことで失われいく戦争の記憶を後世に伝え、さらにまた、戦争遺跡を再び「つくらない、つくらせない」ために戦跡考古学を深化、発展させていくことが強く求められているように思われる。
所収遺跡
要約

関連文化財データ一覧

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