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Author本田光子

( sarcophagus OR 石棺 )






















Site Name・Site Name Transcription・Address・Address Transcription・Site Number
Subtitle : 県立善通寺養護学校移転伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 香川県教育委員会 - 香川県
Publisher : 香川県教育委員会
Publish Date : 20220331
Submit Date : 2022-10-24
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Subtitle :
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 神戸市 - 兵庫県
Publisher : 神戸市教育委員会
Publish Date : 20060331
Submit Date : 2018-10-01
紀にかけての後期古墳で横穴式石室を主体とし径10〜15m前後の規模の円墳が多く確認されているが、古墳群のなかには石室内に<b>石棺</b>をおさめるものや径25mを超える大きな円墳が築かれていることから、多聞群集墳の被葬者集団を舞子古墳群の集団より優位な立場
Subtitle : 福岡県行橋市稲童所在の稲童古墳群調査報告
Volume :
Series Number : 32
Participation-organizations : 行橋市 - 福岡県
Publisher : 行橋市教育委員会
Publish Date : 20050300
Submit Date : 2020-10-20
<b>石棺</b>墓
Subtitle : 主要地方道佐伯長船線(美作岡山道路)道路改築に伴う発掘調査 ; 1
Volume :
Series Number : 174
Participation-organizations : 岡山県教育委員会 - 岡山県
Publisher : 岡山県教育委員会
Publish Date : 20030331
Submit Date : 2009-06-03
土7焼土8焼土9焼土10第146図前内池古墳群位置図(13000)1号墳2号墳11号墳3号墳4号墳10号墳7号墳5号墳8号墳9号墳6号墳■古墳(方墳)●古墳(円墳)○古墳(消滅)▲箱式<b>石棺</b>墓第147図1
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Subtitle : 樋井川A遺跡第1次調査報告
Volume :
Series Number : 682
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 20010330
Submit Date : 2017-06-20
倉等遺跡が増大し、後期には木棺墓から小形彷製錬.刀子を出土した飯倉G・住居内から小形伐製鏡鋳型が出土した飯倉D・本遺跡と南側の箱式<b>石棺</b>から鏡が出土した御子神社.居土壌墓から鉄錐の出土した小笹遺跡などがある。古
Subtitle :
Volume :
Series Number : 36
Participation-organizations : 香川県教育委員会 - 香川県
Publisher : 香川県教育委員会 | 香川県埋蔵文化財調査センター | 日本道路公団 | 香川県土木部
Publish Date : 20000831
Submit Date : 2011-09-17
・1 / 3 ) …ー日・・1 0 0 第3 章塔の山南遺跡第9 6 図別所地区予備調査トレンチ配置図0 / 1 ,0 0 0 ). . . . . . . .1 0 2 第9 9 図箱式<b>石棺</b>墓平‑断
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Subtitle : 第3次調査報告
Volume : 3
Series Number : 634
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 20000331
Submit Date : 2017-06-14
の甕棺墓群を囲む様に土墳墓13基、石蓋土壙墓2基、箱式<b>石棺</b>墓1基が占地する。4号土壙墓内に副葬された異体字銘帯鏡から後期前半に比定し得る土壙墓群である。これらは甕棺墓制の衰退後も該地では前代より連綿と土壙墓を採用していた可能性を示すものであろう。墓地構造本調査区内における甕棺墓については現況では同時期の2基が重複せずにほぼ並列し、同一方向から棺の挿入がなされている。STOO2・003、STOO4・007、STOO1.005がそのセットとして認識し得る。STO06の南側には中世期の溝が存在するため、対となる甕棺墓が消失している可能性が高いが、STO05との組合わせも考えられる。STOO4・007は共に単棺埋葬である点も2基が意識された群をなす証左となる。これは第1次調査の北西端部に並列して位置するSTOl・02(共に単棺)にも認められるO STO08は銅剣・ガラス管玉を副葬するSTO07の墓壙中央にその棺体を損なうことなく主軸方向や埋置深度をほぼ同一にした埋葬を実施しており、STO07を強く意識していることが窺い知れる。両者には1時期程度の時間差がある点や被葬者がSTO07は男性成人、STO08が小児であったことを勘案すると血縁関係にあった2者の埋葬の可能性が極めて高い。また、両者の棺にのみ種類は異なるものの赤色顔料が塗布される。また、STO07は甕棺墓域の最北端に占地し、他者と隔絶した墓壙規模を有する。また、棺内副葬、口縁部粘土被覆、水銀朱の塗布はこの甕棺墓のみにみられる要素で、被葬者の生前の集団内における位置付けを表出させている。土壙墓は等高線に直交して並列する北端部の3基(SRO21・022.023)を除いては等高線に並行して築かれるが、調査区南半に位置するSRO24〜027は近接する甕棺墓と主軸方位をほぼ直交させている。また、SRO29・030は並行する位置関係にあるO この差異が示すものは判然としないが、先に考察した甕棺墓、土墳墓の両者の同時期性を勘考すると、甕棺墓2基と土壌基数基のセットおよび土墳墓複数基のセットを埋葬単位として把握し得るものであろう。STOO7副葬品中期後半のKⅢb式に該当するSTO07には中細形銅剣1口およびガラス製管玉20数点以上が副葬される。まず、出土銅剣は剣身長からは岩永省三氏分類3)の中細銅剣b類もしくはC類に相当する。また、鏑の形状に着目した上で、前代の細形鋼剣からの系譜を重視した分類を行なった宮井善朗氏の分類4)では中細銅剣B式に相当し、この型式の出土例は本例が4例日(福岡県春日市須玖岡−27−本遺跡D地点、同県筑紫野市二日市峰遺跡、広島県大峰山遺跡)となるOなお、北部九州例はいずれも中期後半の甕棺墓に副葬されている。この銅剣の最も注目すべき点は綾杉状研ぎ分けと刃部面取りの2点で、明確に武器から儀器への変遷を遂げている。この点について宮井氏は銅剣製作の衰退化および異形化の時期において、銅矛との諸属性の共通性(研ぎ分け、形態等)から、銅矛と同一工人による製作が行なわれたことを示すとする興味深い指摘をされている5)O同氏分類の柵形IB式を模倣した中細銅剣B式の国産化が北部九州、おそらく青銅器製作の拠点である春日丘陵で進行したことを裏付けよう。また、ガラス製管玉については、藤田等氏による詳細な研究6)によると中期後半の時期の明確な出土例は7遺跡11遺構で、本例で8遺跡12遺構目となる。全て北部九州の埋葬遺構副葬例であり、かつ複数個の出土例は甕棺墓に限定され、須玖岡本遺跡D地点甕棺、福岡県前原市三雲南小路遺跡1号甕棺、同県飯塚市立岩遺跡(28.35・41号甕棺)、佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓SJlOO2、大分県吹上遺跡4号甕棺および本例が該当する。また、同氏によるとその法量は吉野ヶ里例を除いては近似した数値を示することが指摘されている。本例の法量もその範噂に含まれ、斉一化された規制のもとで製作が行われた一群と言える。また、技法(巻き技法)や素材(鉛バリウム)にも共通項が認められる。まとめこのSTO07を「奴国」に比定される福岡平野内で見た場合、上述の副葬品から須玖岡本遺跡との強い関連性は明確であるものの、それらの質、量共に劣勢であることは言うまでもない。同平野での中期後半の青銅器もしくは鉄製武器副葬例は少数で、現在のところ両遺跡以外には春日市門田遺跡(辻田地区24.27号甕棺墓)を挙げるに過ぎない。同平野の西側に展開する早良平野では該期の同副葬例は吉武樋渡墳丘墓、丸尾百道跡、有田遺跡、東入部遺跡、飯倉C遺跡が挙げられ、質量は吉武樋渡墳丘墓に優位性があるものの、平野内での分散された副葬品の所有を示している〇両平野の比較において本平野では「奴国」王墓である須玖岡本遺跡への一局集中が顕著に表れており、STO07の被葬者は須玖岡本の強大な権力下に位置する集団の一首長と言えよう。なお、本項目の銅剣については筆者の力量不足から中細段階の出土銅剣例および他の青銅製武器形祭器との関連性、また国内生産についてほとんど触れることができなかったため、不十分なものとなったO今後の課題として再考の上、ノ別稿に改めたい。2.中世山城について)SDO32は前述した様にその形態や立地から支丘尾根を分断する堀切と考えられる。出土遺物は希少であるが、図化し得た白磁皿は15世紀後半から16世紀代に比定される。堀切の検出位置から類推すると城の主郭は第1次調査が実施された尾根線最高所にあったものと考えられるが、その頂部は近世期の共同墓地として利用されていたため旧状の改変が著しい。同調査区で検出されている弥生時代甕棺墓の遺存状況からは約1m近くの削平が進んでいるものと推定され、該期の遺構は確認されていない。また、旧地形図(第3図参照)では頂部より北西に下った尾根上に平坦面が認められ、曲輪の可能性があるが、現在では土取りにより丘陵そのものが消失している。よって、推測の域を出ないものの、文献上では戦国期の天正8(1580)年、立花城主立花道雪の命により月隈村に切り寄せを構築した記事7)や上月隈村に所在したと伝えられる立花城の端城、「楕居塚古城」に関する記事8)が残されており、東区香椎B遺跡で確認された「御飯の山古城」と同様に「立花城」の出城であった可能性を示しておきたい。また、本丘陵の北側緩斜面で実施された第2次調査では該期の方形区画と考えられる溝(SDOOl)が検出されており、両者を一体化して判断すると山城と里城の関係が想起される。註1)橋口達也「甕棺の編年的研究」(『九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告』31中巻福岡県教育委員会)1979年2)川上洋一「弥生時代の北部九州における甕棺と日常土器の併行関係に関して」(『檀原考古学研究所論集』第11橿原考古学研究所編吉川弘文館)1994年3)岩永省三「弥生時代青銅器型式分類編年再考−剣矛戈を中心として−」(『九州考古学』№55)1980年4)宮井善朗「銅剣の流入と波及」(『東アジアの考古と歴史』中巻)1987年5)宮井善朗「青銅器の製作工人」(『弥生の匠たち3』福岡市埋蔵文化財センター公開講座口頭発表資料)1999年および調査.整理時のご教示による。6)藤田等『弥生時代ガラスの研究−考古学的方法−』(名著出版)1994年.藤田等「日本.弥生時代のガラス」(『古代文化』48−8)1996年7)角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典40福岡県』(角川書店)1988年8)『筑前囲積風土記』ー28−付論1 上月隈遺跡群第3次調査STOO7甕棺墓から出土した中細形銅剣の鉛同位体比東京国立文化財研究所保存科学部平尾良光鈴木浩子1 はじめに福岡市教育委員会より上月隈遺跡群第3次調査から出土した中細形銅剣に関して自然科学的な方法による調査の依頼があった。本調査は当研究室における「弥生時代青銅器の産地推定」という研究の一環として、十分に研究協力する価値があった。そこで、遺物の材料となった鉛について鉛同位体比法による産地推定を行った。2 資料資料は、福岡市博多区上月隈遺跡群第3次調査STOO7甕棺墓から出土した中細形銅剣1点である。出土遺構の時期は弥生時代中期後半と考えられ、ガラス製管玉が共伴で出土している。資料の写真と試料採取箇所を写真1に示した。なお試料の採取は福岡市教育委員会が行い、それが提供された。3 分析法1)鉛同位体比法による青銅原料の産地推定産地推定のために鉛同位体比法を利用した1)(2)。一般的に、鉛の同位体比は鉛鉱山の岩体が違えばそれぞれの鉱山毎に異なった値となることが知られており、産地によって特徴ある同位体比を示すことが今までの研究でわかっている。そこで、鉛の産地の違いが鉛同位体比に現れるならば、文化財資料に含まれる鉛の同位体比の違いは材料の産地を示すと推定される。古代の青銅には鉛が微量成分として0.01 %程度、あるいは主成分の一つとして5〜20%含まれている。鉛同位体比の測定に用いられる鉛量は測定器(質量分析計)の感度が非常に良いため、1マイクログラムの鉛があれば十分である。また試料は青銅の金属部分でも錆部分でも、同位体比は変わらないと示されているので、資料からは錆を微少量採取するだけで十分である。そこでこの方法を本資料の原料産地の推定に利用することを試みた。資料から錆の一部を採取し、鉛を化学的に分離し、表面電離型質量分析計で同位体比を測定した3)。2)鉛同位体比の測定資料から微少量(1mg以下)の錆を採取して、鉛同位体比測定用の試料とした。錆試料を石英製のビーカーに入れ、硝酸を加えて溶解した。この溶液を白金電極を用いて2Vで電気分解し、鉛を二酸化鉛として陽極に集めた。析出した鉛を硝酸と過酸化水素水で洛解した。0.2〃gの鉛をリン酸,シリカゲル法で、レニウムフィラメント上に載せ、VG社製の全自動表面電離型質量分析計Sector−Jに装着した。分析計の諸条件を整え、フィラメント温度を1200℃に設定して鉛同位体比を測定した。同一条件で測定した標準鉛NBS−SRM−981で規格化し、測定値とした。−29−4 鉛同位体比の結果と考察1)鉛同位体比測定値測定した鉛同位体比を表1で示した。この値を今.までに得られている資料と比較するために鉛同位体比の図で示した(図1)。縦軸が208Pb/206Pbの値、横軸が207Pb/206Pbの値とした図を仮にA式図と呼ぶこととする。この図で鉛同位体比に関して今までに得られている結果を模式的に表わし、今回の結果をこのなかにプロットしだ4ト(7)。日本の弥生時代に相当する頃の東アジア地域において、Aは中国前漠鏡が主として分布する領域で、後の結果からすると華北産の鉛である。Bは中国後漠鏡および三国時代の銅鏡が分布する領域で、華南産の鉛である。Cは現代の日本産の大部分の主要鉛鉱石が入る領域、Dは多鉦経文鏡が分布する領域の中央線として示され、朝鮮半島産の鉛鉱石と一致した。またaは弥生時代の後期銅鐸が示した特別な鉛を意味する領域である。縦軸が207Pb/204Pbの値、横軸が206Pb/204Pbの値とした図をB式図と呼ぶこととする。この図の中でA′、B′、C′、D′は中国華北、華南、日本、朝鮮半島産の鉛領域を表わす。これらの図の中に、測定値を・で示した。2)考察上月隈遺跡群第3次調査から出土した中細形銅剣の鉛同位体比測定値を表1に示し、図1にプロットしたO 中細形銅剣はA式図においてA領域に位置した。B式図においても同様である。このことから、この中細形銅剣は中国華北産の材料を用いていると考えられる。これまでの研究から、中細形銅剣には朝鮮半島産(D領域)または華北産(A領域)の材料が用いられている(8)。これまで測定された中細形銅剣の鉛同位体比を図2に示した。武器形青銅器の大きな流れとして、細形は朝鮮半島産、中細形は朝鮮半島産・華北産、中広形は華北産、広形は規格化された華北産(a領域)の材料を用いている場合が多いことがわかっている。上月隈遺跡群から出土した中細形銅剣は華北産の材料を用いており、他の資料と比較しても問題はないと思われる。5 引用文献(1)平尾良光:古代日本の青銅器;M.A・C.サイエンス,4、№2,22,33(1990),(2)平尾良光:古代日本の青銅器の原料産地を訪ねて;計測と制御28,681−688(1989)(3)平尾良光,馬淵久夫:表面電離型固体質量分析計VG−Sectorの規格化について;保存科学2 8,17−24(1989)(4)馬淵久夫,平尾良光:鉛同位体比法による漠式鏡の研究;MUSEUM №370,4−10(1982a)(5)馬淵久夫,平尾良光:鉛同位体比から見た銅鐸の原料;考古学雑誌68,42,62(1982b).(6)馬淵久夫,平尾良光:鉛同位体比法による漠式鏡の研究(二);MUSEUM;№382,16−26(1983)(7)馬淵久夫,平尾良光:東アジア鉛鉱石の鉛同位体比−青銅器との関連を中心に−;考古学雑誌73,199−210(1987)(8)平尾良光編:古代青銅の流通と鋳造;鶴山堂(1999)−30−表1上月隈遺跡群第3次調査から出土した中細形銅剣の鉛同位体比測定番号遺跡名資料名206Pb/204Pb207Pb/204Pb208Pb/204Pb207Pb/206Pb208Pb/206Pb HS−800 上月隈遺跡群中細形銅剣17.819 15・560 38.528 0.8732 2.1622 誤差範囲±0.010 ±0・010 ±0.030 ±0.0003 ±0・0006 一一∴■一一一一二一一_一二一写真1 上月隈遺跡群第3次調査から出土した中細形銅剣*福岡市教育委員会から送られた資料より引用−31−//////A式図207pb/206pb 1811 206pb/204pb 図1上月隈遺跡群第3次調査から出土した中細形銅剣の鉛同位体比−32−//////////////A式図207pb/206pb 図2 中細形銅剣が示す鉛同位体比*引用文献(8)より引用−33−付論2 上月隈遺跡群第3次調査出土の赤色顔料について別府大学本田光子はじめに福岡市博多区上月隈遺跡群第3次調査の甕棺内から出土した赤色顔料について、その材質と状態を知るために顕微鏡観察および蛍光X線分析を行なった。出土赤色物は鉱物質の顔料であり、酸化第2鉄を主成分とするベンガラと、硫化水銀(赤)を主成分とする朱の2種が用いられている。これら以外に古代の赤色顔料としては、四酸化三鉛を主成分とする鉛丹があるが出土例はまだ確認されていない。ここではこれら3種類の赤色顔料を考えて分析を行なった。試料赤色物資料は、STOO7木蓋単相内の広範囲にわたって残存していたもの、およびSTOO8覆口甕棺上甕の棺内外面に認められたものである。前者№1は小塊状のものを土砂も含めて約1g、後者は土器の細片の提供を受けた。№1の赤色部分は、土砂に赤色物が混じり込んだ状態で、赤色物だけが凝集している部分と土砂から任意の部分を調整した。№2の甕棺片についてはそのままで、蛍光X線分析の測定を行ない、検鏡には針先につく程度の採取を行なった。№1については赤色物の集合している小塊および土砂の任意の部分を検鏡用、蛍光X線分析用測定試料とした。顕微鏡観察赤色顔料の有無・状態・種類.粒土等を観察する冒的で、光学顕微鏡(透過光・落射光40−400倍)による観察を行なった。№1は赤色顔料としては朱粒子(約0.5−25〃m)のみが確認された。粒子径は最大で約25〃㎡で、約0・5〜5〃m前後が大半を占める。№2にはいわゆる広義のベンガラ粒子が認められる。蛍光X線分析赤色物の主成分元素の検出を目的として別府大学設置の堀場製作所製エネルギー分散型蛍光X線分析装置MESA500を用い実施した。№1からは赤色の由来となる元素としては水銀と鉄が、№2からは鉄のみが検出された。まとめsT007甕棺出土の赤色顔料は検鏡結果で朱、蛍光X線分析で水銀が確認されたので、朱(赤色硫化水銀)である。最多頻度径は小さいが粒子径範囲がやや大きいので均一性に欠ける。№2は検鏡で広義のベンガラ、蛍光X線分析で鉄のみが確認されたので、鉄の酸化による発色であることはわかるが、これを赤色顔料として特定できるかどうかは不明である。甕棺墓内出土赤色顔料は当初から朱が主流であり、時期によりその粒度が異なる可能性が高い。ST 007資料は北部九州地方で後漠鏡と共伴する朱のそれに近いが、均一性にやや欠けるため、この期の傑出した朱とは異なる。出土朱の分類には粒度の差に表れる事実が有効であると考え、現在、試料調整や測定方法等を実験している段階である。本資料は出土状況、時期等明確な例として重要な資料であり、今後も検討を重ねたい。−34−付論3 上月隈遺跡群第3次調査STOO7甕棺墓出土ガラス玉の保存処理及び自然科学的調査について福岡市埋蔵文化財センター同上奈良国立文化財研究所比佐陽一郎片多雅樹肥塚隆保1.はじめに上月隈遺跡群第3次調査では、弥生時代中期後半の嚢棺より、銅剣と共に20数点のガラス製管玉が出土した。これらは出土時既に骨製品と見紛うばかりに白色に風化し崩壊寸前の状況を呈しており、福岡市埋蔵文化財センターにおいて保存のための処置と、併せて各種機器による自然科学的調査を行った。一連の作業は肥塚指導の元、比佐・片多が行った。2.概要出土したガラス管玉は一覧表(Tab.1)に示すとおりである。24点を個体として認識し、それ以外は残欠一式とする。出土時に既に崩壊したものもあるとのことから、本来は少なくとも30点前後存在していたものと思われる。このうちほぼ全体の形状を復元し得るものは、端部が風化・崩壊しかけて不確実なものを含めて15点有り、寸法は長さが9・75mm〜13・2mm、径が4・2mm〜5.3mmと、適度なまとまりをみせている。径と長さの法量分布をグラフに示す。№最大径同最大長同孔径同備考14 4 .2 0 1 3 .2 0 1 .6 5 15 5 ・0 0 1 3 .0 5 2 ・4 0 16 4 ・9 0 1 1 ・4 5 2 ・5 5 ※※孔の縁崩壊17 4 .7 0 1 1 ・5 5 2 ・5 0 18 5 .0 0 1 1 .8 0 2 .7 0 19 4 ・8 0 1 1 ・9 0 1 ・9 5 2 0 4 .6 5 1 1 ・7 5 1 .9 0 2 1 5 ・3 0 1 2 ・2 +α2 ・6 5 ※※孔の縁崩壊2 2 4 .9 0 9 ・7 5 1 ・8 5 2 3 5 ・1 0 1 0 ・7 +α2 .30 2 4 5 .0 0 1 1 .5 0 1 ・9 5 2 5 5 .2 0 1 1 ・5 0 2 .0 5 ※※孔の縁崩壊2 6 5 .0 0 1 2 .7 0 計測不能半欠け2 7 4 .7 5 1 1 ・6 5 +α2 .4 5 2 8 4 ・6 0 1 0 .8 0 +α2 .5 5 ※※孔の縁崩壊2 9 5 ・0 0 1 1 ・0 0 2 .3 0 ※※孔の縁に泥固着3 0 5 ・2 0 1 0 ・8 5 2 ・7 0 ※※孔の縁崩壊3 1 5 .0 0 1 0 .9 +α2 .3 5 3 2 4 ・9 0 .1 0 .0 +α1 ・70 計測不能計測不能計測不能処理前に崩壊3 3 4 .5 0 1 1 ・2 0 2 .4 0 3 4 5 ・1 0 1 1 .7 5 2 ・6 0 ※※孔の縁に泥固着3 5 計測不能1 0 ・7 0 計測不能半欠け3 6 計測不能8 ・8 0 +α計測−不能半欠けその他残欠一式−−複数個体分の破片Tab.1管玉計測表(№は本文第13図及び本論Pi.7遺物番号に合致)◆◆.◆・.◆◆◆1 1 1 1 1 1 −l l l 1 1 −1 月t −1 1 1 3 3・5 4 4.5 5 515 径(mm)Fig・1径と長さの法量分布色は、ほとんどの個体で風化が著しく現在では見る影もないが、唯一比較的残りのよい個体№33は、表面が僅かに薄緑色を呈している。しかし、これも風化しておりガラス本来の色調ではない可能性も考えられる1)。重量は風化のためほとんど参考になる数値とはいえないが、0.2g前後である。比重の測定ー35−も試みたが、№33で測定したところでは1.18であった。目視による観察では、風化の状況から鉛を含むガラスであることが予測されたが、その比重4−6とは、かけ離れた数値である。それ以外の個体では測定不可能である。し/3.材質と腐食状態の調査・ヽ(1)蛍光X線による含有元素の分析古代のガラスには、その組成に幾つかの種類があり、これまでの調査.研究によってその流通や伝播経路、変遷などが解明されてきている。今回は蛍光X線分析法による材質調査を行った。この方法は試料にX線を照射し、試料に含有する各元素から発生する二次X線(特性X線)を検出器でとらえ、Ⅹ線エネルギー分布と強度をピークとして表すものである。近年文化財関連施設にも普及しつつあり、当センターでも平成11年度より二種類の蛍光X線分析装置が導入され稼働している。ガラス試料の場合、局部的に強いX線を照射するとその部分が変色を来す現象が起きるため、同じ蛍光X線分析法でも、X線強度が小さくても測定のできるエネルギー分散型蛍光X線分析法が、資料に損傷を与えない方法として有効である。また本来詳細な調査を行うには、風化層を除去した上で、標準資料を用いた校正により成分の定量値を求める必要があるが、分析対象はいずれも腐食が著しく非風化層の表出は困難であったこともあり、今回は大まかな傾向を知ることを主目的とした定性分析とし、汚れを落とした程度でそのまま測定している。ただし、このクリーニングも、資料が非常に脆弱化していたため十分に行うことができず、接触していた埋土や赤色顔料(水銀朱=Hg)などの二次的な物質による影響が考慮される。測定条件分析装置:エネルギー分散型微小領域蛍光X線分析装置(エダックス社製/EagieFLPi0be)2)対陰極:モリブデン(Mo)、印加電圧20kV・電流400〜520FLA、測定雰囲気:真空、測定範囲0・3mm、測定時間300秒分析は残存状況の比較的良好なもの約20点を選んで行ったが、いずれも同じ種類の元素が検出され、同一種類の組成を示す結果となった。今回は完全非破壊による定性分析のため、検出される蛍光X線ピークの特徴と相対強度を手掛かりとして判定することとなる。弥生時代のガラスには、これまでの調査.研究でアルがノ珪酸塩ガラスと鉛珪酸塩ガラスのあることが知られている。アルカリ珪酸塩ガラスは融剤に酸化カリウムを用いるカリガラス(K20−SiO2系)と融剤に酸化ナトリウムを用いるソーダ石灰ガラスに区別され、更にソーダ石灰ガラスは酸化アルミニウム含有量の高いもの(Na20−A120。−Ca O−Si02系)と、低いもの(Na20−CaO−Si02系)に区分される。鉛珪酸塩ガラスには、鉛ガラス(Pb O−Si02系)と鉛バリウムガラス(PbO−BaO−SiO2系)がある。検出された元素としては、アルミニウム(Ai)、ケイ素(Si)、バリウム(Ba)、鉄(Fe)、鉛(Pb)があり、このガラス管玉は鉛バリウムガラスの特徴を示すものであった(Fig.2)。アルミニウム、鉄は付着残存している埋土からの影響である可能性も考えられる。この他に銅(Cu)が検出された。従来から鉛バリウムガラスは銅イオンにより緑色に着色された例が知られており、着色のために添加された成分とも考えられるが、今回は同時に青銅器が副葬されており、ここからのコンタミネーションの可能性も否定できない。ガラスの着色要因については、後述のとおり顕微鏡観察で内部に青色のガラス微少片が観察されており、コバルトなどが検出されるはずであるが、微量であることと、風化が著しいために今回の調査では確認されなかった。仮に銅が着色に関与しているのであるならば緑色のガラスになるはずであるが、緑色ガラスの痕跡は観察されなかった。なお水銀(Hg)は、棺内に散布された赤色顔料の水銀朱が付着残存したものであり、ガラスの成分−36一とは関係がない。Fig.2 蛍光X線分析の結果Pl.2 蛍光X線分析風景P1.2 チャンバーと資料の設置状況(2)X線回折分析X線回折法は、試料に特性X線を照射し、試料に含まれる結晶によって特有の角度でのみ発生する回折X線の角度から、結晶や化合物の種類を同定するもので、保存科学の分野では材質調査の他、腐食生成物の調査に用いられる。本来ガラスは非結晶質の物質でありX線回折法の対象にはなり得ないが、これが腐食していると腐食生成物の種類が同定できる。試料は崩壊していた微小片を喝璃乳鉢で粉砕し、シリコン無反射板に薄く延ばしたものを測定した。測定条件分析装置:試料水平型3)X線回折装置(フィリップス社製/PW3050)対陰極:Cu(1.5405Å)、印加電圧40kV.電流30mA、検出器:Xeガスプロポーショナル検出器、発散スリット1。、受光スリット:1。、マスク幅:10mm、走査角度10〜80。(20)、ステップサイズ:0.02°、スキャンスピード:0・04°、SeC 分析の結果、緑鉛鉱(Pb5(PO4)。C1〔Pyromorphite〕)が確認された(Fig.3)。これは鉛ガラスが遺骸(人体)と接触していた場合に、リン(P)が原因となって生じたことが推定でき、鉛ガラスが−37−著しく風化したことの一要因となったものと考えられる。なお石英(SiO2〔Quartz〕)のピークは、付着していた土壌成分に由来するものである。c°untS/S 20 30 40 50 60 70 11田口R紺野CI Fig.3 X線回折の結果13霊霊監農禁彗。2Theta p−.3 X線回折操作風景P114 試料の測定状況(3)X線透過撮影法による調査X線透過撮影法は資料にX線を照射し、X線の吸収と透過作用を利用して、フイルムに撮す方法である。ガラス装身具資料においては、穿孔の様子や材質の推定調査に用いられる。例えば同様の形状.寸法で、原子番号の大きい鉛を含むガラスとそうでないガラスを同条件で観察すると、フイルム上に濃淡の差が写し出されることになる。今回はフィリップス社製工業用X線MUJ22Vを用い、蛍光板に当たった透過X線を電気信号に変える「イメージ・インテンシファイア」により、CRTで観察あるいは、デジタル情報として保存・加工する方法で観察を行った4)。結果としては資料が非常に小さく細部の観察は困難であったが、上下の孔のずれや極端な孔径の違いなど、成形後の穿孔を示す痕跡は確認されなかった。また個体によって透過度にばらつきが見られたが、これは先の蛍光X線分析における鉛ピークの相対強度とも関係しており、鉛の強く現れた№18.22.28・−38−32等では、透過X線の透過度も低くなっている。これは風化度の違いを表しているものと考えられるが、見た目の風化具合とは必ずしも一致しておらず、劣化の状態が肉眼観察だけでは判断できないこと、あるいは同じ埋蔵環境下でも風化度に大きな差が出てくることを示す結果となった。4.保存処理クリーニングは、水・アルコールなどの液体による洗浄は不可能であったため、実体顕微鏡下で面相筆や竹製の箆を用いながら慎重に表層の汚れを除去する方法を採った。しかし資料によってはあまりに脆弱すぎてクリーニングが行えないものや、それ以前に移動させた時点で崩壊するものもあったO 如旨強化は、アクリル樹脂(パラロイドB−72.トルエン/アセトン溶液.濃度約5%)を筆先から滴下含浸後、徐々に乾燥させた。これにより、通常の扱いに耐えうる程度の強化が行えたと考える。P1.5 保存処理風景Pl.6 同近景5.顕微鏡による表面観察保存処理作業と平行して、実体顕微鏡による観察を行った。№31では、螺旋状の破損や同様の接合痕が観察され、この資料が心棒に半溶融状態のガラスを巻き付けて製作したものと推定されるが、風化が著しく十分な観察は不可能であった。また、その他の破片の特に破断面を観察すると、白色に風化したガラスの中に、青色で透明感の残るガラス微粒子が散見される。(Pl・12・13)6.まとめ今回の調査により、以下のことが明らかになった。・上月隈3次調査出土のガラス管玉は、鉛バリウムガラスで、巻技法により製作されたと思われる。.風化成分として緑鉛鉱が検出され、ガラスに含まれる鉛成分が遺骸と接触していたことにより変化したことが可能性として考えられる。・色については風化が著しく十分な情報が得られなかったが、青色微粒子の存在から青色透明またはこれに白色不透明の混入したタイプの製品であったと推定される。鉛バリウムガラスは中国漠代に盛行し、この種のガラスで作られた製品は弥生時代の北部九州には類例が多く、これらを再加工した鋳型なども出土している。日本で出土した資料のうち、鉛同位体比分析がおこなわれた例では、いずれも鉛の産地が中国であることを示しており、中国で製造された製品を輸入したり、これを日本で再加工したものと考えられている(肥塚1996)。北部九州以外でも山陰、近畿、−39−北陸など西日本を中心に分布し、その中でも青色に白色不透明の縞模様が螺旋状になったタイプの小型管玉は、岡山県津山市有本遺跡土墳墓49(中郷1998)や鳥取県東郷町宮内第1遺跡1号墓(原田1996)等で出土している。今回は完全非破壊による定性分析であったが、組成によるガラスの種類を明らかにすることができた。またX線透過撮影や顕微鏡観による詳細な資料の観察等、基礎的な作業によって、製作技法や風化の度合いなど、様々な情報が得られることも再確認できたと考える。なお、今回調査.報告の場を与えていただいた埋蔵文化財課榎本義嗣氏、並びに調査にあたって有益なご教示、ご協力をいただいた静岡大学名誉教授藤田等氏、福岡市埋蔵文化財課調査員北村幸子氏には、文末ながら記して感謝の意を表します。註1)№21は一見石製品とも思える外観を呈し、他にガラス製品がなかったり、分析による確認をしなければ見過ごされる可能性もあり、今後同様の資料が出土した場合には注意を要する。2)この装置はX線を特殊なキヤピラリーを用いてエネルギー強度を落とすことなく絞り、0・3mmの微小範囲内のデータを得ることができることから、ピンポイント的な分析が可能である。また青銅鏡程度の資料であれば十分に入る広めのチャンバーとモータードライブ制御のサンプルステージを有し、比較的大型の資料も非破壊でそのまま分析することが可能である。X線は上面照射方式で、分析箇所は備え付けのカラーCCDカメラにより分析画面上に映し出して確認しながら分析を行う。3)この装置は、水平におかれた試料に対して管球と検出器が0+0=20移動する方式で分析をおこなう。試料はラボジャッキ方式のステージ上に置かれ、ハンドルによって試料の高さを調整し、最終的にレーザー光を利用した高さ測定器により測定面の高さが決定される。今回の使用では直接的な利点はないが、通常、試料は置くだけといってよい状態で測定が可能なため、非破壊調査が前提となる(無理な体勢で固定できない、あるいはサンプリングして松末加工する事が難しい)文化財資料の測定に適した装置といえる。ただしその反面、回折条件によっては、特定のX線反射指数の面間隔だけが検出され、同定が困難なものもある。また試料の設置条件によりd値に大きな誤差を伴う事もあり、注意が必要である。4)この方法の場合、通常のフイルム撮影とは逆に、X線の透過しにくい個体が陰となって濃く表現され、透過しやすい個体は色が薄く映る。参考文献肥塚隆保1996「化学組成から見た古代ガラス」『古代文化』第48巻8号財圏法人古代学協会中郷利幸編1998『有本遺跡.男戸嶋古墳.上達戸嶋遺跡−津山市総合流通センター埋蔵文化財発掘調査報告2−』津山市埋蔵文化財発掘調査報告第62集津山市土地開発公社.津山市教育委員会原田雅弘編1996『宮内第1遺跡.宮内第4遺跡・宮内第5遺跡.宮内2.63〜65号墳』財団法人鳥取県教育文化財団藤田等1994『弥生時代ガラスの研究』名著出版\−40−芸、28 彎18 29 30 31 32 Pl.7 管玉全体写真鬱21 蔑22 轟育33 34 p−.8 X線透過画像(X線弱)P1.9 X線透過画像(X線強)−41−奮.く、。甕▼−1 の貞1.1.−.□」(塑uつく1⊂)甕。ロの望。1 −L 蛸匡O。−.L (磐−■寸空車東本e 嘲糎N −一口」付論4 上月隈遺跡群第3次調査出土の弥生人骨九州大学中橋孝博はじめに福岡平野の東を画するようにほぼ南北に連なる月隈丘陵地帯は、その南端近くに位置する金隈遺跡を代表例として、弥生〜古墳時代にかけての多数の埋葬遺構や住居跡が検出された地域として知られる。この丘陵から北西にのびる支丘上に位置する上月隈遺跡群でも、1989年度の福岡市教育委員会による発掘調査によって、20基余りの甕棺墓と180基余りの近世墓が検出され、多くの人骨資料も出土している(中橋、1991)。1999年度の冬に実施された上月隈遺跡群における第3次発掘調査によって、新たに弥生時代の甕棺墓9基と土壙墓11基、及び古墳時代や中世期の遺構が検出され、その内2基の甕棺からは人骨も出土した。残念ながらいずれも断片的な保存不良骨ではあったが、別項で詳述されているように、その埋葬状況から当時の弥生社会を復元する上で注目すべき個体の遺骨と考えられるものであり、ここにその人類学的な検討結果を報告する。遺跡・資料上月隈遺跡群は、御笠川東岸の月隈丘陵上(福岡市博多区大字上月隈、下月隈)に位置しており、1999年2月から3月にかけて、福岡市教育委員会によって第3次発掘調査が実施された。上記のように弥生時代の墓壙は計20基検出されたが、人骨片が出土したのはSTOO7号とSTOO8号の2基の甕棺である。この内、特にST007号甕棺は、木蓋を用いた単棺で、墓壙や甕棺のサイズが他に較べて隔絶して大きく、さらに副葬品として中細銅剣1本と20個余りのガラス製管玉が添えられていた。また、甕棺内面には赤色顔料も塗布され、当時、この墓地を営んだ集団の中ではかなり高位にいた個人の埋葬例と考えられている。所属時代は、甕棺の型式学的検討から、2基とも弥生時代中期後半(立岩式)のものと考えられている。観察結果1.STOO7号右上腕の下端部とそれに続く右前腕の近位半のみ検出された。各骨の位置関係から、遺体は足から甕棺内に納められ、おそらく上腕を体側に沿わせて右肘を90度余り曲げ、右手を胸の上に置いていた状況が推察される。頭部があったと思われる箇所には赤色顔料が色濃く残っているが、検出された右上肢にその付着は認められず、代わって身体の右上腕に沿うように置かれていた中細銅剣の影響を受け、骨の表面が全体的に緑変している。上腕骨の関節部は観察不能だが、槙骨の近位半を見る限り、かなり太く頑丈な傾向が窺われるので、男性と見なして問題ない。但し年齢については、骨のサイズや骨端線の消失状況から成人であることは見て取れるが、詳しくは不明である。−43−2・STO08号かなりの破片が出土しているが、確認し得る部位としては頭蓋骨片と歯、及び左下支骨(大腿骨と脛骨)の各破片が認められる(図参照)。頭片は棺底から見出されたが、下肢骨や歯の出土位置からみて、下肢から棺へ埋納され、遺体の腐朽後に頭蓋が棺底に転げ落ちたものと推察される。以下に歯式を示す。歯の萌出、摩耗状況から判断して、10歳前後の小児骨と見なされる。なお、骨への付着は認められないが、この甕棺にも赤色顔料が塗布されていたことが確認されている。表上月隈遺跡群第3次調査出土人骨甕棺番号時代性年齢遺存部位副葬品等STO07 中期後半男性成人右上肢中細銅剣、ガラス製管玉STO08 中期後半不明小児(10〜11歳)頭、左下肢なし文献中橋孝博(1991):「福岡市上月隈遺跡出土人骨(弥生.近世)」、上月隈遺跡、福岡市埋蔵文化財調査艮告書第257集、福岡市教育委員会。N \1 ..﹂睾恵〃鱒二−キー十三.星章.ぎⅠ′1 0 1 ST007号(男・成人)STOO8号(小児)図.人骨の遺存部位−44−図一版調査作業風景図版1 (1)調査前現況(南東から)(2)調査区全景(北から)図版2 (1)ST001(南東から)(3)STOO3(東から)(5)ST004(南西から)(2)STOO2(西から)(4)STOO4(南西から)(6)STOO5(北から)図版3 (1)STOO6(北から)(3)STOO7(西から)(5)STOO7目張り粘土(北から)(2)STOO7(北から)(4)ST007(西から)(6)STOO7(北から)図版4 (1)STO07遺物出土状況(北から)(3)ST008(北から)(5)ST008人骨出土状況(南から)(2)STOO7銅剣取り上げ風景(北から)(4)STOO8(東から)(6)STOO9(北から)図版5 (1)SRO21(南から)(3)SRO24(西から)(5)SRO26(西から)(2)SRO22(南から)(4)SRO25(西から)(6)SR027(西から)図版6 (1)SR030(北西から)(3)SDO31土層A−B(北から)(5)SDO32(南西から)(2)SDO31(南から)(4)SDO31土層C−D(北から)(6)SDO32土層(北東から)図版7 l ∵−■出土遺物1 図版8 STOO7 かみつきぐま上月隈遺跡群3 −第3次調査報告−福岡市埋蔵文化財調査報告書第634集2000年(平成12年)3月31日発行発行福岡市教育委員会福岡市中央区天神1丁目8番1号(092)711−4667 印刷秀巧社印刷株式会社福岡市南区向野2−13−29 (092)541−5661
Subtitle : 福岡県三井郡大刀洗町大字甲条所在遺跡の調査
Volume : 2
Series Number : 20
Participation-organizations : 大刀洗町 - 福岡県
Publisher : 大刀洗町教育委員会
Publish Date : 20000331
Submit Date : 2019-05-14
<b>石棺</b>
Subtitle : 山陽自動車道建設に伴う発掘調査 ; 17
Volume :
Series Number : 138
Participation-organizations : 岡山県教育委員会 - 岡山県
Publisher : 岡山県教育委員会
Publish Date : 19990312
Submit Date : 2009-06-03
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Subtitle :
Volume :
Series Number : 63
Participation-organizations : 松山市 - 愛媛県
Publisher : 松山市教育委員会 | 財団法人松山市生涯学習振興財団埋蔵文化財センター
Publish Date : 19980331
Submit Date : 2011-11-21
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Subtitle : カルメル修道院内遺跡第5次調査
Volume : 4
Series Number : 504
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19970331
Submit Date : 2016-11-15
書で用いる方位は座標北である。4.違構の呼称は記号化し、土壌−SK・土壌墓−SR・<b>石棺</b>墓−SQ.溝−SD・風倒木痕等の不整形土壌−SX.柱穴−SPとした。5.本書に使用した遺構実測図は加藤良彦・永井ゆり子.吉岡員代・上
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Subtitle : 桧原古墳群第1次・桧原遺跡第3次調査報告書
Volume : 1
Series Number : 540
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19970331
Submit Date : 2016-12-06
わゆる墳丘墓は未確認である。下長尾八六宮<b>石棺</b>や、鏡一面を出土したと伝える上長尾御子神社遺跡の箱式<b>石棺</b>墓、また断面採集で漠式三稜鉄が採集されたクエゾノ遺跡の木棺墓などはこの時期の特定集団(個人)の墳墓であろうと考えられる。なお、干
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Subtitle : 福岡県京都郡豊津町大字徳永所在遺跡群の調査
Volume : 2
Series Number : 7
Participation-organizations : 福岡県教育委員会 - 福岡県
Publisher : 福岡県教育委員会
Publish Date : 19960331
Submit Date : 2019-05-14
2 2 号墓蓋石・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 9 2 2 2 号墓<b>石棺</b>
Subtitle : 福岡県三井郡大刀洗町大字甲条所在遺跡の調査
Volume :
Series Number : 11
Participation-organizations : 大刀洗町 - 福岡県
Publisher : 大刀洗町教育委員会
Publish Date : 19960331
Submit Date : 2019-05-14
<b>石棺</b>墓
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Subtitle :
Volume :
Series Number : 36
Participation-organizations : 福岡県教育委員会 - 福岡県
Publisher : 福岡県教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2020-09-14
、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 0 ④箱式<b>石棺</b>
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Subtitle : 福岡県朝倉郡朝倉町・杷木町所在外之隈遺跡の調査
Volume : 1 墳墓編
Series Number : 35
Participation-organizations : 福岡県教育委員会 - 福岡県
Publisher : 福岡県教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2020-09-11
号<b>石棺</b>)外之隈遺跡出土人骨細部本陣古墳採集埴輪1 本陣古墳採集埴輪2 上座郡志波村本陣山古城ノ図(部分)<複写〉従上座川筋博多迄堀)I I 目論図(部分)<複写〉国道と旧道の分岐点( 2 ) 峠
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Subtitle :
Volume : 1
Series Number : 420
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2016-10-21
エゾノ出土古墳時代人骨田中良之.金宰賢……56 2.クエゾノ遺跡出土の赤色顔料について3.クエゾノ1号境の<b>石棺</b>と管玉の石材4・食物供献−クエゾノ5号墳出土の動物遺存体−5.クエゾノ遺跡出土須恵器の蛍光Ⅹ線分析6.縄紋時代の遺物第3章
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Subtitle : 野多目B・和田B遺跡第1次調査報告書
Volume :
Series Number : 413
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2016-10-20
成4)年1月に試掘調査をおこなった。山林部分は保存樹木を痛めぬよう一部は人力でおこなった。その結果、対象地の南北2地区において古墳、土填、溝状遺構、焼土壙などが確認された。特に古墳は埋葬主体が箱式<b>石棺</b>
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Subtitle : 飯倉C遺跡第2次調査
Volume :
Series Number : 387
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19940331
Submit Date : 2016-10-14
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Subtitle :
Volume :
Series Number : 1
Participation-organizations : 松江市文化スポーツ部埋蔵文化財調査課 - 島根県
Publisher : 松江市教育委員会/松江市教育文化振興事業団
Publish Date : 19940300
Submit Date : 2009-04-28
として周知されていた古墳群である。本古墳群の位置する丘陵はゴヒ西方向に連なり,古墳時代の中期には古曽志大谷1号墳,古曽志大塚1号墳, また北方平野部には斜格子文で装飾された長持形<b>石棺</b>を内蔵