On the Works of Watanabe Kakushū (1778~1830), Academic Painter in Nagasaki -Mainly on his Studies-
渡辺鶴洲家襲蔵粉本の研究
Katsumori Noriko
( 勝盛 典子 )
Narusawa Katsushi
( 成澤 勝嗣 )
江戸時代に官画派が最大公約数的常識として評価されていたのは事実であり、絵画史を歴史事象の一環として、文化史的側面から位置づけようとするならば、先ず官画派の実態を正しく把握し、活動状況を虚心に眺めてみることが一つの基礎にならざるを得ない。
本稿では、江戸時代アカデミズム研究の中でも最も未知の世界である長崎の官画派をとりあげ、文化・文政期を中心に、活躍した渡辺鶴洲(一七七八-一八三〇)の画業について、当館が所蔵する粉本資料を紹介しながら概観した。さまざまな中国画が流入し、やがて全国へ広がっていく中で、その窓口役をつとめていた鶴洲が残した粉本は、江戸時代絵画史を考えていく上での重要な資料になるのではないだろうか。また、ややもすれば洋風画と南頼派のみに傾きがちな長崎派研究の欠落を埋める意味からも、ここに紹介しておく。
本稿では、江戸時代アカデミズム研究の中でも最も未知の世界である長崎の官画派をとりあげ、文化・文政期を中心に、活躍した渡辺鶴洲(一七七八-一八三〇)の画業について、当館が所蔵する粉本資料を紹介しながら概観した。さまざまな中国画が流入し、やがて全国へ広がっていく中で、その窓口役をつとめていた鶴洲が残した粉本は、江戸時代絵画史を考えていく上での重要な資料になるのではないだろうか。また、ややもすれば洋風画と南頼派のみに傾きがちな長崎派研究の欠落を埋める意味からも、ここに紹介しておく。
勝盛典子,成澤勝嗣 1988「渡辺鶴洲家襲蔵粉本の研究」 『神戸市立博物館研究紀要』
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/article/19858
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