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上野忍岡遺跡群 東京国立博物館管理棟(仮称)地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22881
DOI 2D code
2D Code download
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22881
For Citation 加藤建設株式会社文化財調査部 2018 『台東区埋蔵文化財発掘調査報告書77:上野忍岡遺跡群 東京国立博物館管理棟(仮称)地点』独立行政法人国立文化財機構東京国立博物館他
加藤建設株式会社文化財調査部 2018 『上野忍岡遺跡群 東京国立博物館管理棟(仮称)地点』台東区埋蔵文化財発掘調査報告書77
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File
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Title 上野忍岡遺跡群 東京国立博物館管理棟(仮称)地点
Participation-organizations 東京国立博物館 - 東京都
Alternative うえのしのぶがおかいせきぐん とうきょうこくりつはくぶつかん(かしょう)ちてん
Subtitle 東京国立博物館管理棟(仮称)建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
Volume
Series 台東区埋蔵文化財発掘調査報告書
Series Number 77
Author
Editorial Organization
加藤建設株式会社文化財調査部
Publisher
独立行政法人国立文化財機構東京国立博物館
加藤建設株式会社
Publish Date 20180731
Publisher ID
ZIP CODE 1108712
TEL 0338221111
Aaddress 東京都台東区上野公園13-9
Report Type Codes
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
Articles
Site
Site Name 上野忍岡遺跡群
Site Name Transcription うえのしのぶがおかいせきぐん
Order in book
Address 東京都台東区上野公園13-9東京国立博物館構内
Address Transcription とうきょうとたいとうくうえのこうえん13-9とうきょうこくりつはくぶつかん
City Code 13106
Site Number 台東区№4-1
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 354309
East Longitude (WGS) 1394628
Dd X Y 35.719166 139.774444
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20161003-20170323
Research Space
2022
Research Causes 東京国立博物館管理棟(仮称)建設工事に伴う発掘調査
OverView
Site Type
散布地
Main Age
弥生
古墳
奈良
平安
Main Features
Main Foundings
弥生土器
須恵器
土師器
Remark ・江戸時代の寺院跡(東叡山寛永寺)の調査。
・中世から近代まで6面を検出。
・近世初期の堀の構築、寛永寺建立後の度重なる盛土地業や大型土橋構築など、大規模な土地改変の変遷が観察された。
・高原焼、瀬戸助焼が出土。
Site Type
集落
Main Age
中世(細分不明)
Main Features
地下式抗3基
地下式抗か1基
溝3条
小穴12基ほか
Main Foundings
磁器
陶器
土器
Remark ・江戸時代の寺院跡(東叡山寛永寺)の調査。
・中世から近代まで6面を検出。
・近世初期の堀の構築、寛永寺建立後の度重なる盛土地業や大型土橋構築など、大規模な土地改変の変遷が観察された。
・高原焼、瀬戸助焼が出土。
Site Type
社寺
Main Age
近世(細分不明)
Main Features
土橋1基
堀1条
上水施設2条
土壇1基
建物跡9基
階段状施設1基
瓦留2基
生垣2基ほか
Main Foundings
磁器
陶器
炻器
瓦類
土製品
金属製品など
土器
Remark ・江戸時代の寺院跡(東叡山寛永寺)の調査。
・中世から近代まで6面を検出。
・近世初期の堀の構築、寛永寺建立後の度重なる盛土地業や大型土橋構築など、大規模な土地改変の変遷が観察された。
・高原焼、瀬戸助焼が出土。
Site Type
Main Age
近世(細分不明)
Main Features
道路状遺構2条
生垣1基
埋設管1条
Main Foundings
磁器
陶器
炻器
土器
瓦類
土製品
金属製品など
Remark ・江戸時代の寺院跡(東叡山寛永寺)の調査。
・中世から近代まで6面を検出。
・近世初期の堀の構築、寛永寺建立後の度重なる盛土地業や大型土橋構築など、大規模な土地改変の変遷が観察された。
・高原焼、瀬戸助焼が出土。
Site Type
散布地
Main Age
弥生
古墳
奈良
平安
Main Features
Main Foundings
縄文土器
石器
Remark ・江戸時代の寺院跡(東叡山寛永寺)の調査。
・中世から近代まで6面を検出。
・近世初期の堀の構築、寛永寺建立後の度重なる盛土地業や大型土橋構築など、大規模な土地改変の変遷が観察された。
・高原焼、瀬戸助焼が出土。
Abstract 本調査地点は東京国立博物館西門の南に位置し、旧石器時代から近代までの複合遺跡である上野忍岡遺跡群に帰属する。寛永2(1625)年から近代に至るまで東叡山寛永寺の寺域の一部であり、本坊の西側、徳川家霊廟の南側にあたる。寛永寺以前の本遺跡群一帯は藤堂家、津軽家、堀家の下屋敷とされ、また、明治維新以降は内国勧業博覧会の会場や上野恩賜公園の一部となった。
調査では、中世1面、近世4面、近代1面の計6面の生活面が確認された。中世に帰属する遺構として、地下式坑や溝などがあげられる。近世初期の遺構としては、調査地点西側に大型の堀が検出された。寛永寺の建立から 18 世紀前葉までは、複数回の大規模な土地改変の様相が観察された。本坊に近い本調査地点東側においては、17 世紀後葉までに大規模な地業が3度行われ、高まりが構築された。この高まりは、もとより標高の高かった本調査地西側と、中央の低地部分とともに本調査地点全体に及ぶ谷状の地形を形成した。17 世紀後葉以降には、中央低地部分を挟んだ西側と東側を結ぶ大型の土橋が構築された。1707 年に富士山から噴出した宝永火山灰降下直後に、2度の大規模な盛土によって中央低地部分を埋め立てられ、調査地点北は概ね平坦な土地となった。なお、南については土壇が構築され、北と比してやや標高が高かったとみられる。以降近代に至るまでこの地形にはほぼ変化がなかったと窺われる。近代においては北の平坦地に砂利敷の道路が構築された。遺物については特に一括性が高い 17 世紀後半の瓦類がまとまって出土した。また、かわらけ小皿を主体とした土器類が特に多く出土し、陶磁器類の約 6 割を占めた。そのほか、仏事に用いられたとみられるものや、上手の陶磁器が多く出土するなど、徳川将軍家の祈祷寺、菩提寺としての寛永寺の特殊性を示す遺物が多くみられた。中でも、幕府御用窯の高原焼や、高原焼と関連性が指摘される瀬戸助焼が確認されたことが特筆される。
資料の保管機関:東京都台東区教育委員会生涯学習課文化財係
        〒 111-8621 東京都台東区西浅草三丁目 25 番 16 号 Tel. 03-5246-5852(直通)

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