奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41485 件
( 発行機関数 759 機関 )
現在の書誌登録数
132562 件
( 前年度比 + 1888 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147727 件
( 前年度比 + 2285 件 )
現在の文化財論文件数
120638 件
( 前年度比 + 1645 件 )
現在の文化財動画件数
1314 件
( 前年度比 + 130 件 )
( 登録機関数 118 機関 )
文化財イベント件数
1263 件
( 前年度比 + 214 件 )
※過去開催分含む

町田堀遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22323
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22323
引用表記 公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター 2018 『公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書20:町田堀遺跡』公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター 2018 『町田堀遺跡』公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書20
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=正幸|last=繁昌|first2=めぐみ|last2=樋口|title=町田堀遺跡|origdate=2018-03|date=2018-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22323|location=鹿児島県霧島市国分縄文の森2番1号|ncid=BB21567320|doi=10.24484/sitereports.22323|series=公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書|volume=20}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 町田堀遺跡
発行(管理)機関 鹿児島県教育委員会 - 鹿児島県
書名かな まちだぼりいせき 
副書名 東九州自動車道建設(志布志IC〜鹿屋串良JCT)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次 2
シリーズ名 公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書
シリーズ番号 20
編著者名
編集機関
公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
発行機関
公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
発行年月日 20180300
作成機関ID
郵便番号 8994318
電話番号 0995700574
住所 鹿児島県霧島市国分縄文の森2番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 町田堀遺跡
遺跡名かな まちだぼりいせき
本内順位
遺跡所在地 鹿児島県鹿屋市串良町細山田
所在地ふりがな かごしまけん かのやしくしらちょう ほそやまだ
市町村コード 46203
遺跡番号 203300
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 312641
東経(世界測地系)度分秒 1305555
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.444722 130.931944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140804-20141028
20151211-20160225
20160515-20170224
調査面積(㎡)
17515
調査原因 東九州自動車道 (志布志IC〜鹿屋串良JCT間) 建設に伴う記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
弥生
古墳
主な遺構
集積遺構
竪穴式住居跡
埋設土器
石器集積遺構
土坑
掘立柱建物跡
地下式横穴墓
土器破砕祭祀遺構
道跡
主な遺物
中原式土器
下剥峯式土器
塞ノ神式土器
打製石斧
磨石
中岳Ⅱ式土器
打製石斧
打製石鏃
剥片
石器
管玉
入佐式土器
黒川式土器
刻目突帯文土器
入来式土器
山ノ口式土器
中津野式土器
磨製石鏃
刀子
東原式土器
土師器(甕・坏)
特記事項
要約 町田堀遺跡は,標高90mの笠野原台地の北縁辺部に位置し,遺跡の北側と東側を串良川が蛇行して流れる。本遺跡は縄文時代早期から古代にかけての複合遺跡である。
縄文時代早期は集石遺構が多く検出され,中原式土器や下剥峯式土器などが出土した。縄文時代後期は竪穴住居跡が4軒,埋設土器が3基検出され,住居跡からは中岳Ⅱ式土器が出土している。縄文時代晩期は遺構は検出されなかったが,遺物が少量出土した。弥生時代では,竪穴住居跡が2軒と掘立柱建物跡が1棟検出された。1軒の住居跡からは後期終末期に位置けられている
中津野式土器が出土した。古墳時代では,南九州特有の地下式横穴墓が4基検出され,過年度の調査と併せて92 基の地下式横穴墓となった。町田堀遺跡では南九州で初めて円形周溝を伴う例が確認され,大隅地域や南九州の古墳時代の在り方を考える上で貴重な資料といえる。時代は不詳であるが,掘立柱建物跡が5棟検出され,そのうちの4棟は2間×2間の総柱建物である。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 591
ファイルダウンロード数 : 950

全国のイベント

外部出力