URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/91350
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DOI 二次元コード |
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DOI |
http://doi.org/10.24484/sitereports.91350
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引用表記 |
2021 『研究紀要』青森県埋蔵文化財調査センター
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2021 『研究紀要』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=義之|last=飯塚|first2=淳子|last2=杉野森|first3=光次郎|last3=秦|first4=岳|last4=齋藤|first5=高|last5=木村|first6=恵理|last6=木村|title=研究紀要|origdate=2021-03-10|date=2021-03-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91350|ncid=AA11188116|doi=10.24484/sitereports.91350|volume=26}}
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ファイル |
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書名 |
研究紀要 |
発行(管理)機関 |
青森県埋蔵文化財調査センター
- 青森県
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書名かな |
けんきゅうきよう |
副書名 |
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巻次 |
26 |
シリーズ名 |
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シリーズ番号 |
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編著者名 |
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編集機関 |
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発行機関 |
青森県埋蔵文化財調査センター
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発行年月日 |
20210310 |
作成機関ID |
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郵便番号 |
0380042 |
電話番号 |
0177885701 |
住所 |
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報告書種別 |
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
非破壊化学分析法による青森県地域の縄文石器石材の化学分析 |
英語タイトル |
Non-invasive chemical investigation of stone artifacts from Jomon sites in Aomori area, northern Japan (2) |
著者 |
飯塚 義之
, IIZUKA Yoshiyuki
杉野森 淳子
, SUGINOMORI Junko
秦 光次郎
, HATA Kojiro
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ページ範囲 |
1 - 6
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NAID |
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都道府県 |
青森県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
有形文化財
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遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
石器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
素材分析
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=義之|last=飯塚|first2=淳子|last2=杉野森|first3=光次郎|last3=秦|contribution=非破壊化学分析法による青森県地域の縄文石器石材の化学分析|title=研究紀要|date=2021-03-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91350|ncid=AA11188116|doi=10.24484/sitereports.91350|volume=26}}
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抄録(内容要約) |
青森県所蔵の縄文時代遺跡から出土した磨製石器、石製装身具、原石について、ポータブル蛍光X線分析装置(p-XRF)を用いた「その場」非破壊化学分析を試みた。分析の結果、用いられていた石材には、これまで知られていたヒスイ岩以外に、ネフライト製の石製品を確認することができた。肉眼鑑定の難しさから、報告書に記載されている石材名は時に誤りがあることがあり、ヒスイ岩、ネフライト、蛇紋岩、滑石、緑泥石、葉蝋石あるいは石英など装身具に用いられていた単鉱岩の再確認は今後とも必要と考える。特に近年、再確認されているネフライト製の石製品の存在は、縄文時代の少なくとも東北地方では普遍的な存在といえるようになってきており、またその出現時期はヒスイ岩より早い。ネフライト製石器の分布範囲、登場時期やヒスイ岩との関連性、原岩産地の推定など今後も地理的、時代的に幅広く調査を続けることが重要である。 |
タイトル |
青森県域における玉髄等の石器石材の利用について |
英語タイトル |
A study about the use of stone materials such as chalcedony in Aomori prefecture. |
著者 |
齋藤 岳
, SAITO Takashi
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ページ範囲 |
7 - 20
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NAID |
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都道府県 |
青森県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
石器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
素材分析
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=岳|last=齋藤|contribution=青森県域における玉髄等の石器石材の利用について|title=研究紀要|date=2021-03-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91350|ncid=AA11188116|doi=10.24484/sitereports.91350|volume=26}}
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抄録(内容要約) |
縄文時代後期前葉の十腰内Ⅰ式期では、六ヶ所村上尾駮(2)遺跡や野辺地町有戸鳥井平(4)遺跡のように、遺跡近隣の場所から玉髄及び玉髄質の珪質頁岩の小礫を採取して両極打法で剥片を採取した遺跡がある。同時期の舘遺跡では段丘礫に玉髄が含まれていた。筆者は段丘を開析する近隣の沢や馬淵川で小礫を採取したと考えたが、調和的である。縄文時代後期前葉の時代 性が感じられる。 さて、石器の加熱処理の可能性について言及したものは、これまでにも散見されていた。例えば新潟県上越市の小型石錐製作遺跡では、玉髄製石器に「擦りガラス状をなす剥離面とパティナの形成が微弱な剥離面」が認められることから、硬度7の硬質な玉髄の加工に加熱処理が利用された可能性が指摘された(加藤2006)。新潟県内の玉髄製石器も観察された(早瀬2007)、石川県横山海岸の玉髄質泥岩については非常に丁寧な報告がなされ(高田ほか2008)、加熱処理実験が行われた(大屋ほか2009)。 また、加熱処理技術を記載した本も翻訳されるようになった(アレ・ツィルク2020)。 御堂島は、滝沢市燧堀山から採取した玉髄で加熱処理実験を行うとともに、燧堀山の近接遺跡を対象として石器を観察することから研究を開始した。舘遺跡の位置する三戸郡は筆者の生活領域から遠い。①多くの人に知られている七里長浜産の玉髄を対象として加熱処理実験を行うこと、②そして亀ヶ岡遺跡等津軽半島西部の出土品と対比する方が現実的である。青森市米山(2)遺跡は筆者の生活領域に近く、米山(2)遺跡で使用された玉髄の産地が発見できれば、さらに効率的な調査が可能となる。 水晶は、階上岳周辺の遺跡では原石、石鏃、石匙が出土している。今後、近隣の遺跡で発掘調査が行われれば、水晶製剥片や石核が多数出土する製作遺跡も確認できると考える。 発掘調査報告書においては、総括で「調査の成果を当該遺跡が所在する地域の歴史の中に位置づける」(文化庁文化財保護部記念物課監修2010)ことが求められている。さらに遺跡を出発点とする「地域研究」が求められるようになった。加熱処理技術を含めて石器石材の調査は、地域研究の魅力的なテーマとなり得るものである。 これらについて一つの形にまとめていくためには、数年単位の時間が必要である。加熱処理実験や石器製作実験を含めた調査の客観性を保つためにも、筆者と一緒に調査もしくは継承できる方から御連絡をいただければ幸いである。 |
タイトル |
「続縄文」に関するノート |
英語タイトル |
Memorandum on "the Epi-Jomon period" |
著者 |
木村 高
, KIMURA Takashi
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ページ範囲 |
21 - 24
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NAID |
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都道府県 |
北海道
青森県
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時代 |
弥生
古墳
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
編年
文化系統
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=高|last=木村|contribution=「続縄文」に関するノート|title=研究紀要|date=2021-03-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91350|ncid=AA11188116|doi=10.24484/sitereports.91350|volume=26}}
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抄録(内容要約) |
北海道と東北地方北部では弥生時代以降も「縄文の多い土器の型式が続いている」(山内1939)。この現象に着眼した山内清男(1939)は「続縄文」という概念を創出し、土器の特徴の中に東北地方中部以南とは異なる文化の存在を予察した。 弥生時代中期後葉以降の東北地方北部を考える上で、「続縄文」の概念は不可欠である。しかしこの用語を適切に扱うのは意外に難しい。それは「続縄文文化」の中心が北海道にあり、東北地方北部に存在したのは「続縄文文化の要素」に過ぎないためである。 藤本強による「「ボカシ」の地帯」(藤本強1988)という表現は、東北地方北部の文化様相を感覚的に理解する上では優れたものであるが、北海道の続縄文文化に対置させるには均衡がとれないのが難点である。弥生時代中期後葉~古墳時代の東北地方北部の文化を北海道の続縄文文化に対置させるかたちで把握するには弥生文化、古墳文化、そして続縄文文化の概念の整理が前提である。本稿に掲載した「表1 山内清男による「続縄文」」と「表2 辞書に記載された「続縄文」」は、この整理過程で集まったものを抄出したものである。 |
タイトル |
米山(2)遺跡出土の烏帽子について |
英語タイトル |
A study about the Eboshi excavated from Yoneyama №2 site in Aomori city. |
著者 |
木村 恵理
, KIMURA Eri
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ページ範囲 |
26 - 28
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NAID |
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都道府県 |
青森県
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時代 |
中世(細分不明)
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
集落
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
資料紹介
資料集成
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=恵理|last=木村|contribution=米山(2)遺跡出土の烏帽子について|title=研究紀要|date=2021-03-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/91350|ncid=AA11188116|doi=10.24484/sitereports.91350|volume=26}}
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抄録(内容要約) |
米山(2)遺跡出土の烏帽子は和紙を芯として2種類の布を重ね、顔料等を含まない漆を塗布する構造であることが明らかとなった。また、布で補修したと推測される痕跡が確認されたことは貴重である。今後の課題としては、米山(2)遺跡において烏帽子が出土した意義について、出土遺構や他の遺物との総合的な検討が挙げられる。 |
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所収遺跡 |
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要約 |
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