「続縄文」に関するノート
Memorandum on "the Epi-Jomon period"
木村 高
( KIMURA Takashi )
北海道と東北地方北部では弥生時代以降も「縄文の多い土器の型式が続いている」(山内1939)。この現象に着眼した山内清男(1939)は「続縄文」という概念を創出し、土器の特徴の中に東北地方中部以南とは異なる文化の存在を予察した。
弥生時代中期後葉以降の東北地方北部を考える上で、「続縄文」の概念は不可欠である。しかしこの用語を適切に扱うのは意外に難しい。それは「続縄文文化」の中心が北海道にあり、東北地方北部に存在したのは「続縄文文化の要素」に過ぎないためである。
藤本強による「「ボカシ」の地帯」(藤本強1988)という表現は、東北地方北部の文化様相を感覚的に理解する上では優れたものであるが、北海道の続縄文文化に対置させるには均衡がとれないのが難点である。弥生時代中期後葉~古墳時代の東北地方北部の文化を北海道の続縄文文化に対置させるかたちで把握するには弥生文化、古墳文化、そして続縄文文化の概念の整理が前提である。本稿に掲載した「表1 山内清男による「続縄文」」と「表2 辞書に記載された「続縄文」」は、この整理過程で集まったものを抄出したものである。
弥生時代中期後葉以降の東北地方北部を考える上で、「続縄文」の概念は不可欠である。しかしこの用語を適切に扱うのは意外に難しい。それは「続縄文文化」の中心が北海道にあり、東北地方北部に存在したのは「続縄文文化の要素」に過ぎないためである。
藤本強による「「ボカシ」の地帯」(藤本強1988)という表現は、東北地方北部の文化様相を感覚的に理解する上では優れたものであるが、北海道の続縄文文化に対置させるには均衡がとれないのが難点である。弥生時代中期後葉~古墳時代の東北地方北部の文化を北海道の続縄文文化に対置させるかたちで把握するには弥生文化、古墳文化、そして続縄文文化の概念の整理が前提である。本稿に掲載した「表1 山内清男による「続縄文」」と「表2 辞書に記載された「続縄文」」は、この整理過程で集まったものを抄出したものである。