奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41113 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132387 件
( 前年度比 + 1698 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147502 件
( 前年度比 + 2071 件 )
現在の文化財論文件数
120544 件
( 前年度比 + 1541 件 )
現在の文化財動画件数
1296 件
( 前年度比 + 112 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1241 件
( 前年度比 + 190 件 )
※過去開催分含む

中郷田尻遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24360
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24360
引用表記 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告412:中郷田尻遺跡』財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『中郷田尻遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告412
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=和男|last=松村|first2=修一郎|last2=楢崎|title=中郷田尻遺跡|origdate=2007-10-19|date=2007-10-19|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/24360|location=群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2|ncid=AA12464525|ncid=BA84352773|doi=10.24484/sitereports.24360|series=群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告|volume=412}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 中郷田尻遺跡
発行(管理)機関 (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 - 群馬県
書名かな なかごうたじりいせき
副書名 国道353号(鯉沢バイパス)補助公共道路改築事業(国道・円滑)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 7
巻次
シリーズ名 群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告
シリーズ番号 412
編著者名
編集機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20071019
作成機関ID
郵便番号 377-8555
電話番号 0279-52-2511
住所 群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中郷田尻遺跡 
遺跡名かな なかごうたじりいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県渋川市中郷
所在地ふりがな ぐんまけんしぶかわしなかごう
市町村コード 10341
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 363107
東経(日本測地系)度分秒 1390211
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5217 139.0332
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20050401-20060331
調査面積(㎡)
5063
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑51
包含層
主な遺物
特記事項 古墳時代後葉火山灰直下の竪穴式住居跡・掘立柱建物跡・祭祀跡、火山灰上の平地式建物跡等。
種別
田畑
時代
弥生
主な遺構
住居跡11
土坑1
包含層
主な遺物
特記事項
種別
時代
古墳
主な遺構
住居跡67
平地式建物跡11
掘立柱建物跡15
土坑716
溝1
遺物集中19
祭祀跡1
包含層
主な遺物
須恵器
土師器
石製品
ガラス製品
鉄器
特記事項
種別
時代
平安
主な遺構
住居跡26
掘立柱建物跡13
土坑798
溝10
主な遺物
特記事項
種別
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
水田跡
畠跡
主な遺物
特記事項 主な時代:中近世
要約 [中郷田尻遺跡  要約]
縄文時代草創期の隆起線文土器及び石器が基盤の礫層上から出土した。水辺で生活した当時の人々の営みを示す貴重な資料となった。古墳時代中葉から弥生時代後期の多数の住居跡が検出された。これらの住居跡は傾斜地には無く、台地の平坦面を中心に分布していた。ただし、4世紀代のものは欠落し、その時期には他の場所に生活の拠点が移動したことが伺える。火山灰下では水田や畠だけでなく、本遺跡では竪穴住居跡や垣に囲まれた掘立柱建物跡・祭祀跡が検出された。竪穴住居跡の床面には火砕流の吹き溜まりも認められ、柱も僅かに傾いていた。さらに掘立柱建物跡の柱痕は榛名山と反対側に大きく傾いていた。火山災害の大きさを知ることが出来る貴重な資料である。火山灰降下後では竪穴住居跡を埋め立てた後平地式建物や掘立柱建物跡を建て、畠を営んだ痕跡が確認された。降下後復旧した当時の人々を逞しさを看取することができた。軽石の下では畠や水田、踏み分け道跡などの降下直前の地表面そのものが確認できた。軽石の上では平安時代以降の竪穴住居跡や掘立柱建物跡、中世の墓坑なども確認された

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 402
ファイルダウンロード数 : 216

全国のイベント

外部出力