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研究紀要

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131465
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131465
引用表記 公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター 2016 『研究紀要』公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター 2016 『研究紀要』
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書名 研究紀要
発行(管理)機関 (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター - 栃木県
書名かな けんきゅうきよう
副書名
巻次 24
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
発行年月日 20160329
作成機関ID 09000-a
郵便番号 0290418
電話番号 0285448441
住所 栃木県下野市紫474
報告書種別
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
1,『研究紀要』第24号の全体,とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
2,足利市神畑遺跡出土の石剣について,芹澤清八・後藤信祐
3,那珂川流域の加曾利EI式初現期の地域差,塚本師也
4,東日本前期古墳埋葬施設の基礎的検討(集成編),石橋宏
5,栃木市都賀町愛宕塚古墳の低位置突帯埴輪,岡山亮子・曽我真美子
6,四十八塚古墳群に埋葬された被葬者を考察する,谷畑美帆・中村享史・内山敏行
7,下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡についての覚書,池田敏宏
8,中世初期における経塚出土短刀の分類と変遷,大竹弘高
所収論文
タイトル 足利市神畑遺跡出土の石剣について
英語タイトル
著者
芹澤 清八 , SERIZAWA Seihachi
後藤 信祐 , GOTO Shinsuke
ページ範囲 1 - 8
NAID
都道府県 栃木県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 石器
学問種別 考古学
テーマ 資料紹介 資料集成
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 平成23年度刊行の発掘調査報告書に掲載できなかった神畑遺跡の緑泥片岩製の石剣を紹介し、栃木県内の緑泥片岩製の石棒・石剣を概観した。神畑遺跡の石剣は晩期前葉の竪穴住居跡から出土しており、表裏に片理面、剥離面を大きく残す短冊形の完形品で、晩期前半に産出地である埼玉県北部を中心に分布する粗製石剣の外縁の資料と考えられる。
また、緑泥片岩製の大形石棒は、中期後半から後期前半に県内各地で出土しており、中期後半から後期初頭には石剣状の石棒、後期前葉には無頭の小形石棒が併存している。晩期前半の緑泥片岩製の石剣は精製・粗製の二者があり、精製石剣は数が少ないが県北まで分布するものの、粗製石剣は県南までである。そして晩期中葉には栃木県東部から茨城県北部の粘板岩を素材とした石剣に移行する。
タイトル 那珂川流域の加曾利EI式初現期の地域差
英語タイトル
著者
塚本 師也 , TUKAMOTO Moroya
ページ範囲 9 - 30
NAID
都道府県 茨城県 栃木県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
遺跡種別 集落
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 文化系統
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 那珂川流域の加曽利EⅠ式古段階を取り上げ、上・中・下流域を相互に比較して地域差の把握を試みた。上流域に当たる那須野が原周辺では、浄法寺類型が主体を占め、火炎系土器、在地の大木8a式土器のほか、東・西関東の文様要素を取り入れた在地の土器が存在することを確認した。中流域に当たる八溝山地鷲子・鶏足山塊周辺では、狭い無文帯下に背の高い背割り隆帯を巡らし、頸部に横位沈線を多段・幅広に巡らす在地の大木8a式土器や比較的幅太の貼付隆帯による波状文等を配す寸胴なキャリパー形深鉢を中心に、口縁に2条隆帯を巡らし、以下を地文のみとする大木8a式土器等が伴うことが予想された。下流域では、細い貼付隆帯による波状文、渦巻文等を施す背の高いスマートなキャリパー形深鉢が主体を占め、中流域にみられた比較的幅太い貼付隆帯による波状文を配す土器や各種大木8a式土器が伴うことが確認できた。また各地域とも下総台地型の加曽利EⅠ式土器が一定量存在することも分かった(第11・12図)。
タイトル 東日本前期古墳埋葬施設の基礎的検討(集成編)
英語タイトル
著者
石橋 宏 , ISHIBASHI Hiroshi
ページ範囲 31 - 60
NAID
都道府県 宮城県 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県 岐阜県 静岡県 愛知県 三重県 滋賀県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別 古墳
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ 資料集成
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 東国では舟形木棺2類と箱形木棺が卓越した分布状況を示し、近畿の様相とは明らかに異なることを木棺形式分布図と集成図を示すことで明示した。岩崎卓也氏の指摘した前期後半の粘土槨+割竹形木棺の斉一的波及や土器様相などから王権の段階的な影響力の強化を読みとる見解が現在も影響を与えていると考え、再検討の必要性を指摘するとともに、前期古墳の棺の評価は中期古墳の棺の評価とも関わることを予察した。
タイトル 栃木市都賀町愛宕塚古墳の低位置突帯埴輪
英語タイトル
著者
岡山 亮子 , OKAYAMA Ryouko
曽我 真美子 , SOGA Mamiko
ページ範囲 61 - 80
NAID
都道府県 栃木県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別 古墳
遺物(材質分類) 土器
学問種別 考古学
テーマ 資料紹介
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 栃木市都賀町木所在の愛宕塚古墳より採集された未報告の低位置突帯埴輪について報告する。本資料群で完形品は無い。しかし未報告であること、従来の低位置突帯埴輪の集成ではみられない赤津川流域に所在すること、旧都賀町で唯一の前方後円墳から出土したことから資料報告をおこなうこととした。また低位置突帯埴輪は類例が多くない。そのため筆者の覚え書きとして、低位置突帯埴輪の分析・検討をおこなった。それらを通じて、低位置突帯埴輪は、底部調整技法の一つであると考える。
タイトル 四十八塚古墳群に埋葬された被葬者を考察する-遺物・遺構及び人類学的な視点から-
英語タイトル
著者
谷畑 美帆 , TANIHATA Miho
中村 享史 , NAKAMURA Takashi
内山 敏行 , UCHIYAMA Toshiyuki
ページ範囲 81 - 98
NAID
都道府県 栃木県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別 古墳
遺物(材質分類) 骨・歯・角製品 土器 金属器
学問種別 考古学 人類学
テーマ 編年 調査技術 制度・政治
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 栃木県域南西部に所在する佐野市四十八塚古墳群の成人人骨と歯牙から、各古墳に3体程度(2〜4体)を北頭位で埋葬したことを推定した。横穴式石室は無袖型長方形と両袖型胴張形に大きく分類できることと、古墳周溝や主体部の間に重複関係がなく、周溝を回避する事例があることを指摘した。石室内に複数体を埋葬する一方で栃木県域中央部のような周溝内埋葬をしないことの物理的・社会的理由と、北関東西部で後期群集墳の中小円墳に小札甲を副葬する背景を検討した。副葬遺物との関係を検討すると、2体を埋葬するSZ-471とSZ-472は土器型式で1型式または2型式、3体または4体を埋葬するSZ-478では4型式に相当する埋葬期間を持つ。また、石室奥壁付近の被葬者に副葬品が多い傾向がみられた。
タイトル 下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡についての覚書 ―百済王俊哲との関係検討を中心に―
英語タイトル
著者
池田 敏宏 , IKEDA Toshihiro
ページ範囲 99 - 108
NAID
都道府県 栃木県
時代 奈良 平安
文化財種別 考古資料
遺跡種別 宮都
遺物(材質分類) 木製品
学問種別 考古学 文献史学
テーマ 制度・政治
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 本稿は、冒頭で下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡(No.4140木簡)本体と出土遺構の概要〔土坑の埋没は延暦10年(791)7月以降と考えられている〕をふれたのち、延暦九~十年(790~791)頃の『続日本紀』記載下野国記事を整理する。その上で「員外史生陳廷荘」の考課と評定者(当該期の下野守)の関係を考察を行った。その結果、「百済王俊哲以前に陳廷荘が下野に赴任」するケース、「百済王俊哲と共に陳廷荘が下野に赴任」するケースの2つが想定できることを提示した。
タイトル 中世初期における経塚出土短刀の分類と変遷 -関東地方とその周辺の資料を対象にして-
英語タイトル
著者
大竹 弘高 , OOTAKE Hirotaka
ページ範囲 109 - 131
NAID
都道府県 福島県 茨城県 栃木県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 新潟県 富山県 山梨県 長野県 静岡県 兵庫県 香川県
時代
文化財種別
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) これまであまり研究されてこなかった中世の短刀に関して、関東地方および周辺諸県で見つかっている経塚の資料を主に扱い、分類と編年を行うものである。まず、分類に関しては、長さ、鋒の形状、反りの有無で大分類し、区の形状、棟の形状によって小分類を行った。そして、それぞれの系譜を組立て、各遺跡の年代観を元にそれぞれの分類の年代幅を考察した。その結果、12世紀前半から13世紀初頭の時期の中で、12世紀後半に撫区から角区のものへ、また刀身に反りの加わるものが出現すること、12世紀末から13世紀初頭にかけて平棟から庵棟、丸棟のものへと変化することが想定できた。最後に関東地方および周辺諸県以外の経塚出土資料の検討による地域差の問題、設定した分類の祖型と後続形態の問題などを挙げ、今後の課題とした。
所収遺跡
要約

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