下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡についての覚書 ―百済王俊哲との関係検討を中心に―

池田 敏宏 ( IKEDA Toshihiro )
本稿は、冒頭で下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡(No.4140木簡)本体と出土遺構の概要〔土坑の埋没は延暦10年(791)7月以降と考えられている〕をふれたのち、延暦九~十年(790~791)頃の『続日本紀』記載下野国記事を整理する。その上で「員外史生陳廷荘」の考課と評定者(当該期の下野守)の関係を考察を行った。その結果、「百済王俊哲以前に陳廷荘が下野に赴任」するケース、「百済王俊哲と共に陳廷荘が下野に赴任」するケースの2つが想定できることを提示した。
池田敏宏 2016「下野国府跡出土「陳廷荘」銘木簡についての覚書 ―百済王俊哲との関係検討を中心に―」 『研究紀要』 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/120592
NAID :
都道府県 : 栃木県
時代 奈良 平安
文化財種別 考古資料
史跡・遺跡種別 宮都
遺物(材質分類) 木製品
学問種別 考古学 文献史学
テーマ 制度・政治
他の電子リソース :
総覧登録日 : 2023-05-12
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