鐘・雲版・鰐口 ―駿遠から南信へ―
足立 順二
南信濃にある梵鐘・雲版・鰐口の一部には、奉納先の三河・遠江・駿河を離れ、伝世する例がある。
むろんある時期、奉納先から人によって運ばれてきたものであるが、なぜ、どのようにして、どんなルートで運ばれたのかを検討する。
またこれら仏具の型式的特徴から一部が遠江・駿河の鋳物師集団の作品であることを指摘し、今も遠江・駿河に残る仏具との近似点を取りあげて、その関係についてもふれている。このように小論は梵鐘・雲版・鰐口を単に銘文だけを取り上げるのではなく、三・遠・南信における移動の意味やそれに基づく新たな地域史を描こうとしている。
むろんある時期、奉納先から人によって運ばれてきたものであるが、なぜ、どのようにして、どんなルートで運ばれたのかを検討する。
またこれら仏具の型式的特徴から一部が遠江・駿河の鋳物師集団の作品であることを指摘し、今も遠江・駿河に残る仏具との近似点を取りあげて、その関係についてもふれている。このように小論は梵鐘・雲版・鰐口を単に銘文だけを取り上げるのではなく、三・遠・南信における移動の意味やそれに基づく新たな地域史を描こうとしている。