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石井要害跡Ⅳ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70673
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70673
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書19:石井要害跡Ⅳ』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『石井要害跡Ⅳ』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書19
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書名 石井要害跡Ⅳ
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな いしいようがいあとよん
副書名
巻次
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 19
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20200326
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石井要害跡 第4次調査
遺跡名かな いしいようがいあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市石井
所在地ふりがな とっとりけんよなごしいしい
市町村コード 31202
遺跡番号 156
北緯(日本測地系)度分秒 352418
東経(日本測地系)度分秒 1332051
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.4081 133.3448
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190819-20191016
調査面積(㎡)
500
調査原因 急傾斜地対策工事
遺跡概要
種別
城館
時代
室町
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
腰郭
土塁
段状遺構
主な遺物
陶磁器
土師器
須恵器
瓦質土器
特記事項
要約  石井要害跡は、米子市西部に位置し、加茂川左岸の標高29mの独立丘陵上に位置する。今回の調査は、出丸と称される丘陵の頂部平坦面の東側とその北東側斜面の調査実施した。
 第1次、第2次調査では、Ⅰ期からⅢ期の3時期に時期区分されていたが、今回の調査では、第3次調査と同様に5面の遺構面を確認しており、従来のⅡ期がⅡ-1期からⅡ-3期に細分され、全体として5時期に時期区分されると考えられる。
 調査の結果、Ⅰ期(15世紀後半)には、頂部平坦面で北東-南西方向に伸びると考えられる土塁1を検出し、規模は検出した範囲で長さ4.5m、幅は検出面での上端で3.6~5m、残存高0.35mを測る。土塁1は第1次調査地の曲輪1の縁辺部にも巡っていたと考えられる。また、腰郭11、腰郭12の2郭が構築されており、腰郭11は掘削を行わなかったが、切岸の下部で平坦面の一部を確認しており、頂部平坦面との比高差は3mを測る。
 Ⅱ期(16世紀前半から中頃)には、Ⅱ-1期からⅡ-3期に細分されるが、各時期がどれくらいの時期幅を有するかは不明である。Ⅱ-1期にはⅠ期の腰郭11と腰郭12を版築状に埋め立てるとともに、同じくⅠ期の土塁1の両側を削平して頂部平坦面の郭1の拡張を行っている。Ⅱ-2期にはⅠ期からⅡ-1期にかけて存在した土塁1は郭1の造成によって土塁1の上面まで埋め立てられ、郭1を南北に隔てる防御あるいは区画施設としての役割は終焉を迎える。一方、北東側斜面の腰郭9の平坦面では4基のピットを検出したが、掘立柱建物跡や柵列として断定できるものではなかった。Ⅱ-3期には北東側斜面の腰郭9の平坦面ではピットは検出されず、建物等の施設は存在しなかったものと考えられる。
 Ⅲ期には、北東側斜面の平坦地は畑地化されたと考えられ、そま排水用と考えられる現代の溝状遺構を検出した。

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