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新堂遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131880
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131880
引用表記 橿原市役所魅力創造部文化財保存活用課 2023 『橿原市埋蔵文化財調査報告19:新堂遺跡』橿原市役所
橿原市役所魅力創造部文化財保存活用課 2023 『新堂遺跡』橿原市埋蔵文化財調査報告19
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書名 新堂遺跡
発行(管理)機関 橿原市 - 奈良県
書名かな しんどういせき
副書名 大型商業施設建設に伴う発掘調査報告書
巻次 7
シリーズ名 橿原市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 19
編著者名
編集機関
橿原市役所魅力創造部文化財保存活用課
発行機関
橿原市役所
発行年月日 20230330
作成機関ID 292052
郵便番号 6340826
電話番号
住所 奈良県橿原市川西町858-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 新堂遺跡
遺跡名かな しんどういせき
本内順位 1
遺跡所在地 奈良県橿原市新堂町
所在地ふりがな ならけんかしはらししんどうちょう
市町村コード 292052
遺跡番号 14C545A
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343013
東経(世界測地系)度分秒 1354534
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.503611 135.759444
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200601-20201207
調査面積(㎡)
4125
調査原因 大型商業施設建設
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
縄文
弥生
古墳
平安
主な遺構
河道
しがらみ遺構
土坑
耕作溝群
主な遺物
土師器
須恵器
韓式系土器
製塩土器
木製品
特記事項
要約 今回の調査は、橿原市教育委員会編2020『新堂遺跡Ⅳ』で報告を行った新堂遺跡1区・2 区と同一事業に基づく発掘調査である。今回調査を実施した3区・4区は2区の北西に隣接する地点に位置する。
 遺構は古墳時代中期と平安時代後期~鎌倉時代の遺構が存在する。出土遺物には縄文時代後期~古墳時代前期のものも含まれる。
 古墳時代中期が今回の調査成果の中心である。出土遺物も大多数がこの時期である。古墳時代中期の遺構には河道、溝、土坑、落ち込みがある。河道は2区で確認した古墳時代中期河道の下流部にあたり南東―北西方向にほぼ直線的に流れる。4区南東隅では河道内でしがらみ遺構を検出している。これも2区のしがらみ遺構と一連の「水制」構造物であり、その最下流部にあたる。しがらみ遺構の構築時の姿と構築方法が明らかになった点は今回の新たな成果である。河道からは土師器、須恵器、韓式系土器、木製品等、2区と同様の特徴的な遺物が出土している。中期初頭の遺物は河道上流側に集中する一方、中期後半の遺物は河道全体に分散して出土する。河道の他には河道東岸沿いを中心に溝が複数存在している。河道以外からの出土遺物は少量である。
 平安時代後期~鎌倉時代初頭には調査地一帯は耕作地となり、以後、近現代に至るまでその在り方が継続する。

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