沼津市植出Ⅱ遺跡出土ガラス勾玉鎔笵をめぐって
大谷 宏治
沼津市植出北Ⅱ遺跡出土の4点のガラス勾玉鎔笵を観察し特徴を確認したところ、胎土や製作技法の違いから2つに区分することができる。また、4点とも外面には二次的被熱は確認できないことから、鎔笵の勾玉型にガラス素材を入れて熱して熔解させたわけではなく、坩堝などで熔解し、勾玉型に流し込んだ可能性が高いことを確認した。さらに、供給先を探るため植出北Ⅱ遺跡に隣接する植出遺跡出土ガラス勾玉の嵌め込み試験を行った結果、鎔笵1に嵌ることが確認でき、生産されたガラス勾玉が供給された可能性が高まった。
つづいて、植出北Ⅱ遺跡出土例の位置づけを探るため全国的なガラス勾玉鎔笵の出土例の材質、形態分類を行ったうえで時期的位置づけ、分布を確認し、植出北Ⅱ遺跡例が弥生時代のガラス勾玉鎔笵として現在でも日本列島で最も東の事例であることを再確認した。また、植出北Ⅱ遺跡にガラス勾玉鋳造技術が伝播したルートについて東海地方における銅製品の鋳造関連遺物出土遺跡の分析や東駿河における弥生時代後期後半の外来系土器の分析研究を援用し、大阪平野北部~琵琶湖周辺~濃尾平野~東三河・遠江~駿河というルートに絞ることは難しく、北近畿~北陸~中部高地~駿河というルートなど、現状では複数の伝播経路が想定できることから、今後も研究の継続が必要であることを論じた。
つづいて、植出北Ⅱ遺跡出土例の位置づけを探るため全国的なガラス勾玉鎔笵の出土例の材質、形態分類を行ったうえで時期的位置づけ、分布を確認し、植出北Ⅱ遺跡例が弥生時代のガラス勾玉鎔笵として現在でも日本列島で最も東の事例であることを再確認した。また、植出北Ⅱ遺跡にガラス勾玉鋳造技術が伝播したルートについて東海地方における銅製品の鋳造関連遺物出土遺跡の分析や東駿河における弥生時代後期後半の外来系土器の分析研究を援用し、大阪平野北部~琵琶湖周辺~濃尾平野~東三河・遠江~駿河というルートに絞ることは難しく、北近畿~北陸~中部高地~駿河というルートなど、現状では複数の伝播経路が想定できることから、今後も研究の継続が必要であることを論じた。