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史料から見た草戸千軒
KIMURA NOBUYUKI
( 木村 信幸 )
草戸千軒の古地名について記されたと考えられる史料から,草津→草井地・草出→草土→草戸と地名が変遷したと言われてきた。本稿で改めてそれら史料を検討したところ,草戸千軒の町の空間構成を次のとおり明らかにした。
芦田川河口の右岸に,西側に山並みを有し,北から東・南へかけての川や海に向けて草の生い茂った「クサイツ」というところが存在した。「クサイツ」の山際の微高地辺りを開墾して田畑や平地を造り出していき,そこを「くさと」と呼んだ。「クサイツ」の北から東・南にかけての川や海からは内部へ向けて水路が整備され,その所々には港が造られ,「つ」と呼び「くさつ」と略した。「クサイツ」には市も立ち,「くさいち」と呼び,所々の「くさつ」をつなぎ,「くさと」と接していた。
芦田川河口の右岸に,西側に山並みを有し,北から東・南へかけての川や海に向けて草の生い茂った「クサイツ」というところが存在した。「クサイツ」の山際の微高地辺りを開墾して田畑や平地を造り出していき,そこを「くさと」と呼んだ。「クサイツ」の北から東・南にかけての川や海からは内部へ向けて水路が整備され,その所々には港が造られ,「つ」と呼び「くさつ」と略した。「クサイツ」には市も立ち,「くさいち」と呼び,所々の「くさつ」をつなぎ,「くさと」と接していた。