倉賀野薬師前遺跡
田中 浩江
清水 豊
倉賀野城の外堡の一つである倉賀野西城(支城)としての可能性も考えられた調査区であったが、古墳時代前期初頭の住居跡1棟と、中世の溝跡遺構12 本、井戸跡遺構1基、竪穴建物跡4棟、掘立柱建物跡5棟、土坑40 基、柱穴223 基が検出された。これらの中世に所産期を求められる遺構は、3時期に分けられ、近世としては長崎貿易銭を出土する土坑が1 基検出された。中世の遺構はすべて15 ~16 世紀に帰属し、倉賀野城が築城されてより、倉賀野城内部分裂時代・武田氏配下時代・後北条氏配下時代を経て倉賀野城降伏・廃城に至るまでに、柵列・竪穴建物跡・掘立柱建物跡により構成される段階、多くの溝跡・竪穴建物跡・掘立柱建物跡により構成される段階、溝を埋めて柱を抜き墓坑群となる段階を追うことができた。部分発掘ではあるものの、倉賀野西城としての可能性を積極的に求め得ることのできる遺跡である。
田中浩江,清水豊 2024「倉賀野薬師前遺跡」 『倉賀野薬師前遺跡』高崎市文化財調査報告書
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/article/124441
NAID :
Prefecture :
Gumma Prefecture
文化財種別
遺物(材質分類)
土器
学問種別
テーマ
Related Url :
Created Date :
2025-01-20
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation ... 開く
Page view : 94
File download : 0
File download : 0
