総括
SATO Yuki
( 佐藤 祐樹 )
東平遺跡は、静岡県東部、富士山南麓に広がる大淵扇状地の緩斜面上に位置する。遺跡の西には伝法沢川が流れ、潤井川から分岐した小潤井川に合流し駿河湾へと至る。遺跡の南東部に所在する富知六所浅間神社周辺は富士山の溶岩末端部分に位置し、現在も湧水が認められており、和田川となって駿河湾へ注ぎ込む。
東平遺跡では、これまでに行われた調査で、整然と並び建てられた掘立柱建物群や380軒近くの竪穴建物が確認されており、奈良時代における駿河国富士郡の郡衙と考えられている。また、遺跡内には郡衙周辺寺院に位置づけられる寺院(三日市廃寺跡)が存在したことが布目瓦の分布から明らかとなっている。
本書で報告する第136地区においても、8世紀から9世紀にかけて、建物軸を揃えて計画的に建てられたとみられる掘立柱建物5棟(SH2001 ~2005)と、同時期の竪穴建物9軒(SB2001 ~ 2009)が検出されている。竪穴建物からは畿内産(系)土器や、腰帯具、製塩土器が出土するなど、宿泊機能を有する館とそれに伴う饗宴空間という特別な空間が整備されていたと想像できる。本地区内には富士郡司の祖先墓と位置付けられる東平第1号墳が7世紀中葉に築かれており、本地区一帯が富士郡家にとって特別なエリアであったと結論付けられる。
東平遺跡では、これまでに行われた調査で、整然と並び建てられた掘立柱建物群や380軒近くの竪穴建物が確認されており、奈良時代における駿河国富士郡の郡衙と考えられている。また、遺跡内には郡衙周辺寺院に位置づけられる寺院(三日市廃寺跡)が存在したことが布目瓦の分布から明らかとなっている。
本書で報告する第136地区においても、8世紀から9世紀にかけて、建物軸を揃えて計画的に建てられたとみられる掘立柱建物5棟(SH2001 ~2005)と、同時期の竪穴建物9軒(SB2001 ~ 2009)が検出されている。竪穴建物からは畿内産(系)土器や、腰帯具、製塩土器が出土するなど、宿泊機能を有する館とそれに伴う饗宴空間という特別な空間が整備されていたと想像できる。本地区内には富士郡司の祖先墓と位置付けられる東平第1号墳が7世紀中葉に築かれており、本地区一帯が富士郡家にとって特別なエリアであったと結論付けられる。