鞠智城と古代西海道の官衙・交通路
堀内 和宏
古代律令国家にとっての肥後と鞠智城の意義を明らかとするとすることが本稿の目的である。有明海の海上交通を介して肥後と一体の歴史的世界を形成した肥前との歴史的関係を、特殊遺物の出土地一覧の作成と遺跡位置の表示を中心として、多面的に分析した。
古代の外国船の来着地、遣唐使船の帰着地は風向きと海流により多様であり、西九州地域がその寄港地たる事実は揺るがない。肥前・肥後の結びつきは、弥生時代以来の有明海の交通路を前提としている。肥前・肥後の地域間関係は『日本書紀』や『肥前国風土記』での景行天皇の巡行伝承にも象徴されている。鞠智城の位置はこれまで論じられてきたように筑前・肥前・筑後の防衛ラインのバックアップと共に、有明海に在地豪族の導きで外国軍が侵入することを防ぐ意味を兼ね備えていたものと考えた。
古代の外国船の来着地、遣唐使船の帰着地は風向きと海流により多様であり、西九州地域がその寄港地たる事実は揺るがない。肥前・肥後の結びつきは、弥生時代以来の有明海の交通路を前提としている。肥前・肥後の地域間関係は『日本書紀』や『肥前国風土記』での景行天皇の巡行伝承にも象徴されている。鞠智城の位置はこれまで論じられてきたように筑前・肥前・筑後の防衛ラインのバックアップと共に、有明海に在地豪族の導きで外国軍が侵入することを防ぐ意味を兼ね備えていたものと考えた。