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研究紀要

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/112106
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.112106
引用表記 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター 2009 『研究紀要』公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター 2009 『研究紀要』
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書名 研究紀要
発行(管理)機関 (公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター - 愛知県
書名かな けんきゅう きよう
副書名
巻次 10
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター
発行年月日 20090300
作成機関ID
郵便番号 4980017
電話番号 0567674163
住所 愛知県弥富市前ケ須町野方802-24
報告書種別
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 東海地域縄文時代後晩期の骨角器製点状刺突具類について ヤス・鏃・針の分析
英語タイトル
著者
川添 和暁
ページ範囲 1 - 22
NAID
都道府県 岐阜県 静岡県 愛知県 奈良県
時代 縄文
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類) 骨・歯・角製品
学問種別 考古学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約) 本稿では、従来、ヤス・鏃・針などと呼称されている器種群について、点状刺突具類として一括してまずは分析・検討し、東海地域縄文時代後晩期の実資料に即した形で、再分類を行った。分析の中心はシカ中手・中足骨製であったが、エイ尾棘製の使用も現状より多かったのでは考えられる。点状刺突具類は東海地域において骨角製利器の中心的位置を占めているものの、実際は小地域および遺跡ごとにより、製作・使用・廃棄の様相が大きく異なっており、生業における役割および用いた集団を考える上で糸口になる視点を提示した。
タイトル 古墳時代村落と石製模造品
英語タイトル
著者
早野 浩二
ページ範囲 23 - 34
NAID
都道府県
時代 古墳
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類) 石製品
学問種別 考古学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約) 本文は、村落研究における石製模造品の学史的・今日的な研究状況における位置を確かめるものである。1970 年代、村落における石製模造品は、村落祭祀の研究とも関係しつつ、観念の段階的相違、イデオロギー統制の史的前提を示す祭祀具として扱われる傾向にあった。1980 年代、村落における民俗的祭器としての位置も示されたが、1980 年代末年以降、村落祭祀の枠組みにおける石製模造品の位置は必ずしも適確には示されなかった。こうした学史的経緯を踏まえ、さらに特徴的な村落や古墳における石製模造品の存在形態を例示しつつ、石製模造品が村落祭祀に付随し、外来思想にも触発されながら、地域開発、生産力発展を観念させる装置として機能したことを推考した。そして、石製模造品を村落祭祀が発展し、形骸化する過程の端緒とした。
タイトル 猿投窯型瓦塔の展開(2) 猿投窯型以前
英語タイトル
著者
永井 邦仁
ページ範囲 35 - 42
NAID
都道府県 愛知県
時代 古代(細分不明)
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類) 土製品(瓦含む)
学問種別 考古学
テーマ
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引用表記
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抄録(内容要約) 東海地域において猿投窯型瓦塔が量産化される以前、およそ8 世紀前半の瓦塔を検討する。尾張・三河・遠江国域で数点ずつ確認できた瓦塔では、軸部上端に庇状・簾状粘土帯を付加することによって組物を表現する技法が採用されていた。この技法は猿投窯型瓦塔の空中粘土帯技法に通ずるもので、当該期の瓦塔がその原型になっていたと結論づけた。そして庇状・簾状粘土帯技法は、関東地域の8世紀前葉〜中葉の瓦塔にもみられ、両地域の瓦塔をつなぐ手がかりになるものと見通した。
タイトル 中世下津宿を考える
英語タイトル
著者
鵜飼 雅弘
蔭山 誠一
鬼頭 剛
鈴木 正貴
松田 訓
ページ範囲 43 - 67
NAID
都道府県 愛知県
時代
文化財種別 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 中世における尾張国下津宿の性格と景観を復元する為に、中世下津宿に関する文献史料と寺社の分析、明治17 年作成の地籍図の分析、現在の地形解析、当該地の地表面踏査、下津周辺の発掘調査成果の分析などを行なった。その結果、中世における下津が旧三宅川と旧青木川の合流する「下津河」と中世東海道が交差することを推定し、地域における物流と京都から鎌倉を結ぶ主要なネットワークの要所に位置することを明らかにした。また14 世紀以後には有力な寺院が形成され、守護所も置かれるなど、東西約2.5km、南北約3.0km の範囲に及ぶ「下津遺跡群」とも呼びうる拠点集落が営まれたことを指摘した。
タイトル 文献資料からみた桑下城と品野城
英語タイトル
著者
宇佐見 守
ページ範囲 68 - 76
NAID
都道府県 愛知県
時代 戦国
文化財種別 史跡 考古資料
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約) 愛知県瀬戸市上品野町に所在する桑下城は、近年の発掘調査の結果、松平氏や今川氏による品野支配の拠点であった可能性が高くなってきた。そこで、桑下城と品野城に関連する文献を集成し比較することにより、文献資料からその補強ができないか検討してみた。
その結果、従来品野城での出来事とされてきたことが、そうとは言えないことが判明した。
所収遺跡
要約

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