南九州における火山災害史研究の諸問題
Recent Discussions on the History of Volcanic Hazards in Southern Kyushu
桒畑 光博
( KUWAHATA Mitsuhiro )
1.はじめに
南九州には南海トラフ・琉球海溝に沿って火山フロントを形成する火山群が連なり、現在も活発に活動を続けている桜島や霧島火山群だけでなく、巨大噴火によって生じた凹地形であるカルデラ火山も存在する(町田ほか 2001)。このような条件によって、遺跡において地層として認識することができ、旧石器時代から近世まで各時代の考古学的調査研究への応用が可能な火山灰(テフラ)が多数分布している地域である(桒畑・東 1997)。
古くは、大正8(1919)年の濱田耕作による橋牟礼川遺跡(鹿児島県指宿市)の調査において、縄文土器と弥生土器を初めて層位的に区分した際に火山灰が用いられた(濱田ほか 1921)。大正13(1924)年にはその成果が評価され、橋牟礼川遺跡は国指定史跡となった。1970年代後半には、姶良・鬼界の両カルデラを噴出源とする広域テフラが確認される(町田・新井 1976,1978)とともに、そのような広域指標層を利用した層位的な発掘調査・研究によって考古資料の編年が大きく進展した。このうち鬼界カルデラ起源の鬼界アカホヤテフラ(K-Ah)を鍵層として用いることにより、九州の縄文土器編年の再構築がなされた(新東 1979,1980)。さらに、テフラを考古学の調査・研究に利用した研究分野である「火山灰考古学」※1という呼称も提唱された(新東 1988)。
その「火山灰考古学」の研究領域※2の一角をなす火山災害についての考古学的研究については、1990年代以降、縄文時代早期末の鬼界カルデラを起源とする巨大噴火に関する議論が進展し,21世紀に入って、当時の狩猟採集民に与えた影響に関する学際的な研究が取り組まれている※3。
また、先述した橋牟礼川遺跡は、成尾(1986)が命名した古墳時代の「青コラ」と平安時代の「紫コラ」という二つの開聞岳テフラによる火山災害遺跡としての学際的調査研究(永山 1996;成尾・下山 1996;成尾ほか 1997)が進められた。さらに同じ市内に所在する敷領遺跡においては、「紫コラ」で覆われた平安時代の集落跡や水田跡の学術研究プロジェクトによる発掘調査が継続的に実施され、噴火当時の景観復元や災害の実態解明が行われている(鷹野(編) 2006;鷹野(編) 2009;鷹野ほか 2014;渡部ほか 2013)。こういった一連の調査研究の蓄積により、鹿児島県指宿市域は南九州における災害考古学の研究拠点となっている(下山 2002;鎌田ほか 2009;中摩ほか 2016)。
その他、桜島火山の噴火災害については、縄文時代早期後葉の狩猟採集民への影響(桒畑 2009)や中世の耕作地への影響と復旧(桒畑 2014;桒畑 2016c;桒畑・高橋 2019)について検討が行われ、霧島火山群については、縄文時代中期の霧島御池噴火による狩猟採集民への影響(桒畑 2015)や江戸時代の霧島火山新燃岳の噴火による耕作地への影響と復旧(桒畑 2016c)について検討されている。
今回は南九州の火山災害史研究に関して二つの話題をとりあげたい。一つ目は、鬼界アカホヤ噴火の大規模火砕流による深刻な生態系の破壊とそこからの再生に関する最近の研究動向を紹介する。二つ目は、近年議論が活発化している平安時代の開聞岳噴火年代についての研究動向をレビューし若干の私見を述べたい。
南九州には南海トラフ・琉球海溝に沿って火山フロントを形成する火山群が連なり、現在も活発に活動を続けている桜島や霧島火山群だけでなく、巨大噴火によって生じた凹地形であるカルデラ火山も存在する(町田ほか 2001)。このような条件によって、遺跡において地層として認識することができ、旧石器時代から近世まで各時代の考古学的調査研究への応用が可能な火山灰(テフラ)が多数分布している地域である(桒畑・東 1997)。
古くは、大正8(1919)年の濱田耕作による橋牟礼川遺跡(鹿児島県指宿市)の調査において、縄文土器と弥生土器を初めて層位的に区分した際に火山灰が用いられた(濱田ほか 1921)。大正13(1924)年にはその成果が評価され、橋牟礼川遺跡は国指定史跡となった。1970年代後半には、姶良・鬼界の両カルデラを噴出源とする広域テフラが確認される(町田・新井 1976,1978)とともに、そのような広域指標層を利用した層位的な発掘調査・研究によって考古資料の編年が大きく進展した。このうち鬼界カルデラ起源の鬼界アカホヤテフラ(K-Ah)を鍵層として用いることにより、九州の縄文土器編年の再構築がなされた(新東 1979,1980)。さらに、テフラを考古学の調査・研究に利用した研究分野である「火山灰考古学」※1という呼称も提唱された(新東 1988)。
その「火山灰考古学」の研究領域※2の一角をなす火山災害についての考古学的研究については、1990年代以降、縄文時代早期末の鬼界カルデラを起源とする巨大噴火に関する議論が進展し,21世紀に入って、当時の狩猟採集民に与えた影響に関する学際的な研究が取り組まれている※3。
また、先述した橋牟礼川遺跡は、成尾(1986)が命名した古墳時代の「青コラ」と平安時代の「紫コラ」という二つの開聞岳テフラによる火山災害遺跡としての学際的調査研究(永山 1996;成尾・下山 1996;成尾ほか 1997)が進められた。さらに同じ市内に所在する敷領遺跡においては、「紫コラ」で覆われた平安時代の集落跡や水田跡の学術研究プロジェクトによる発掘調査が継続的に実施され、噴火当時の景観復元や災害の実態解明が行われている(鷹野(編) 2006;鷹野(編) 2009;鷹野ほか 2014;渡部ほか 2013)。こういった一連の調査研究の蓄積により、鹿児島県指宿市域は南九州における災害考古学の研究拠点となっている(下山 2002;鎌田ほか 2009;中摩ほか 2016)。
その他、桜島火山の噴火災害については、縄文時代早期後葉の狩猟採集民への影響(桒畑 2009)や中世の耕作地への影響と復旧(桒畑 2014;桒畑 2016c;桒畑・高橋 2019)について検討が行われ、霧島火山群については、縄文時代中期の霧島御池噴火による狩猟採集民への影響(桒畑 2015)や江戸時代の霧島火山新燃岳の噴火による耕作地への影響と復旧(桒畑 2016c)について検討されている。
今回は南九州の火山災害史研究に関して二つの話題をとりあげたい。一つ目は、鬼界アカホヤ噴火の大規模火砕流による深刻な生態系の破壊とそこからの再生に関する最近の研究動向を紹介する。二つ目は、近年議論が活発化している平安時代の開聞岳噴火年代についての研究動向をレビューし若干の私見を述べたい。