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光台寺跡・照信院跡 ・大願寺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139257
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139257
引用表記 鹿児島県立埋蔵文化財センター 2024 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書225:光台寺跡・照信院跡 ・大願寺跡』鹿児島県立埋蔵文化財センター
鹿児島県立埋蔵文化財センター 2024 『光台寺跡・照信院跡 ・大願寺跡』鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書225
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書名 光台寺跡・照信院跡 ・大願寺跡
発行(管理)機関 鹿児島県教育委員会 - 鹿児島県
書名かな こうだいじあと・しょうしんいんあと・だいがんじあと
副書名 「廃寺は語る!よみがえる鹿児島の仏教文化」事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書
シリーズ番号 225
編著者名
編集機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行機関
鹿児島県立埋蔵文化財センター
発行年月日 20240301
作成機関ID 46000
郵便番号 8994318
電話番号 0995485811
住所  鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 光台寺跡
遺跡名かな こうだいじあと
本内順位 1
遺跡所在地 鹿児島県指宿市岩本
所在地ふりがな かごしまけんいぶすきしいわもと
市町村コード 46210
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 311722
東経(世界測地系)度分秒 1303556
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.289444 130.598888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20211001-20211028
調査面積(㎡)
50
調査原因 保存目的調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
近世(細分不明)
主な遺構
石垣
土坑
ピット
主な遺物
陶磁器
特記事項
遺跡名 照信院跡
遺跡名かな しょうしんいんあと
本内順位 2
遺跡所在地 鹿児島県曽於郡大崎町
所在地ふりがな かごしまけんそおぐんおおさきちょう
市町村コード 46468
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 312613
東経(世界測地系)度分秒 1310111
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.436944 131.019722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220601-20220628
調査面積(㎡)
164
調査原因 保存目的調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
溝状遺構
ピット
かまど状遺構
造成面
造成土
版築
礫敷
主な遺物
青磁
備前焼
土師器
陶磁器
青銅製品
寛永通宝
玉石
軽石製品
特記事項 仁王像は大崎町指定文化財(昭和51年7月28日)
遺跡名 大願寺跡
遺跡名かな だいがんじあと
本内順位 3
遺跡所在地 鹿児島県薩摩郡さつま町柏原
所在地ふりがな かごしまけんさつまぐんさつまちょうかしわばる
市町村コード 46329
遺跡番号 329-170
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 315537
東経(世界測地系)度分秒 1302742
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 31.926944 130.461666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20230601-20230629
調査面積(㎡)
140
調査原因 保存目的調査
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
古墳
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構
帯状硬化面
土坑
ピット
主な遺物
青磁
染付(青花)
薩摩焼(龍門司)
火打ち石
特記事項 墓塔群(開山堂跡・薬師堂跡)は鹿児島県指定文化財(昭和62年3月)
要約 【光台寺跡】
 光台寺は,今和泉島津家の菩提寺で, 宝暦7(1757)年,第5代藩主島津継豊の命で創建された時宗の寺院である。絵図によれば今和泉島津家墓地に隣接し,茅葺きと軒先部分が瓦葺きの客殿と庫裏等の建造物があった。明治2(1869)年,廃仏毀釈により廃寺となった。今回の確認調査で,建物に直接関連する遺構は発見されなかったものの, 当時の石垣が残存しており,在地生産されたとみられる瓦,鹿児島城下で焼かれた瓦など, 近世の瓦が出土したことから, 近世に何らかの建造物が存在していた可能性が高いことがわかった。また複数の産地の薩摩焼(竪野系,元立院,苗代川系,龍門司系)や肥前系の染付,琉球陶器が出土したことから,近世における生活の痕跡が見られた。

【照信院跡】
 照信院は和銅元(708)年に役小角の弟子の義覚がこの地にやってきて,飯隈山を開山し,新熊野三社権現を勧請し,阿弥陀如来・薬師如来・千手観音の三尊を安置したことが由来とされる寺院である。中世以降は本山派修験の京都天台宗聖護院の末寺として聖護院や近衛家など中央勢力や島津各代の藩主と深く関わり南九州最大の修験道場となった。しかし,明治2(1869)年に廃仏毀釈により廃寺となった。今回の確認調査では,絵図をもとに発掘調査を行い,土坑,溝状遺構,ピット,かまど状遺構,礫敷の造成土などが検出された。遺物については,中世の土師器の坏や小皿の破片が数多く出土し,龍泉窯系の青磁や白磁の一部が出土したほか,近世のものとみられる青銅製の懸仏の一部(華瓶)や鋲,薩摩焼の仏花器,香炉などが出土した。また,一字一石経の可能性がある103個の小石が詰まったピットも検出され,調査区に寺院が存在していた可能性が高いことがわかった。

【大願寺跡】
 大願寺は,鎌倉時代後半から地頭としてこの地域に定住し,勢力を拡げた祁答院氏の菩提寺であった。貞治三(1364)年,祁答院重成により一関宗万を開山,起宗宗冑を初住として創建されたと伝わる。室町時代に発展し十二の子坊があるなど巨刹であり,薬師堂には足利義満筆の「醫王寶殿」の扁額を掲げていた。年代は不明だが,祁答院氏が衰退するとともに菩提寺であった大願寺も江戸時代初期には廃寺となったと考えられる。寺跡には開山堂跡と薬師堂跡があり、祁答院氏歴代の墓塔,供養塔や住職の墓塔が多く建てられている。大願寺は江戸時代の初期,新たに寺院を建立することが禁止されていたため,薩摩藩主島津光久のとき寺籍を鹿児島城下に移され,南泉院と改称された。今回の調査では,建物に直接関連する遺構は発見されなかったものの当時の鐘撞き堂の礎石が残存しており,また中近世のものと考えられる溝跡が各トレンチで確認された。遺物では,表土ではあるが染付(青花)が採集されており,調査区内に中世に建造物が存在していた可能性が高いことがわかった。

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