奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41209 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132406 件
( 前年度比 + 1721 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147517 件
( 前年度比 + 2091 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む

林野鷺宮遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132655
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132655
引用表記 株式会社イビソク名古屋支店 2023 『一宮市埋蔵文化財調査報報告書12:林野鷺宮遺跡発掘調査報告書』アートプラン株式会社
株式会社イビソク名古屋支店 2023 『林野鷺宮遺跡発掘調査報告書』一宮市埋蔵文化財調査報報告書12
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=|last=イビソク|title=林野鷺宮遺跡発掘調査報告書|origdate=2023-10|date=2023-10|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132655|doi=10.24484/sitereports.132655|series=一宮市埋蔵文化財調査報報告書|volume=12}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 林野鷺宮遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 一宮市 - 愛知県
書名かな はやしのさぎみやいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 物流施設建設工事に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 一宮市埋蔵文化財調査報報告書
シリーズ番号 12
編著者名
編集機関
株式会社イビソク名古屋支店
発行機関
アートプラン株式会社
発行年月日 20231000
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 林野鷺宮遺跡
遺跡名かな はやしのさぎみやいせき
本内順位
遺跡所在地 愛知県一宮市萩原町林野字鷺宮15番1他
所在地ふりがな あいちけんいちのみやしはぎわらちょうはやしのあざさぎみや15ばん1ほか
市町村コード 232033
遺跡番号 020229
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 351647
東経(世界測地系)度分秒 1364644
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.279722 136.778888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220711-20221203
調査面積(㎡)
2355
調査原因 物流施設建設
遺跡概要
種別
散布地
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
土坑
ピット
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
青磁
山茶碗
土師質土器
陶磁器
古代瓦
網代
特記事項
要約  林野鷺宮遺跡は、沖積平野である濃尾平野の後背湿地域に位置する。本遺跡周辺には、日光川水系によって形成された自然堤防上に多くの遺跡が確認されており、萩原遺跡群と呼称されている。
 調査地は全部で4か所あり1~4工区の名称を付した。285 基の遺構を検出し、主だった遺構は 25 基の方形土坑と 10 基のピットによって構成される柱穴列である。大部分の遺構が1工区にて確認されている。基本層序I~III層は近現代以降の水田に係る層である。IV及びV層も水田開墾を行った痕跡の層で、その際にV層 ( 地山 ) を削平していると考えられ、方形土坑以外の遺構は全体的に浅いものとなっている。本調査の方形土坑を見てみると、断面形が箱型を呈し、床面は平坦であるものの、単一層で埋没していないものが多い。床面付近のシルト層は大部分が水性堆積と確認できた。検出面より 40cm ほど掘削すると湧水することもあったため、貯蔵を目的としているとは考え難く、方形土坑の目的や意図は、今回の調査でも結論できる根拠は確認できなかった。
 出土した遺物は6~ 15 世紀代と幅広いが、その大部分を占めるのは 12 世紀後半から 15 世紀代の遺物であり、これらからも上述の方形土坑と辻褄が合うとも考えられよう。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 238
ファイルダウンロード数 : 244

全国のイベント

外部出力