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小林八束1遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132736
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132736
引用表記 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書476:小林八束1遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『小林八束1遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書476
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書名 小林八束1遺跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな おばやしはっそく1いせき
副書名 総合交付金(河川)工事(小林調節池)埋蔵文化財発掘調査報告
巻次 4
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 476
編著者名
編集機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20220322
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小林八束1遺跡
遺跡名かな おばやしはっそく1いせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県久喜市菖蒲町小林字八束4795番地他
所在地ふりがな さいたまけんくきししょうぶまちおばやしはっそく4795ばんちほか
市町村コード 11232
遺跡番号 044
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 360326
東経(世界測地系)度分秒 1393558
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.057222 139.599444
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20141001-20150327
20170703-20180331
20180401-20190131
調査面積(㎡)
2200
4430
調査原因 調節池建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
住居跡
焼土跡
集石
土壙
溝状遺構
ピット
水場遺構
木組遺構
木道状遺構
導水溝状遺構
方形周溝墓
杭列
溝跡
杭列
木製品集中
炭焼窯跡
主な遺物
縄文土器
土器
石器
石製品
土製品
木製品
土師器
土製品
須恵器
陶磁器
獣骨
特記事項 縄文時代:
 台地縁辺に住居や土壙からなる堀之内式期の集落を検出。低地部は谷と斜面があり、斜面部は後期から晩期の遺物包含層が形成される。東の谷は自然地形を大幅に改変し、後期前葉から晩期中葉頃までの木組遺構や木道状遺構といった水場遺構を形成。

古墳時代:
 台地縁辺では、南側から続く古墳前期の集落跡を検出。集落跡はその後、方形周溝墓からなる墓域へと移行する。東の谷では杭列や木製品集中を検出したほか、北の谷では木組遺構を検出した。

古代:
 台地の縁辺では炭焼窯跡4基を検出。1基は単独、ほか3基は古い窯跡を利用しながら築窯されている。

中近世:
 堆積の進んだ斜面に溝が形成された。
要約  小林八束1遺跡は、埼玉県東部の大宮台地に位置し、埋没したローム台地上に形成されている。遺跡形成後の地盤の沈降現象と後世の沖積作用の結果、遺構面は現地表から2m下で見つかった。これまでに第1~4次調査が実施され、第356集、第442集、第457集の3冊が刊行されている。今報告は第5~7次の調査成果である。
 第5~7次調査区は遺跡範囲の北側に位置し、西側は第2次と、東側は第3・4次調査区と隣接する。調査の結果、南側から続く台地の縁辺(北面する緩斜面)や、これを東西に分断する、北向きに開口する谷地形(東の谷と北の谷)などの複雑な地形が現われ、縄文時代から中世にかけて、地形に応じた様々な土地利用の痕跡が残されていた。
 縄文時代の遺構は、台地側では後期前葉の住居跡、早期~後晩期の土壙やピット、焼土跡や集石遺構を検出した。一方、低地部の東の谷には、クルミやクリ等の多量の堅果類や、流水環境を思わせる砂粒を多く含んだ黒色の粘質土中に、縄文時代後期前葉から晩期中葉頃の木組遺構や木道状遺構をはじめとする木組施設や、導水溝や開削部(流路底面の大規模な掘削痕)といった水場を維持するための多様な痕跡を確認した。谷に面する白色粘土の露頭には後晩期の粘土採掘坑と見られる土壙群も形成された。斜面地は東の谷で分断され、東側(東斜面)には後期前葉頃の、また西側(西斜面)には後期前葉から晩期中葉頃までの遺物包含層が形成されていた。
 古墳時代前期は、南側の第3・4次調査区から連続する住居跡や方形周溝墓を確認した。両者の重複関係から、当該地点が居住域から墓域へ変遷したことが確認された。なお、墓域は今報告の調査区内で完結し東方へは延びないが、居住域はさらに東方へ延びていくことが確実視される。低地部では、東の谷と北の谷に水場遺構が形成された。このうち東の谷の水場遺構は、縄文後晩期の水場遺構の埋積後の上部に形成されたものである。この頃の水場の環境は、縄文期のような、水が常時こんこんと湧き出す環境ではなく、帯水(低湿地)環境にあったようで、湧水点付近には土橋状の木組遺構(第457集)、また下流部には谷を横断する杭列が位置し、その間には土師器を含む多量の木質遺物が残されていた。木製品は農耕工具や建築材を中心に、未製品や被熱した材、自然木等を多数含んでおり、谷部の湿地を利用した貯木場のような機能が想定される。
 奈良・平安時代の遺構は台地の縁辺で、斜面下方に開口する炭焼窯跡を4基検出した。第2号炭焼窯跡は単独で、第3~5号炭焼窯跡は重複関係がある。既存の炭焼窯跡と前庭部を共有する、廃絶後の炭化室を新窯の前庭部として利用するといった、新窯構築時の特有のあり方を見せ、大宮台地の周辺事例との共通性を見せている。
 古代末以降、当該地点における人的痕跡は少なくなり、中世以降は、東斜面に数条の溝や土壙が形成されたに過ぎない。遺物も斜面地で数片の陶磁器類を検出するのみである。この頃、遺跡周辺での堆積環境が大きく変化したらしく、それまでの黒色土(基本層Ⅲ層)に代わり、灰褐色土(同Ⅱ層)が遺跡全体を覆う。台地部では分厚いシルト土として現れ、低地部では有機物を多く含んだ粘質土と砂質土の薄層の互層として観察される。低地部では3~4m近く堆積し、江戸時代の中頃(天明期)までには、辺り一帯が微窪地となったことが、上部に堆積するAs-A(浅間A軽石)により明らかとなった。

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