URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/105409
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引用表記 |
とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター 2015 『研究紀要』とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
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とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター 2015 『研究紀要』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=|last=とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター|title=研究紀要|origdate=2015-03-27|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105409|location=栃木県下野市紫474|ncid=AA12576234|volume=23}}
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ファイル |
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書名 |
研究紀要 |
発行(管理)機関 |
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
- 栃木県
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書名かな |
けんきゅうきよう |
副書名 |
とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター研究紀要 |
巻次 |
23 |
シリーズ名 |
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シリーズ番号 |
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編著者名 |
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編集機関 |
とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
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発行機関 |
とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター
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発行年月日 |
20150327 |
作成機関ID |
09000-a |
郵便番号 |
3290418 |
電話番号 |
0285448441 |
住所 |
栃木県下野市紫474 |
報告書種別 |
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
近接する遺跡間における同一年代の縄文土器の比較(2)-八溝山地西麓と東麓の中期縄文土器を対象として- |
英語タイトル |
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著者 |
塚本 師也
, TSUKAMOTO Moroya
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ページ範囲 |
1 - 20
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NAID |
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都道府県 |
茨城県
栃木県
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時代 |
縄文
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
集落
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遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
編年
文化系統
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=師也|last=塚本|contribution=近接する遺跡間における同一年代の縄文土器の比較(2)-八溝山地西麓と東麓の中期縄文土器を対象として-|title=研究紀要|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105409|location=栃木県下野市紫474|ncid=AA12576234|volume=23}}
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抄録(内容要約) |
前稿で八溝山地鶏足山塊西麓部にある二つの遺跡の阿玉台Ⅳ式期の土器を比較した。栃木県益子町御霊前遺跡には、12km離れた茂木町桧の木遺跡には無い土器(第8図)が存在することが明らかになった(塚本2014a)。本稿では、桧の木遺跡から11.5km離れた茨城県常陸大宮市の赤岩遺跡、滝ノ上遺跡の阿玉台Ⅳ式期の土器を分類して、桧の木遺跡および御霊前遺跡の土器と比較した。阿玉台Ⅳ式土器はよく似ているが、それに伴う大木式系土器のなかに桧の木遺跡や御霊前遺跡にはない土器(第12図)が存在することが判った。阿玉台Ⅳ式期の八溝山地鶏足山塊、鷲子山塊周辺では、11~12km離れると形態、装飾の異なる土器が存在することが想定できた。また、八溝山地の東側と西側で、大木式系土器の把手の形状が異なることも確認した。 |
タイトル |
研究ノート 東日本前期古墳埋葬施設研究覚書 |
英語タイトル |
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著者 |
石橋 宏
, ISHIBASHI Hiroshi
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ページ範囲 |
21 - 26
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NAID |
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都道府県 |
宮城県
山形県
福島県
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
新潟県
富山県
石川県
福井県
山梨県
長野県
岐阜県
静岡県
愛知県
三重県
滋賀県
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時代 |
古墳
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
古墳
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
文化系統
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=宏|last=石橋|contribution=研究ノート 東日本前期古墳埋葬施設研究覚書|title=研究紀要|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105409|location=栃木県下野市紫474|ncid=AA12576234|volume=23}}
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抄録(内容要約) |
本稿は1987年に岩崎卓也氏が東日本に見る割竹形木棺非使用の長大な埋葬施設を一括して東日本型埋葬施設として提唱した概念について、木棺形態の研究が進んだ現在でも箱形木棺と舟形木棺2類の分布が卓越する東日本の地域性を確認し、修正が必要なものの大枠として東日本型埋葬施設の概念を再構築できる可能性を説明した。 |
タイトル |
下野国における新治系均整唐草文宇瓦について |
英語タイトル |
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著者 |
齊藤 達也
, SAITOU Tatsuya
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ページ範囲 |
27 - 42
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NAID |
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都道府県 |
茨城県
栃木県
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時代 |
奈良
平安
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文化財種別 |
考古資料
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遺跡種別 |
窯
社寺
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遺物(材質分類) |
土製品(瓦含む)
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
編年
文化系統
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=達也|last=齊藤|contribution=下野国における新治系均整唐草文宇瓦について|title=研究紀要|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105409|location=栃木県下野市紫474|ncid=AA12576234|volume=23}}
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抄録(内容要約) |
下野国における均整唐草文宇瓦のうち、常陸国からの影響を強く受けていると考えられてきた軒先瓦、いわゆる「新治系軒先瓦」の内、均整唐草文宇瓦の年代的位置付け及び編年試案の検討を行った。祖形となる常陸国分寺式軒先瓦の成立を8世紀第2四半期の後半に位置付け、8世紀第3四半期初頭までに芳賀郡衙(中村遺跡)へ伝播している様相がつかめた。予察として、その背景には芳賀郡が新治廃寺の補修に際して援助を行っていた可能性があることを考えた。 |
タイトル |
古代の鉄細柄工具について-鉄細柄片刃状工具、鉄細柄鑿錐状工具と白罫引・けがき針- |
英語タイトル |
Iron Thin Grip Tools in 6-10th Century Japan: Single Side Blade Form as 'Shirakebiki' and Chisel/Drill Form as 'Kegakibari'. |
著者 |
内山 敏行
, UCHIYAMA Toshiyuki
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ページ範囲 |
43 - 48
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NAID |
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都道府県 |
栃木県
群馬県
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時代 |
奈良
平安
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文化財種別 |
考古資料
|
遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
金属器
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
技法・技術
資料紹介
資料集成
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=敏行|last=内山|contribution=古代の鉄細柄工具について-鉄細柄片刃状工具、鉄細柄鑿錐状工具と白罫引・けがき針-|title=研究紀要|date=2015-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/105409|location=栃木県下野市紫474|ncid=AA12576234|volume=23}}
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抄録(内容要約) |
鉄の細い柄を持つ工具を「鉄細柄片刃状工具」および「鉄細柄鑿錐状工具」と仮称して、機能を検討する。細い棒状の柄を持って使うので、強い力での加工作業ではなく、正確に位置を定める作業に使うことを推定する。一案として、加工用の割付線を描く機能を推定し、木工用具の「白罫引」(しらけひき)や、金工用具の「けがき針」に対応すると考える。 |
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所収遺跡 |
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要約 |
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