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市川市国府台遺跡第13地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132366
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132366
引用表記 千葉県教育振興財団 2013 『千葉県教育振興財団調査報告702:市川市国府台遺跡第13地点』国立国際医療研究センター国府台病院他
千葉県教育振興財団 2013 『市川市国府台遺跡第13地点』千葉県教育振興財団調査報告702
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書名 市川市国府台遺跡第13地点
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな いちかわしこうのだいいせきだい13ちてん
副書名 独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院埋蔵文化財調査報告書 ; 2
巻次 4
シリーズ名 千葉県教育振興財団調査報告
シリーズ番号 702
編著者名
編集機関
千葉県教育振興財団
発行機関
国立国際医療研究センター国府台病院
千葉県教育振興財団
発行年月日 20130325
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-424-4848
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 国府台遺跡第13地点(4)
遺跡名かな こうのだいいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県市川市国府台国分1丁目7番地1
所在地ふりがな ちばけんいちかわしこうのだいこくぶん1ちょうめ7ばんちの1
市町村コード 12203
遺跡番号 003(4)
北緯(日本測地系)度分秒 354452
東経(日本測地系)度分秒 1395424
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.751 139.9034
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110901-20120214
調査面積(㎡)
2598
調査原因 独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院立て替えに伴う埋蔵文化財調査
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
陥穴3
主な遺物
縄文土器
特記事項 SI022からは大量の土器群が出土し、土器集積遺構のような状況であった。また、墨書土器は判読はできなかったが、偏を「ふしづくり」とするものがまとまって出土した。
種別
集落
散布地
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡30
土坑10
主な遺物
金属製品(刀子、鎌、鉄鏃、棒状鉄製品、鉄滓)
土師器
須恵器
灰秞陶器
緑秞陶器
墨書土器
土製品(土錘、支脚)
瓦類(丸瓦、平瓦)
石製品(彫刻刀形石器、紡錘車、砥石、軽石)
特記事項
要約 [国府台遺跡第13地点(4) 要約]
国府台遺跡第13地点(4)は推定下総国庁域の北北東約400mの地点に位置する。調査地は前身施設によってかなり攪乱を受けており、遺構の遺存状態は必ずしもよくなかった。しかし遺構密度は高く、奈良・平安時代の国府集落の一部を構成する竪穴住居跡30軒を調査した。下総国府編年の2期〜6基(7世紀末〜10世紀前半)に相当し、国府そして郡衙所在地として、官衙成立期から国府縁辺地帯に集落が営まれ、それが一定期間、占地していたことがわかった。出土土器では、8世紀代では盤類や蓋が比較的多く出土し、金属製品の中では刀子が一定量出土していることなどは、一般の集落とは様相がやや異なるといえるだろう。また墨書土器の中に「猨」1文字を底面に墨書したものが1点あった。人名の可能性もあるが、地名では「猨島郡」の1字ともとれるので、そういう意味では興味深い資料となる。なお、縄文時代の陥穴については、前期を中心とした時期に一帯がもっぱら狩猟場として使われていたことを窺わせる。  

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