奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41246 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 埼玉県 > 志木市 > 田子山遺跡第132①地点

田子山遺跡第132①地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/51350
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.51350
引用表記 埼玉県志木市教育委員会 2016 『志木市の文化財65:田子山遺跡第132①地点』埼玉県志木市教育委員会
埼玉県志木市教育委員会 2016 『田子山遺跡第132①地点』志木市の文化財65
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=則敏|last=尾形|first2=彰紀|last2=德留|first3=恵子|last3=深井|title=田子山遺跡第132①地点|origdate=2016-03-31|date=2016-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/51350|location=埼玉県志木市中宗岡1丁目1番1号|ncid=BB23294240|doi=10.24484/sitereports.51350|series=志木市の文化財|volume=65}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 田子山遺跡第132①地点
発行(管理)機関 志木市 - 埼玉県
書名かな たごやまいせきだい132①ちてん
副書名 埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 志木市の文化財
シリーズ番号 65
編著者名
編集機関
埼玉県志木市教育委員会
発行機関
埼玉県志木市教育委員会
発行年月日 20160331
作成機関ID 11228
郵便番号 3530002
電話番号 0484731111
住所 埼玉県志木市中宗岡1丁目1番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 田子山遺跡(第132①地点)
遺跡名かな たごやまいせき
本内順位
遺跡所在地 志木市本町2丁目1694-1の一部
所在地ふりがな しきしほんちょう
市町村コード 11228
遺跡番号 09-010
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354955
東経(世界測地系)度分秒 1393459
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.831944 139.583055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140924-20141110
調査面積(㎡)
180.49
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑2
ピット7
遺物包含層
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
住居跡1
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
ピット2
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
住居跡3
掘立柱建築遺構1
土坑7
ピット134
主な遺物
土師器
須恵器
布目瓦
土製品
鉄製品
灰釉陶器
特記事項 80Hはカマドの煙道部の長さ1.92mと市内最長。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
ピット2
主な遺物
陶器
特記事項
要約  田子山遺跡は、縄文時代~近世・近代にかけての複合遺跡である。第132①地点は、個人住宅建設及び分譲住宅建設に先行して行われる位置指定道路築造工事に伴い発掘調査を実施したものである。検出された主な遺構は、縄文時代の土坑2基、弥生時代後期~古墳時代前期の住居跡1軒、平安時代の住居跡3軒・掘立柱建築遺構1棟・土坑7基・ピット134本、中世以降のピット2本などであった。
 縄文時代の遺構では、2基の土坑が検出されているが、時期については、遺物が出土しなかったため、比定できなかった。調査区南端部にはローム層上層に漸移層が形成され、その層から僅かであるが遺物が出土したため、遺構外出土遺物とは区別し、遺物包含層と扱った。
 弥生時代後期~古墳時代前期の住居跡は、1軒検出されたが、大部分が調査区外にあり、さらに平安時代の78・79Hに切られている状況であった。出土遺物は僅かである。
 古墳時代~平安時代の遺構については、特に平安時代の80Hがカマド付近の検出であったが、カマドの煙道部は市内最長1.92mもあり、さらに住居内からは炭化材が多く出土していることから焼失住居であることが判明した。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 404
ファイルダウンロード数 : 161

全国のイベント

外部出力