怪鳥カズワル江戸を歩く 寛政元年渡来のヒクイドリ
Monster bird “Cassowary” brought to Japan in the Edo period
成澤 勝嗣
( Narusawa Katsushi )
寛政元年(1789)長崎へ来航した阿蘭陀船が、一羽のヒクイドリを輸入した。日本人がこの鳥を「駝鳥」と呼んでいた時代のことである。このヒクイドリは民間に売られて見せ物となり、翌年から京都、大阪、江戸、伊勢と興行する間に、各地で様々な反響をまきおこす。蘭学者・大槻玄沢はこれが駝鳥ではなく、火食鶏(Emeu)であることを考証し、それをもとに「駝鳥・火食鶏図」という双幅の絵を作った(当館蔵)。かと思えばかたや「ヒクイドリは猪と鷲の混血種である」というような戯作本を発行する人もいた。本稿はそれらを紹介し、一羽の異国鳥が江戸時代にまきおこした波紋の数々をまとめてみたものである。
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2021-11-12
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