大坂城築城にかかる小豆島石丁場の所在地と石材輸送
橋詰 茂
( Hashizume Shigeru )
元和6年から開始された大坂城再築城は、三期にわたり西国諸大名の公儀普請として行われた。その際に大量の石材が必要となり、諸大名は各地に石丁場を求めた。その一つが小豆島である。小豆島の石丁場に関しては、残石に注目し大坂城築城との関わりが語られてきた。だが築城終了後の島石や石丁場についての研究は見られない。また、現存する石丁場跡が大坂城築城期の石丁場なのか、築城後新たに開かれた石丁場なのかが、明確に区分されているとは言い難い。にも関わらず、あいまいなまま大坂城築城時期の石丁場としている。諸大名の石丁場跡すべての所在地の確定はできていない。それは史料上に石丁場名が記載されていても、その所在地が不明であったり、遺構が残っていないため比定できないものがある。逆に遺構らしきものが見つかっても、史料上に見えないため当該時期のものであるか否かが明らかに出来ない。文献資料と現地踏査を組み合わせた調査により、それがある程度は明らかにすることが可能となる。本稿では、石丁場の所在地と大名について再検討し、島代官小堀政一と庄屋が果たした役割を検証する。そしして、大坂城築城期とそれ以降とに時期区分を試みようとするものである。また、各石丁場で切り出された石材や、石船での輸送の状況について検証する。