総括
古瀬 岳洋
( FURUSE Takehiro )
中島遺跡は富士山南麓の末端丘陵上、松原川に近接して立地する。対岸には宇東川遺跡が存在し、地理環境と活動時期が中島遺跡と重なる。
中島遺跡第1・2地区の発掘は昭和60年から3次にわたる本発掘と試掘がなされ、竪穴建物2、土坑・ピット16を検出し、縄文時代から古墳時代にかけての遺物が出土した。縄文土器は中期末~後期前半に該当する称名寺式~堀之内式土器が優勢であり、遺跡の年代もこの時期に位置づけている。またほぼ同時代とみられる福田K2式、縁帯文、松ノ木式の関西系土器が少数見られるのも特徴である。縄文時代以降、生活の痕跡は明瞭ではないが、古墳時代前期の土器が散見される。
中島遺跡第1・2地区の発掘は昭和60年から3次にわたる本発掘と試掘がなされ、竪穴建物2、土坑・ピット16を検出し、縄文時代から古墳時代にかけての遺物が出土した。縄文土器は中期末~後期前半に該当する称名寺式~堀之内式土器が優勢であり、遺跡の年代もこの時期に位置づけている。またほぼ同時代とみられる福田K2式、縁帯文、松ノ木式の関西系土器が少数見られるのも特徴である。縄文時代以降、生活の痕跡は明瞭ではないが、古墳時代前期の土器が散見される。