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大木戸遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72006
引用表記 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2018 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書444:大木戸遺跡』公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2018 『大木戸遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書444
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ファイル
書名 大木戸遺跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな おおきどいせき
副書名 大宮西部特定土地区画整理事業地内埋蔵文化財発掘調査報告
巻次 3
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 444
編著者名
編集機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20180322
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大木戸遺跡 第18・20次
遺跡名かな おおきどいせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県さいたま市西区大字指扇4044他
所在地ふりがな さいたまけんさいたましにしくおおあざさしおうぎ
市町村コード 11101
遺跡番号 425
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355531
東経(世界測地系)度分秒 1393431
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.925277 139.575277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150101-20150131
20150401-20151203
調査面積(㎡)
2557
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土壙
木組状遺構
木杭
祭祀跡
自然木集中区
主な遺物
縄文土器
土製品
石器
石製品
木製品
網組製品
特記事項  縄文時代後期堀之内2式から加曽利B2式期までにほぼ限定された土器群や各種の木器・木製品類、特に赤漆塗り漆器が多数出土している。その中で、籃胎漆器は現存する物の中では最古になる可能性がある。
要約  大木戸遺跡第18・20 次調査区は、台地上の縄文時代後期前葉から中葉にかけての集落下に広がる滝沼川によって形成された低湿地遺跡であり、調査区からは同時期の多量な土器群及び木製品類が出土した。時期がほぼ堀之内2式から加曽利B2式までに限定された木製品は器種も多様であり、中でも漆器類は注目に値するものがある。木製品は赤漆塗りの耳栓、櫛、腕輪状木製品などの装身具と、細い糸紐で装飾された飾弓や丸木弓、石斧の柄や未製品、丸木舟、櫂等の道具類、赤漆が塗られた漆器類、籃胎漆器、杓子や舟形容器などの容器類が多数出土している。中でも飾弓の精緻な装飾文様や文様が彫刻された大形の脚が付く脚付漆容器は初見であり、当時の工芸技術の高さを物語っている。各種の自然科学分析を行った結果、台地上に集落があったころは低地部に砂層の堆積するような流水があったようであるが、やがて流下物の堆積と共に滞水が始まり、浅い湖沼地と化して藻などが繁茂する環境へと変化すると、集落は終焉を迎える。住環境の変化とともに、他の地へ移動していったものと推測される。

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