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石井要害跡Ⅲ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70672
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70672
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書18:石井要害跡Ⅲ』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2020 『石井要害跡Ⅲ』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書18
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書名 石井要害跡Ⅲ
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな いしいようがいあとさん
副書名
巻次
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 18
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20200326
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石井要害跡 第3次調査
遺跡名かな いしいようがいあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市石井
所在地ふりがな とっとりけんよなごしいしい
市町村コード 31202
遺跡番号 156
北緯(日本測地系)度分秒 352418
東経(日本測地系)度分秒 1332050
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.4081 133.3446
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190408-20190605
調査面積(㎡)
542.8
調査原因 急傾斜地対策工事
遺跡概要
種別
城館
時代
室町
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
掘立柱建物
段状遺構
主な遺物
陶磁器
土師器
須恵器
石製品
金属製品
特記事項
要約  石井要害跡は、米子市西部に位置し、加茂川左岸の標高29mの独立丘陵上に立地する。今回の調査は、出丸と称される丘陵の頂部平坦面の北東側とその北東側斜面の調査を実施した。既往の調査ではⅠ期からⅢ期の3時期に時期区分されていたが、今回の調査では、5面の遺構面を確認しており、従来のⅡ期がⅡ-1期からⅡ-3期に細分され、全体として5時期に時期区分されると考えられる。
 Ⅰ期(15世紀後半)には、北東側斜面では頂部平坦面よりも4m下がった位置に腰郭7、9の2郭を構築し、さらにその北東側にも腰郭8を構築している。
 Ⅱ期(16世紀前半から中頃)には、Ⅱ-1期からⅡ-3期の3時期に細分されるが、各時期がどれくらいの時期幅を有するかは不明である。Ⅱ-1期には北東側斜面では腰郭8を埋め立てて、腰郭9を北東へ拡張している。Ⅱ-2期になると、腰郭7は人為的に埋め立てられ、腰郭9の平坦面では掘立柱建物1棟、柵列1条が検出された。Ⅱ-3期には段状遺構1基を検出した。第2次調査では、腰郭を版築状に埋め立てる過程で上下に連続する3段の段状遺構を構築しており、その関係が窺える。続く16世紀後半は遺物が出土していないことから、城主が不在、あるいは廃城となったと考えられる。
 Ⅲ期には、北東側斜面の平坦地は畑地化されたと考えられ、その排水用と考えられる現代の溝状遺構を検出した。

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