奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
37911 件
( 発行機関数 723 機関 )
現在の書誌登録数
132031 件
( 前年度比 + 353 件 )
( 発行機関数 1908 機関 )
現在の遺跡抄録件数
146371 件
( 前年度比 + 621 件 )
現在の文化財論文件数
119403 件
( 前年度比 + 286 件 )
現在の文化財動画件数
1213 件
( 前年度比 + 24 件 )
( 登録機関数 109 機関 )
文化財イベント件数
1071 件
( 前年度比 + 16 件 )
※過去開催分含む

首里当蔵旧水路

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70220
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70220
引用表記 沖縄県立埋蔵文化財センター 2020 『沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書106:首里当蔵旧水路』沖縄県立埋蔵文化財センター
沖縄県立埋蔵文化財センター 2020 『首里当蔵旧水路』沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書106
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲也|last=瀬戸|title=首里当蔵旧水路|origdate=2020-03-25|date=2020-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/70220|location=沖縄県中頭郡西原町上原193-7|ncid=BB30029873|doi=10.24484/sitereports.70220|series=沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書|volume=106}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 首里当蔵旧水路
発行(管理)機関 沖縄県立埋蔵文化財センター - 沖縄県
書名かな しゅりとうのくらきゅうすいろ
副書名 龍潭線街路整備に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 106
編著者名
編集機関
沖縄県立埋蔵文化財センター
発行機関
沖縄県立埋蔵文化財センター
発行年月日 20200325
作成機関ID 470007
郵便番号 9030125
電話番号 0988358752
住所 沖縄県中頭郡西原町上原193-7
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 首里当蔵旧水路
遺跡名かな しゅりとうのくらきゅうすいろ
本内順位
遺跡所在地 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目
所在地ふりがな おきなわけんなはししゅりまわしちょう1ちょうめ
市町村コード 47201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 261327
東経(世界測地系)度分秒 1274257
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 26.224166 127.715833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171205-20180331
調査面積(㎡)
168
調査原因 沖縄県土木建築部による龍潭線街路整備事業
遺跡概要
種別
交通
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
水路
主な遺物
銭貨
陶磁器
ガラス瓶
特記事項 記録保存目的で実施したが、工事計画再検討のため現状保存のまま埋め戻されている。
要約  首里当蔵旧水路は、平成24年度に龍潭線街路(県道29号線)整備事業に伴って新規発見された遺跡である。これまで、同事業に伴って部分的に工事立会、記録保存調査が実施されており、本報告書では平成29年度の調査成果を掲載している。本調査は龍潭北側の擁壁工事に伴うもので、事前の立会でコンクリート製暗渠で遺構は破壊されていたと判断していたが、工事着手後に良好な姿で石積みの水路遺構が発見された。関係機関との調整により記録保存調査後に工事を再開することとして、沖縄県立埋蔵文化財センターが発掘調査を実施した。
 今回の調査で確認された水路遺構は、調査区全体に約60mにわたって良好に残存しており、幅50~90㎝、深さは60㎝を測り、地盤の標高が低い西方に緩やかに下っている。遺構は、水路を形作る両壁面は主に長さ30~60㎝の長方形の切石を横積みに、床面はそれより小さめで加工が粗い石を敷き詰めて構築されている。水路南壁はさらに南側に面がある幅80㎝の両面積みとなっており、戦前の写真から北側より約1m高くなった石垣であったことが確認された。そのことを裏付けるように南壁の積み方が上下段で大きく異なっており、石の積み替えがあったことが想定される。また、水路遺構を横断する形で設定したサブトレンチにより、両壁面は造成土により支えられ、その下部は40㎝ほど埋め殺しにされており、床石より先に造られたことが確認できた。また、その造成土から銭貨や近世の染付、瓦などが出土している。その中の仙台通寳(初鋳1784年)と、最も龍潭の石垣が写る古い写真の年代から19世紀代に構築されたものと思われる。さらに年代を絞るならば、近接する中城御殿が建設された1870年代前後の19世紀後半ごろが想定される。
 さて、この水路遺構はその残存状況が良好なことから、調査中に開催した現地説明会には多くの県民が見学に訪れたり、沖縄考古学会などの有識者からの反響があったことも考慮され、現行の工事計画は中断されることになり、その遺構は埋め戻され現状保存されている。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 359
ファイルダウンロード数 : 632

全国のイベント

外部出力