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鍛冶谷・新田口遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/51249
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.51249
引用表記 戸田市教育委員会 2015 『戸田市文化財調査報告23:鍛冶谷・新田口遺跡』戸田市教育委員会
戸田市教育委員会 2015 『鍛冶谷・新田口遺跡』戸田市文化財調査報告23
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書名 鍛冶谷・新田口遺跡
発行(管理)機関 戸田市 - 埼玉県
書名かな かじや しんでんぐちいせき
副書名
巻次 9
シリーズ名 戸田市文化財調査報告
シリーズ番号 23
編著者名
編集機関
戸田市教育委員会
発行機関
戸田市教育委員会
発行年月日 20150331
作成機関ID
郵便番号 335-8588
電話番号 048-441-1800
住所 埼玉県戸田市上戸田1-18-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 鍛冶谷・新田口遺跡
遺跡名かな かじや しんでんぐちいせき
本内順位 1
遺跡所在地 埼玉県戸田市上戸田5丁目20-3
所在地ふりがな さいたまけんとだしかみとだごちょうめ
市町村コード 11224
遺跡番号 06-001
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354840
東経(世界測地系)度分秒 1394023
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.811111 139.673055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150106-20150129
調査面積(㎡)
142.5
調査原因 共同住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
周溝5
溝1
土坑1
ピット4
主な遺物
土師器
特記事項 古墳、荒川流域の微高地上でよく検出される周溝状遺構を5基検出した。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝1
井戸4
土坑1
主な遺物
中世陶器
中国陶磁器
石製品
特記事項 中世、第3号溝跡及び第2号井戸跡は「排水施設」であった可能性がある。
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
溝5
井戸2
土坑3
ピット2
主な遺物
近世陶器
漆器
特記事項 近世、溝跡は「地割溝」であった可能性がある。
要約  本調査地点は、周知の埋蔵文化財包蔵地である鍛冶谷・新田口遺跡の範囲に属し、JR埼京線戸田駅から南東に約800m、戸田公園駅から北西に約600mの戸田市上戸田5丁目20番3に位置する。
 今回の発掘調査では、弥生時代後期後半から古墳時代前期初頭の周溝状遺構5基、土坑1基、溝跡1条、ピット4基、中世の井戸跡5基、溝跡1条、ピット1基、近世以降の溝跡5条、土坑4基、井戸跡1基、ピット2基を検出した。
 調査によって、弥生時代後期から古墳時代前期の周溝状遺構は「周溝持建物」であった可能性があり、中世の溝跡1基、井戸跡1基は排水施設であった可能性があることが判明した。また、近世では、人の往来の増加に伴い、土地の区割りがなされ、生活空間が整備されていったことを示す証拠を得ることができた。

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