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団子山西遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/35995
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.35995
引用表記 宮城県教育委員会 2018 『宮城県文化財調査報告書248:団子山西遺跡』宮城県教育委員会
宮城県教育委員会 2018 『団子山西遺跡』宮城県文化財調査報告書248
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書名 団子山西遺跡
発行(管理)機関 宮城県教育委員会 - 宮城県
書名かな 団子山西遺跡
副書名 田尻西部地区ほ場整備事業に係る平成22~25年度(H・I・L区)発掘調査報告書
巻次 1
シリーズ名 宮城県文化財調査報告書
シリーズ番号 248
編著者名
編集機関
宮城県教育委員会
発行機関
宮城県教育委員会
発行年月日 20181221
作成機関ID 041017
郵便番号 9808423
電話番号 0222113685
住所 宮城県仙台市青葉区本町三丁目8番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 団子山西遺跡
遺跡名かな だんごやまにしいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県大崎市田尻小松・大嶺・中目・通木
所在地ふりがな みやぎけんおおさきしたじりこまつ・おおみね・なかのめ・とおりき
市町村コード 04215
遺跡番号 38011
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 383624
東経(世界測地系)度分秒 1410046
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.606666 141.012777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111102-20111206
20110408-20110428
20120523-20121207
20130917-20130920
20131105-20131106
調査面積(㎡)
20470
調査原因 経営体育成基盤整備事業(ほ場整備)
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
遺物包含層
道路跡
掘立柱建物跡
竪穴建物跡
材木塀跡
土器埋設遺構
溝跡
土坑
小溝状遺構群
河川跡
自然流路跡
湿地跡
主な遺物
縄文土器
石器・石製品
土師器
須恵器
赤焼土器
木製品
鉄製品
動植物遺存体
文字資料
磁器
中世陶器
銭貨
漆製品
竹製品
特記事項 (古代)新田柵跡へ向かう南北方向の基幹道路と考えられる道路跡や、計画的に配置された建物跡群を検出。新田柵跡と密接な関係をもつ集落遺跡。
(中世)伊豆沼窯跡群産の中世陶器が出土。
要約 団子山西遺跡は、宮城県北部の内陸部に位置し、江合川の支流である田尻川両岸の標高12~18mの沖積地に立地する、奈良・平安時代を中心とした大規模な遺跡である。
 ほ場整備事業に伴う発掘調査の結果、奈良・平安時代の道路跡、掘立柱建物跡、竪穴建物跡、材木塀跡、土器埋設遺構、溝跡、土坑、小溝状遺構群、河川跡、自然流路跡、湿地跡等を検出した。道路跡は8世紀後半から9世紀前半頃に機能したと推定され、位置や規模から北側に隣接する新田柵跡に伴う南北方向の基幹道路に位置づけられる。掘立柱建物跡や竪穴建物跡は道路の位置や方向を基準に配置されている。また、Ⅰ-9区では、東西60m、南北30mの範囲に、9世紀前半と推定される計画的に配置された掘立柱建物跡が検出された。
 出土遺物は、土師器、須恵器、赤焼土器、瓦、硯、石製品、木製品、鉄製品、動植物遺存体、文字資料等である。時期は8世紀前半から10世紀前葉で、8世紀後半から9世紀前葉が主体である。
 遺構・遺物の成果から、団子山西遺跡は新田柵跡と密接に関連した集落跡と考えられる。

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