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京都府遺跡調査報告集

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25699
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.25699
引用表記 財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2011 『京都府遺跡調査報告集』財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2011 『京都府遺跡調査報告集』
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書名 京都府遺跡調査報告集
発行(管理)機関 (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター - 京都府
書名かな きょうとふいせきちょうさほうこくしゅう
副書名
巻次 142
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行機関
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行年月日 20110325
作成機関ID
郵便番号 617-0002
電話番号 075-933-3877
住所 京都府向日市寺戸町南垣内40番の3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 鳥取橋遺跡 第1次
遺跡名かな とっとりばしいせき
本内順位 1
遺跡所在地 京都府京丹後市弥栄町 和田野車田、井辺森山ほか
所在地ふりがな きょうたんごし やさかちょう わだのくるまだ、 いべもりやまほか
市町村コード 26212
遺跡番号 4501
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354034
東経(世界測地系)度分秒 1350520
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.676111 135.088888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100512-20100706
調査面積(㎡)
850
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
川跡(河川内堆積土)
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
磁器
陶器
瓦質土器
土錘
砥石
特記事項
種別
その他の生産遺跡
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
耕作溝
主な遺物
特記事項
遺跡名 平安京跡左京四条一坊六・十一町、壬生大路
遺跡名かな へいあんきょうあと
本内順位 2
遺跡所在地 京都府京都市中京区壬生坊城町48番地16
所在地ふりがな きょうとし なかぎょうく みぶぼうじょうまち よんじゅうはちばんちじゅうろく
市町村コード 26104
遺跡番号 2001
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350019.44
東経(世界測地系)度分秒 1354446
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.0054 135.746111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20091130-20091218
20100419-20100624
調査面積(㎡)
150
350
調査原因 庁舎建設
遺跡概要
種別
宮都
時代
平安
主な遺構
井戸
柱穴
主な遺物
土師器
須恵器
瓦器
常滑甕
東播系甕
中国製青磁壺
緑釉
白磁
木製品(題籤軸箸・曲げ物)
特記事項 題籤軸両面に墨書、『保延六年(1140)返抄』。壬生大路側溝・路面 は確認できず

遺跡名かな:へいあんきょうあとさきょうよんじよういちぼうろくちょう・じゅういっちょう、みぶおおじ
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
土師器
瓦器
特記事項
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
井戸
主な遺物
陶磁器
特記事項
遺跡名 長岡京跡右京 第995次・開田遺跡・開田古墳群
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位 3
遺跡所在地 京都府長岡京市開田2丁目
所在地ふりがな ながおかきょうしかいでんにちょうめ
市町村コード 26209
遺跡番号 63・80・107
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345532
東経(世界測地系)度分秒 1354153
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.925555 135.698055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100426-20100602
調査面積(㎡)
146
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
周溝
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいきゅう ひゃくきゅうじゅうごじ・かいでんいせ き・かいでんこふんぐん
種別
宮都
時代
平安
主な遺構
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 長岡京
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
陶器
土製人形
寛永通宝
雁首
特記事項
遺跡名 長岡京跡右京 第996次・上里遺跡
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位 4
遺跡所在地 京都府長岡京市井ノ内 上印田地内
所在地ふりがな ながおかきょうしいのうちかみいんでんちない
市町村コード 26209
遺跡番号 7・107
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345635
東経(世界測地系)度分秒 1354130
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.943055 135.691666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100426-20100605
調査面積(㎡)
125
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
(流路内包含)
主な遺物
縄文土器
特記事項 遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいきゅうひゃくきゅうじゅうろくじ・かみさといせき
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
(流路内包含)
主な遺物
弥生土器
特記事項
種別
集落
古墳
時代
古墳
主な遺構
(流路内包含)
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
主な遺物
土師器
須恵器
木器
特記事項
種別
集落
宮都
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑
整地面
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
流路
主な遺物
土師器
瓦器
特記事項
遺跡名 西代遺跡
遺跡名かな にしんだいいせき
本内順位 5
遺跡所在地 京都府長岡京市奥海印寺西代地内
所在地ふりがな ながおかきょうしおくかいいんじにしんだいちない
市町村コード 26209
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345523
東経(世界測地系)度分秒 1354015
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.923055 135.670833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20091005-20091023
調査面積(㎡)
370
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
柱穴
主な遺物
須恵器
土師器
瓦器
陶磁器
特記事項 京都第二外環状道路関係遺跡
遺跡名 奥海印寺遺跡
遺跡名かな おくかいいんじいせき
本内順位 6
遺跡所在地 京都府長岡京市奥海印寺新郷地内
所在地ふりがな ながおかきょうしおくかいいんじあらごうちない
市町村コード 26209
遺跡番号 68
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345514
東経(世界測地系)度分秒 1354033
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.920555 135.675833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090603-20090619
調査面積(㎡)
150
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
流路
主な遺物
染付
特記事項 京都第二外環状道路関係遺跡
遺跡名 下海印寺遺跡
遺跡名かな しもかいいんじいせき
本内順位 7
遺跡所在地 京都府長岡京市奥海印寺駿河田地内
所在地ふりがな ながおかきょうしおくかいいんじするがでんちない
市町村コード 26209
遺跡番号 95
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345512
東経(世界測地系)度分秒 1354040
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.919999 135.677777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090818-20090824
調査面積(㎡)
30
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
不明
時代
不明
主な遺構
主な遺物
特記事項 京都第二外環状道路関係遺跡
遺跡名 長岡京跡右京 第973次・下海印寺遺跡
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位 8
遺跡所在地 京都府長岡京市下海印寺尾流地内・方丸地内
所在地ふりがな ながおかきょうししもかいいんじおりゅうちない
市町村コード 26209
遺跡番号 95・107
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345506
東経(世界測地系)度分秒 1354050
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.918333 135.680555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090602-20101013
20090608-20091013
調査面積(㎡)
1000
540
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑
柱穴
主な遺物
縄文土器
石錐
敲石類
台石
石皿
特記事項 京都第二外環状道路関係遺跡
遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいきゅうひゃく ななじゅうさんじ・しもかいいんじいせき
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴式住居跡
主な遺物
弥生土器
特記事項
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴式住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
石錐
滑石製管玉
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
土師器
瓦器
陶磁器
特記事項
遺跡名 女谷・荒坂横穴群 第11・12次
遺跡名かな おんなだに・あらさかおうけつぐん
本内順位 9
遺跡所在地 京都府八幡市美濃山荒坂65−2
所在地ふりがな やわたしみのやまあらさか65-2
市町村コード 26210
遺跡番号 31
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345044
東経(世界測地系)度分秒 1354327
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.845555 135.724166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090709-20100225
20100513-20100611
調査面積(㎡)
2000
400
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
横穴
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
横穴
通路
主な遺物
土師器
須恵器
鉄鏃
刀子
馬具
鉄釘
耳環
特記事項 平安時代に横穴 を再利用
要約 [鳥取橋遺跡 要約]
鳥取橋遺跡におけるはじめての調査で、現地表下1.5〜1.8mまでは耕作に伴う堆積層で、その下位には竹野川の河川堆積層が認められ、顕著な遺構を確認することはできなかった。各トレンチでは弥生時代前期から中世末の遺物が多数出土しており、調査地点の周辺に遺構の広がりが予想される 

[平安京跡左京四条一坊六・十一町、壬生大路 要約]
市電車庫や京都市交通局の建物跡によって攪乱を受けていたが、平安時代後期〜鎌倉時代後期の溝・井戸跡・土坑などを検出した。また、壬生大路の路面や側溝は確認できなかった。調査地近辺には、平安時代後期の白川法皇の近臣であった内蔵頭藤原国明の邸宅があったとされており、邸宅周辺で大火が発生したことが記録されている。今回の調査で中国製陶磁器の出土や火を受けた多数の甕類が出土したことは、藤原国明の邸宅との関係が注目される。また、題籤軸『保延六年返抄』などの出土も、当該地の歴史的背景を考える上で重要である 

[長岡京跡右京第995次・開田遺跡・開田古墳群 要約]
古墳時代中期の2条の溝を検出し、一辺約12mの方墳が復原できた。調査地周辺では開田古墳群の存在が知られており、そのなかの1基と捉えることができ、開田古墳群東羅支群11号墳と命名された。周辺に同時期の古墳が存在する可能性が高い 

[長岡京跡右京第996次・上里遺跡 要約]
奈良時代と推定される溝や平安時代〜鎌倉時代の土坑・流路、砂礫が集積した整地面などを確認した。周辺には、天皇家供御の菜園である「乙訓園」があり、今回検出した溝もそれに関連する可能性がある 

[西代遺跡 要約]
古代から近世の土器類が出土したが、農地造成のため遺構面は大きく削平を受けていた。丘 陵斜面の盛り土中からも遺物が出土するので、本来は丘陵部分から緩斜面部まで、遺構が存 在していたと想定できる 

[奥海印寺遺跡 要約]
耕作関連の土層のすぐ下に河川氾濫による堆積土があり、良好な遺構面を検出できなかった。 

[下海印寺遺跡 要約]
調査により、包含層や遺構面は確認できなかった。小泉川とその支流に囲まれていることから、川の氾濫のため安定した遺構面が形成されなかったと推測される 

[長岡京跡右京第973次・下海印寺遺跡 要約]
調査により、縄文時代後期、弥生時代後期、古墳時代後期、奈良時代、中世の溝・遺物を確認した。縄文時代後期の遺構は、縄文時代の下海印寺集落の広がりを知る上で重要な知見となった。また、中世の溝は、下海印寺集落を巡るものと思われる。確実に長岡京に属する遺構は確認できなかったが、奈良時代頃の遺物を含む溝を検出しており、周辺に長岡京期の遺構が存在する可能性がある 

[女谷・荒坂横穴群第11・12次 要約]
南山城地域の横穴は、八幡市・京田辺市付近の丘陵地に集している。今回、女谷D支群として8基の横穴を調査し、過去に調査された横穴と合わせると60基を数え、府下でも最大級の横穴群と言える。この横穴群の築造の開始時期は6世紀後半であり、他地域よりもやや早く造墓が始まり、その後、7世紀中葉頃まで築造・使用されている 

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