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山王遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22115
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22115
引用表記 宮城県教育委員会 2018 『宮城県文化財調査報告書246:山王遺跡』宮城県教育委員会他
宮城県教育委員会 2018 『山王遺跡』宮城県文化財調査報告書246
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=晃一|last=村田|first2=和機|last2=齋藤|first3=力|last3=西村|title=山王遺跡|origdate=2018-03-14|date=2018-03-14|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22115|location=宮城県仙台市青葉区本町3丁目8-1|ncid=AN00153337|doi=10.24484/sitereports.22115|series=宮城県文化財調査報告書|volume=246}} 閉じる
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書名 山王遺跡
発行(管理)機関 宮城県教育委員会 - 宮城県
書名かな さんのういせき
副書名 三陸沿岸道路建設に伴う八幡・伏石地区発掘調査報告書
巻次 7
シリーズ名 宮城県文化財調査報告書
シリーズ番号 246
編著者名
編集機関
宮城県教育委員会
発行機関
宮城県教育委員会
国土交通省東北地方整備局
発行年月日 20180314
作成機関ID 04000
郵便番号 9808423
電話番号 0222113684
住所 宮城県仙台市青葉区本町3丁目8-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
第1分冊 道路跡・D区の調査編
第2分冊 F・G・J・L区の調査編
第3分冊 M・N区の調査、自然科学分析、総括編
所収論文
所収遺跡
遺跡名 山王遺跡
遺跡名かな さんのういせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県多賀城市南宮字八幡・伏石
所在地ふりがな みやぎけんたがじょうしなんぐうあざはちまん・ふせいし
市町村コード 042099
遺跡番号 18013
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 381755
東経(世界測地系)度分秒 1405910
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.298611 140.986111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120326-20140627
調査面積(㎡)
24578
調査原因 三陸沿岸道路多賀城インターチェンジ建設
遺跡概要
種別
集落
貝塚
その他の生産遺跡
時代
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
水田跡
掘立柱塀跡
掘立柱建物跡
区画溝跡
竪穴住居跡
材木塀跡
井戸跡
土穴
道路跡
畑跡
周溝を持つ建物跡
主な遺物
土師器
須恵器
石製模造品
砥石
鉄製品
鉄滓
土製品
骨角器
特記事項 古墳時代前期の水田跡、古墳時代中期の鍛冶遺構・区画施設を伴う豪族居館、古墳時代後期の材木塀・溝で区画された大規模集落、奈良時代の多賀城と係わりのある集落、平安時代の方格地割による古代都市、中世の屋敷跡を報告している。
遺跡名 市川橋遺跡
遺跡名かな いちかわばしいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県多賀城市南宮字八幡・伏石
所在地ふりがな みやぎけんたがじょうしなんぐうあざはちまん・ふせいし
市町村コード 042099
遺跡番号 18008
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 381755
東経(世界測地系)度分秒 1405910
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.298611 140.986111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120326-20140627
調査面積(㎡)
24578
調査原因 三陸沿岸道路多賀城インターチェンジ建設
遺跡概要
種別
集落
その他の生産遺跡
時代
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
水田跡
掘立柱塀跡
掘立柱建物跡
区画溝跡
竪穴住居跡
材木塀跡
井戸跡
土穴
道路跡
畑跡
周溝を持つ建物跡
主な遺物
土師器
須恵器
石製模造品
砥石
鉄製品
鉄滓
土製品
骨角器
特記事項 古墳時代前期の水田跡、古墳時代中期の鍛冶遺構・区画施設を伴う豪族居館、古墳時代後期の材木塀・溝で区画された大規模集落、奈良時代の多賀城と係わりのある集落、平安時代の方格地割による古代都市、中世の屋敷跡を報告している。
要約 【古墳時代前期(4世紀)】小区画の水田跡が発見された。水田は山王・新田遺跡一円にあったと考えられ、七北田川から取水し、砂押川へ向かって排水していたと考えられる。
【古墳時代中期(5世紀前葉)】東辺が掘立柱塀と大溝、北辺は河川で区画された28棟の竪穴住居が発見された。その中には当時の東日本では数少ない鍛冶遺構が含まれる。河川に形成された遺物包含層からは刀装具・琴柱形角製品といった威信具が出土しており、豪族居館であったと推定している。居館は河川に形成された洪水堆積層から見て5世紀前葉のうちに廃絶している。
【古墳時代後期(6世紀末~7世紀前半)】中心部分が材木塀と溝で囲まれた集落が発見された。内部には竪穴住居が165棟以上つくられ、太刀・仏具の柄香炉などのほか近接する複数の須恵器窯からの須恵器が出土したことから、七北田川下流域を統括した首長層の居住していた拠点集落と考えられる。集落内を流れる河川からは土器・土製品・石製品のほか、木製品・骨角器・動植物遺存体が多く出土している。
【飛鳥~奈良時代前半(7世紀後半~8世紀前半)】平面形が方形となる材木塀と溝で区画された集落が発見された。塀の方向は西へ大きく傾く。
【奈良時代後半(8世紀後半)】多賀城へ向かう東西道路と、それに沿って材木塀・溝で囲まれた区画が複数発見された。区画は道路北側に2区画、南側に1区画以上ある。最も残りのよい区画は、範囲が南北120m以上、東西71mであり、内部に掘立柱建物跡25棟、竪穴住居跡3棟、井戸跡4基などがある。
【平安時代(8世紀末~10世紀)】多賀城南面一体に施行された碁盤目状の街並み(方格地割)の北辺を調査した。方格地割施工後の遺構は8世紀末~9世紀前葉(Ⅰ期)、9世紀中葉~10世紀前半(Ⅱ期)、10世紀後半(Ⅲ期)の3時期に分けられる。このうちⅡ期は古段階と新段階に細分が可能で、新段階は貞観津波による復興と考えられた。また、これまで方格地割は東西大路を中心として段階的に南北へ宅地域を拡大させたと考えられていたが、今回の調査と検討によって、Ⅰ期段階で一斉に施工された可能性が高まった。Ⅱ期になると建物数が最も増加し、建物方向も真北を指向する。官衙的器種や硯も種類・量ともにピークを迎えている。こうした傾向は、爆発的に建物数が急増し全域が曹司域として使われる多賀城Ⅲ期(780~869年)とも共通し、多賀城と城外の方格地割は一体的且つ計画的に進められたと考えられる。

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