奈良文化財研究所 ホーム
Search
List
Others
おすすめ
report count (with pdf)
41230 reports
( Participation 755 Orgs )
report count
132420 reports
( compared to the privious fiscal year + 1735 reports )
( Participation 1917 Orgs )
site summary count
147544 reports
( compared to the privious fiscal year + 2104 reports )
Article Collected
120563 reports
( compared to the privious fiscal year + 1568 reports )
video count
1298 reports
( compared to the privious fiscal year + 114 reports )
( Participation 117 Orgs )
Event Collected
1250 reports
( compared to the privious fiscal year + 200 reports )
※過去開催分含む

山王遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22115
DOI 2D code
2D Code download
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22115
For Citation 宮城県教育委員会 2018 『宮城県文化財調査報告書246:山王遺跡』宮城県教育委員会他
宮城県教育委員会 2018 『山王遺跡』宮城県文化財調査報告書246
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=晃一|last=村田|first2=和機|last2=齋藤|first3=力|last3=西村|title=山王遺跡|origdate=2018-03-14|date=2018-03-14|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22115|location=宮城県仙台市青葉区本町3丁目8-1|ncid=AN00153337|doi=10.24484/sitereports.22115|series=宮城県文化財調査報告書|volume=246}} 閉じる
File
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
Title 山王遺跡
Participation-organizations 宮城県教育委員会 - 宮城県
Alternative さんのういせき
Subtitle 三陸沿岸道路建設に伴う八幡・伏石地区発掘調査報告書
Volume 7
Series 宮城県文化財調査報告書
Series Number 246
Author
Editorial Organization
宮城県教育委員会
Publisher
宮城県教育委員会
国土交通省東北地方整備局
Publish Date 20180314
Publisher ID 04000
ZIP CODE 9808423
TEL 0222113684
Aaddress 宮城県仙台市青葉区本町3丁目8-1
Report Type Codes
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
第1分冊 道路跡・D区の調査編
第2分冊 F・G・J・L区の調査編
第3分冊 M・N区の調査、自然科学分析、総括編
Articles
Site
Site Name 山王遺跡
Site Name Transcription さんのういせき
Order in book
Address 宮城県多賀城市南宮字八幡・伏石
Address Transcription みやぎけんたがじょうしなんぐうあざはちまん・ふせいし
City Code 042099
Site Number 18013
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 381755
East Longitude (WGS) 1405910
Dd X Y 38.298611 140.986111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20120326-20140627
Research Space
24578
Research Causes 三陸沿岸道路多賀城インターチェンジ建設
OverView
Site Type
集落
貝塚
その他の生産遺跡
Main Age
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
Main Features
水田跡
掘立柱塀跡
掘立柱建物跡
区画溝跡
竪穴住居跡
材木塀跡
井戸跡
土穴
道路跡
畑跡
周溝を持つ建物跡
Main Foundings
土師器
須恵器
石製模造品
砥石
鉄製品
鉄滓
土製品
骨角器
Remark 古墳時代前期の水田跡、古墳時代中期の鍛冶遺構・区画施設を伴う豪族居館、古墳時代後期の材木塀・溝で区画された大規模集落、奈良時代の多賀城と係わりのある集落、平安時代の方格地割による古代都市、中世の屋敷跡を報告している。
Site Name 市川橋遺跡
Site Name Transcription いちかわばしいせき
Order in book
Address 宮城県多賀城市南宮字八幡・伏石
Address Transcription みやぎけんたがじょうしなんぐうあざはちまん・ふせいし
City Code 042099
Site Number 18008
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 381755
East Longitude (WGS) 1405910
Dd X Y 38.298611 140.986111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20120326-20140627
Research Space
24578
Research Causes 三陸沿岸道路多賀城インターチェンジ建設
OverView
Site Type
集落
その他の生産遺跡
Main Age
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
Main Features
水田跡
掘立柱塀跡
掘立柱建物跡
区画溝跡
竪穴住居跡
材木塀跡
井戸跡
土穴
道路跡
畑跡
周溝を持つ建物跡
Main Foundings
土師器
須恵器
石製模造品
砥石
鉄製品
鉄滓
土製品
骨角器
Remark 古墳時代前期の水田跡、古墳時代中期の鍛冶遺構・区画施設を伴う豪族居館、古墳時代後期の材木塀・溝で区画された大規模集落、奈良時代の多賀城と係わりのある集落、平安時代の方格地割による古代都市、中世の屋敷跡を報告している。
Abstract 【古墳時代前期(4世紀)】小区画の水田跡が発見された。水田は山王・新田遺跡一円にあったと考えられ、七北田川から取水し、砂押川へ向かって排水していたと考えられる。
【古墳時代中期(5世紀前葉)】東辺が掘立柱塀と大溝、北辺は河川で区画された28棟の竪穴住居が発見された。その中には当時の東日本では数少ない鍛冶遺構が含まれる。河川に形成された遺物包含層からは刀装具・琴柱形角製品といった威信具が出土しており、豪族居館であったと推定している。居館は河川に形成された洪水堆積層から見て5世紀前葉のうちに廃絶している。
【古墳時代後期(6世紀末~7世紀前半)】中心部分が材木塀と溝で囲まれた集落が発見された。内部には竪穴住居が165棟以上つくられ、太刀・仏具の柄香炉などのほか近接する複数の須恵器窯からの須恵器が出土したことから、七北田川下流域を統括した首長層の居住していた拠点集落と考えられる。集落内を流れる河川からは土器・土製品・石製品のほか、木製品・骨角器・動植物遺存体が多く出土している。
【飛鳥~奈良時代前半(7世紀後半~8世紀前半)】平面形が方形となる材木塀と溝で区画された集落が発見された。塀の方向は西へ大きく傾く。
【奈良時代後半(8世紀後半)】多賀城へ向かう東西道路と、それに沿って材木塀・溝で囲まれた区画が複数発見された。区画は道路北側に2区画、南側に1区画以上ある。最も残りのよい区画は、範囲が南北120m以上、東西71mであり、内部に掘立柱建物跡25棟、竪穴住居跡3棟、井戸跡4基などがある。
【平安時代(8世紀末~10世紀)】多賀城南面一体に施行された碁盤目状の街並み(方格地割)の北辺を調査した。方格地割施工後の遺構は8世紀末~9世紀前葉(Ⅰ期)、9世紀中葉~10世紀前半(Ⅱ期)、10世紀後半(Ⅲ期)の3時期に分けられる。このうちⅡ期は古段階と新段階に細分が可能で、新段階は貞観津波による復興と考えられた。また、これまで方格地割は東西大路を中心として段階的に南北へ宅地域を拡大させたと考えられていたが、今回の調査と検討によって、Ⅰ期段階で一斉に施工された可能性が高まった。Ⅱ期になると建物数が最も増加し、建物方向も真北を指向する。官衙的器種や硯も種類・量ともにピークを迎えている。こうした傾向は、爆発的に建物数が急増し全域が曹司域として使われる多賀城Ⅲ期(780~869年)とも共通し、多賀城と城外の方格地割は一体的且つ計画的に進められたと考えられる。

Related Cultual Data

このエントリーをはてなブックマークに追加
Page view : 1351
File download : 2838

All Events

外部出力