奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41230 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132420 件
( 前年度比 + 1735 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120563 件
( 前年度比 + 1568 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

戸来館遺跡2

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139818
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139818
引用表記 青森県埋蔵文化財調査センター 2024 『青森県埋蔵文化財調査報告書第644集:戸来館遺跡2』青森県教育委員会
青森県埋蔵文化財調査センター 2024 『戸来館遺跡2』青森県埋蔵文化財調査報告書第644集
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲也|last=中村|title=戸来館遺跡2|origdate=2024-03-15|date=2024-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/139818|location=青森市新城天田内152-15|doi=10.24484/sitereports.139818|series=青森県埋蔵文化財調査報告書|volume=第644集}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 戸来館遺跡2
発行(管理)機関 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県
書名かな へらいだていせきに
副書名 国道454号特定交通安全施設整備事業に伴う遺跡発掘調査報告
巻次
シリーズ名 青森県埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 第644集
編著者名
編集機関
青森県埋蔵文化財調査センター
発行機関
青森県教育委員会
発行年月日 20240315
作成機関ID
郵便番号 0380042
電話番号 0177885701
住所 青森市新城天田内152-15
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 戸来館遺跡
遺跡名かな へらいだていせき
本内順位
遺跡所在地 青森県三戸郡新郷村大字戸来地内
所在地ふりがな あおもりけんさんのへぐんしんごうむらおおあざへらい
市町村コード 02450
遺跡番号 450015
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 402755
東経(世界測地系)度分秒 1411018
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.465277 141.171666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220517-20220630
調査面積(㎡)
210
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
城館
時代
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
堀跡
曲輪
柱穴
掘立柱建物跡
土坑
焼土
主な遺物
土師器
鉄滓
陶磁器
石臼
特記事項 平安時代の防御性集落か
要約  戸来館遺跡は五戸川沿いの標高約150 m弱の台地上に所在する。
 令和元年度にも青森県埋蔵文化財調査センターが発掘調査を実施し、縄文時代、平安時代、中世、中世以降の各時期の遺構・遺物が検出された。主体となるのは中世城館に伴う遺構で、大規模な堀跡や竪穴建物跡が検出され、南部氏の家臣戸来氏の居城、戸来館である可能性が高いとされた。
 令和4年度の調査では、令和元年度調査区の西隣を調査し、大規模な2本の堀跡(第1号・第2 号堀跡)の延長部分や、柱穴跡多数が検出された。また、2本の堀跡に直交し、台地端部を囲繞する配置をとる堀跡(第3号堀跡)が検出された。第3号堀跡は堆積土の様相から城館期の第1・2号堀跡より廃絶時期が古いと考えられる。城館期に機能した可能性も否定できないが、平安時代に遡る可能性もある。この堀跡で囲繞される範囲に平安時代の遺構は検出されていないが、平場は削平を受けていること、隣接する平場で平安時代の竪穴建物跡が検出されていることなどから失われた建物跡も存在すると推測され、平安時代の防御性集落が存在した可能性が提示された。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 100
ファイルダウンロード数 : 44

全国のイベント

外部出力