奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41485 件
( 発行機関数 759 機関 )
現在の書誌登録数
132562 件
( 前年度比 + 1888 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147727 件
( 前年度比 + 2285 件 )
現在の文化財論文件数
120638 件
( 前年度比 + 1645 件 )
現在の文化財動画件数
1314 件
( 前年度比 + 130 件 )
( 登録機関数 118 機関 )
文化財イベント件数
1263 件
( 前年度比 + 214 件 )
※過去開催分含む

首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139549
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139549
引用表記 公益財団法人千葉県教育振興財団 2023 『千葉県教育振興財団調査報告792:首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書』公益財団法人千葉県教育振興財団
公益財団法人千葉県教育振興財団 2023 『首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書』千葉県教育振興財団調査報告792
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲朗|last=井上|first2=健一|last2=安井|first3=則久|last3=栗田|first4=修一|last4=渡邉|title=首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書|origdate=2023-03-20|date=2023-03-20|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/139549|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|doi=10.24484/sitereports.139549|series=千葉県教育振興財団調査報告|volume=792}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 首都圏中央連絡自動車道埋蔵文化財調査報告書
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな しゅとけんちゅうおうれんらくじどうしゃどうまいぞうぶんかざいちょうさほうこくしょ
副書名 芝山町境砦跡
巻次 42
シリーズ名 千葉県教育振興財団調査報告
シリーズ番号 792
編著者名
編集機関
公益財団法人千葉県教育振興財団
発行機関
公益財団法人千葉県教育振興財団
発行年月日 20230320
作成機関ID
郵便番号 2840003
電話番号 0434228811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 境砦跡
遺跡名かな さかいとりであと
本内順位
遺跡所在地 山武郡芝山町境字上郷179-3ほか
所在地ふりがな
市町村コード 12409
遺跡番号 048
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354243
東経(世界測地系)度分秒 1402644
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.711944 140.445555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210518-20220209
調査面積(㎡)
9546
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器
石器
土製品
特記事項
種別
集落
時代
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡23
井戸状遺構2
土坑10
粘土採掘跡2
粘土採掘坑8
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
二彩陶器
土製品
石製品
金属製品
特記事項
種別
城館
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
地山整形区画2
井戸1
土坑墓8
土坑25
曲輪4
帯曲輪4
空堀4
土塁1
塚1
主な遺物
土器
陶磁器
石製品
金属製品
特記事項
要約 境砦跡は、太平洋に注ぐ栗山川の支流である高谷川と多古橋川の支谷によって挟まれた標高40mほどのっ狭小な台地上に立地する。
 集落の時期は奈良・平安時代を主体とし、竪穴住居跡は、7世紀末~8世紀初頭が3軒、8世紀公判が3軒と単発的であるが、その後の空白期間を置いて9世紀後半に12軒と比較的大きな集落が出現し、10世紀後半で急速に終息する。
 中世では、前期の屋敷が戦国期に周囲に曲輪や空堀を造成して城郭へと改変されたことが明らかとなった。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 148
ファイルダウンロード数 : 64

全国のイベント

外部出力